アダム・スミスと現代貨幣の基盤

ネットde真実系の素人MMT信者にありがちな信用貨幣論に関する誤解が、金兌換の停止(最終的には1971年のニクソン・ショック)によって、現代の中央銀行は通貨の発行に際して経済的価値の裏付けを必要としなくなったというものである。MMTerの表現では、中央銀行が通貨を発行するにあたって必要なのはコンピュータに数字を打ち込む「キーストローク」だけで、通貨は無から創造される

しかし、これは現行制度においては事実ではない。MMT信者はアダム・スミスの時代の重商主義者と同様の、「富(経済的価値)とは金銀」という誤解をしている。

スミスの『国富論』は重商主義批判の書物である。ところで重商主義の基本命題は、何よりもまず、「富とは貨幣なり」と要約できる。この場合の貨幣とは、主として金銀なのであるが、それは金銀が国際通貨だったからにほかならない。重商主義者にとって、一国の富とは海外からモノを買うための貨幣つまり金銀であった。
これに対しスミスは次のように考える。そもそも輸出を増加するためには、まずは国内で生産の能率をあげることが先決だろう。だから、国内の労働生産物をいかに増大させるかに国富の増進はかかっている。なぜなら一国の富の源泉は、あくまで労働生産物にあって貨幣ではない。貨幣ではなく、貨幣によって買われるものこそが富だからだ。

アダム・スミスの「一国の富の源泉は、あくまで労働生産物」に従うと、貨幣の価値の源泉(裏付け)は労働生産物の供給力、つまりは生産活動によって貨幣を稼ぐ能力(稼ぐ力)ということになる。政府部門は生産活動によって貨幣を稼がないが、民間部門が稼いだ貨幣を徴収する徴税力が「稼ぐ力」になる。

民間部門や政府部門はこれらの「稼ぐ力」に対して信用を供与されることでバランスシートを拡大し、その負債の一部が債券やABSなどの有価証券となって市場に流通する。その中でもsafe asset、quasi-safe assetと評価されているものを裏付け資産として(買入や担保)、中央銀行は通貨を発行する。これがFedのパウエル議長の言葉の意味である。

We print it digitally. So as a central bank, we have the ability to create money digitally. And we do that by buying Treasury Bills or bonds for other government guaranteed securities.

MMT信者は"create money digitally"(キーストロークによる通貨発行)の箇所だけを抜き出して、信用貨幣論の本質が「無からの創造」だと早合点しているようだが、"by buying Treasury Bills or bonds for other government guaranteed securities"を伴っている意味まで理解しなければならない。銀行の信用創造は元手を必要としないという意味では"out of thin air"だが、本当の「無」と引き換えに預金を発行しているわけではない。信用は無ではなく「借りを返す能力」に対して与えるものである。

数ある種類の有価証券の中でも、最強の稼ぐ力=徴税権に裏付けられた国債は最も安全な無リスク資産なので、中央銀行の通貨の裏付けとして多用される。しかし、「国債は無リスクなのでいくらでも買い入れられる」かと言えばそうではない。信用リスクは無視できてもインフレリスクは無視できないからである。インフレリスクの高まりを反映して国債金利が上昇している局面で中央銀行が通貨を増発することは、インフレの火に油を注ぐようなものなので、買い入れは難しくなる。

このことは、中央銀行の通貨発行の制約が金銀のから市場金利に代わったことと、政府に財政規律を守らせる役割を市場が担っていることを示している。中央銀行も、その使命は「通貨の番人」として通貨価値を維持することなので、放漫財政→国債濫発→悪性インフレのリスクが高まる場合には、政府の資金調達が困難になる方向に金融を引き締める。

現行制度では市場と中央銀行が政府の放漫財政を防ぐ安全装置の役割を果たしているわけだが、この制約から政府を解放しようというのがマルクス主義→新左翼の系譜の経済思想のMMTである。MMTでは政府は「国債発行→市場金利で資金調達」ではなく、政府に完全に従属した中央銀行から任意の金利(基本はゼロ)で無制限に借り入れる。中央銀行は政府の「打ち出の小槌」になるわけである。

In April 1942, at the request of the Department of the Treasury, the Federal Reserve formally committed to maintaining a low interest-rate peg of 3/8 percent on short-term Treasury bills. The Fed also implicitly capped the rate on long-term Treasury bonds at 2.5 percent. The goal of the peg was to stabilize the securities market and allow the federal government to engage in cheaper debt financing of World War II, which the United States had entered in December 1941.

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MMTerの根底にはこのような問題意識(⇩)がある。

市場メカニズムは環境対策や福祉充実には有効ではなく、むしろ格差を拡大させるので、「公正な社会」を実現するためには、戦時のように経済の国家管理を強める必要があるという思想である。

戦時統制経済に近いMMTの制度と、市場をベースにした現行制度のどちらが望ましいか、反知性主義のMMT信者はよく考えた方がよいだろう。

久保 「アステイオン」(73号)に載ったマーク・リラのエッセイ(「リバタリアンのティーパーティー運動」)でも、右も左も通じて最近のアメリカ全体に専門家にたいする不信感があり、医者や学校教師などいらないという人が多いというようなことが書かれていましたが、経済学者やプロの政治家はいらないという発想もそれに似ています。自分たち自身にたいするたいへんな有効性感覚をもっていて、万能の信念があり、反知性主義、専門家・専門知・プロにたいする蔑視がある。

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