ニューズウィーク日本版の「イエス・キリストは黒人」はおかしい
この日本語記事がおかしい。
イエス・キリストは白人から黒人に戻る?
— ニューズウィーク日本版 (@Newsweek_JAPAN) June 29, 2020
世界で人種差別に関わる像や記念碑の撤去が広がるなか、ついにイエス・キリストを白人として描く肖像の見直しを英国国教会の大司教が指示したhttps://t.co/z7JiSmAZIo
市民活動家のショーン・キングは、白人のイエス・キリスト像は「白人至上主義の一形態」であるとし、ツイッターで撤去を呼びかけた。現在のパレスチナで生まれたイエス・キリストが白人だったはずはなく、黒人だった可能性が高いというのは専門家も認めるところだ。
強調した箇所は原文にはない。
Head of Church of England: White Jesus should be reconsidered amid protests https://t.co/2VunotlDcb
— Newsweek (@Newsweek) June 27, 2020
Earlier this week, activist Shaun King added white Jesus monuments to the growing list, saying the depictions were "a form of white supremacy."
別の記事にも原文には存在しない文章が挿入されているが、編集者が「colored=黒人」という勝手な解釈に基づいて付け加えているのだろうか。
キリスト像の撤去まで求める過激な主張の根拠──黒人差別反対運動
— ニューズウィーク日本版 (@Newsweek_JAPAN) June 25, 2020
南軍の将軍や建国の父の彫像が次々に破壊・撤去されるアメリカで、キリスト像こそが白人至上主義のプロパガンダと攻撃される理由https://t.co/NwEF1VSMSs
キングの主張は、現在のパレスチナで生まれたイエスが白人であるはずはなく、むしろ黒人だったはずだ、という説に基づいている。
Middle Easternをアラブ系と訳すのも不適切である(中東⊃アラブ)。
"You see Jesus portrayed in as many ways as there are cultures, languages and understandings," Welby said. "You don't see a white Jesus—you see a Black Jesus or a Chinese Jesus or a Middle Eastern Jesus, which is the most accurate."
「イエス・キリストの姿は、文化、言語、解釈の数と同じだけさまざまな描写がある」と、ウェルビーは述べた。「白人のキリストではなく、黒人や中国人のキリストもいる。アラブ系のキリストの姿もあって、それは最も本物に近い」
中東系はヨーロッパ系と同じく、出アフリカした人々の子孫なので、しなかったサブサハラの黒人とは別である。イエスが黒人だったはずはない。
大手メディアが信用できない証拠が一つ増えた。
Passenger threatens to 'kill everybody on this plane unless you accept Jesus was a black man' https://t.co/INvbZtxzR3
— Daily Mail US (@DailyMail) July 14, 2020
Port of Seattle Police arrested a man accused of threatening other passengers on an Alaska Airlines flight headed to Chicago late Saturday night. https://t.co/mn1vfkhVl1
— The Seattle Times (@seattletimes) July 13, 2020
補足
「白人のキリストではなく、黒人や中国人のキリストもいる。アラブ系のキリストの姿もあって」にもかかわらず、ヨーロッパ系白人姿のイエスだけが問題とされることは、BLM運動の本質が公民権運動のような人種差別撤廃ではなく、西洋文明の伝統を解体する革命であることを示している。
"Diversity, Equity, and Inclusion"を教義とするリベラリズムが新たな「道徳的な宗教」である。
1793年から1794年にかけてのこの運動が目標としたのは、フランスにおいてカトリック教会が保有していた大量の土地、権力、財産の公的な接収であり、キリスト教的なさまざまな習俗および宗教としてのカトリックそのものの解消であった。
無神論的な「理性の崇拝」や理神論にもとづく「最高存在の崇拝」などといった道徳的な宗教が新たに出現し、後者に関しては、短期間ではあったが、1794年4月、政府が公式にその遵守を人びとに命じている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?