アップデートされてフェミニズムではなくなったフェミニズム

この対立👇は、アップデートされた西洋のフェミニズムが、最早フェミニズムとは言えないものへと進化したことを示している。

元々のフェミニズムは女の本能的欲求を「主義」にしたもので、①際限のない男への要求(特に権力と金力)、②不要な男/有害な男性性の社会的排除(←負の性欲)が二本柱だった。

これに対して、近年の西洋で主流のフェミニズムはもっと左翼思想的なもので、約半世紀前の「若者の反乱」に源流がある。

西側先進国では反体制運動が反政府ではなく、社会システム・秩序を解体(脱構築)する方向へと発展し、フェミニズムでは家父長制が資本制に代わる打倒の対象となった。「共同声明」でもこの👇ように謳われている。

私たちは、正義、平等、解放を達成するため、私たちの多くのを抑圧し、排除し続けている家父長制の権力と闘い、それを解体しなければならないという共通の信念を強調するため、世界中からこの手紙の下に集まり共に署名した団体や個人です。

ポストモダニズムや社会構築主義に影響されたフェミニズムが世界の秩序を脱構築する人類学的革命を目指すネオマルクス主義の傘下に入ったことは、「女の本能的欲求」よりもintersectionalityに基づく共闘が優先されるようになったことを意味する。

フェミニストたちは、性別、ジェンダー、セクシュアリティは、構築されたアイデンティティのカテゴリーであるということを確立しました。人種、階級、身分制度など他のカテゴリーが、権力の不均衡を維持し、抑圧のシステムを永続させるために使われてきたのと同様に。人間は性別によって特定の不変の特性を持って生まれたという考えは、社会的に構築された有害なステレオタイプ、性別の役割、および規範が全体的な性別の不平等につながるという認識で、却下されました。

Shapiroが言うように"Victim solidarity trumps all other considerations"なので、フェミニストと女よりも被抑圧度が高い属性の人々の主張が衝突した場合には、フェミニストは主張を取り下げて修正しなければならなくなったわけである。その代表的論点が「性自認は女」と自称する男(trans woman)を女として認めるか否かで、認めないとする女(旧フェミ)たちが差別主義者だとして新フェミやTから自己批判を迫られている。

フェミニストに辟易してきたアンチフェミは、旧フェミを脅迫する新フェミやTを応援したくなるかもしれないが、それはnaïveに過ぎる。旧フェミは所詮は強欲女、我儘女、ヒステリー女だが、理念主義者の新フェミはポル・ポトの同類であり、潜在的な危険度は比較にならない。「性別による特性は存在しない」や「外見と身体は男だが性的指向及び性自認(自称)は女の男装する人物は女→男扱いは許されない差別」を社会の基本原理にすることを支持する人は別だが、そうでない人は「敵の敵は味方とは限らない」ことをよく考える必要がある。

抵抗勢力と闘う改革派の政治家・脱藩官僚、無能な経営者を追及する「物言う株主」を応援した結果が参考になる。

上野 家父長制も資本制も、私が嫌いな二つの敵。それを分析したら、どこが弱点なのかがはっきり理解できた。

人間は母親単独での出産・育児がほぼ不可能なので、子供の父親の男が長期間協力するように進化したと考えられている。家父長制は男が女を性奴隷として支配するためではなく、女が男に自分と子供の保護と世話を求めることから発達したシステムということになる。

付録

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