資本コストアップ・労働コストダウン

投資業界や企業ファイナンス関係者以外には馴染みがない株主資本コストの重大性について整理する。

現在の日本では家計所得(個人企業を含む)の約7割は賃金・俸給なので、国民が豊かになることは実質賃金の上昇とほぼ同義になる。しかし、個々の企業レベルでは賃金はコストであり、その増大は株主利益を減少させる。この対立関係を止揚するのが労働生産性向上であり、そのためには設備投資による資本装備率の上昇と技術進歩が必要になる。従って、「賃金上昇→設備投資→資本装備率上昇→労働生産性上昇→賃金上昇→・・・」の不断の循環を作り出すことが、国民を豊かにする経済政策ということになる。この循環を作れず、技術的停滞に陥ったことが、超大国のローマ帝国やソビエト連邦の限界だった。

いうまでもなく奴隷制の生産活動には致命的欠陥がある。すなわち近代的設備産業と異なり大規模化による効率上昇(スケール・メリット)が望めないことである。生産工程の高速化、高能率化への研究開発を妨げていたのは、「物をいう道具」の優秀さそれ自身である。少なくとも安価に奴隷が入手し得る限り、ちょっとやそっとの技術革新ぐらいでは奴隷のコストパフォーマンスに太刀打ちできる高性能な代替物(機械や家畜など)を提供できるわけがなかった。わが国においても昭和四十年代の中期に人手不足と賃銀上昇が起こって初めて、自動化、省力化、無人化技術が急速に普及したという経緯がある。いずれにせよ本格的な機械の導入はローマ時代よりはるかに下った十九世紀の産業革命まで待たねばならない。
共産主義諸国のプロレタリアートの奴隷的境遇は、長期的にはいくつもの経済的帰結をもたらすが、その最も重要なのが技術的停滞である。東欧諸国とソ連の労働者は、いかなる自衛手段(組合、スト権)も持たない。その結果、賃金に関わる要求を実現することができない。賃金の上昇が停止していると、工業への技術的進歩の適用による機械の生産性の上昇も、[労働者の生産性が低いため]無駄に終わるのである。
西側では、不断の賃金上昇が技術面での進歩という帰結をもたらす。賃金の上昇によって、各企業は改良された機械を導入して人手を減らそうとせざるを得なくなる。労働者の数を減らし、機械の生産性を高めるというのが、いかなる資本主義企業にとっても必須の要件となる。

この循環を妨げる一つが安価な奴隷(低賃金労働者)で、もう一つが高い資本コストである。高い労働コストは資本への代替を促進するが、高い資本コストは労働への代替を促進する。

日本のような高所得国の企業は労働コスト(≒賃金)では中国などには太刀打ちできないので、国には資本コスト引き下げ→設備投資促進→資本装備率上昇→労働生産性上昇によって競争力を維持させる経済政策が求められる。資本コストが十分に下がらなければ、企業は設備投資よりも賃下げによる競争力維持と利益確保を目指すようになってしまう。これが経済全体に広がれば、ソ連のような技術的停滞と「転落」が待っているが、既に日本経済は20年以上もその状態に陥っている。

資本コストは直接的には観測できないが、impliedされたものとしてPERの逆数(益利回り)が参考になる。2000年代初頭までは借入金利よりも低い水準で並行して低下していたが、2004年に急上昇して逆転し、近年では6~7%程度となっている。

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経済産業省の「伊藤レポート」(2014年8月)では7%超とされている。

ROEの水準を評価するに当たって最も重要な概念が「資本コスト」である。長期的に資本コストを上回る利益を生む企業こそが価値創造企業であることを日本の経営陣は再認識し、理解を深めるべきである。本プロジェクトでは、グローバルな機関投資家が日本企業に期待する資本コストの平均が7%超との調査結果が示された。これによれば、ROEが8%を超える水準で約9割のグローバル投資家が想定する資本コストを上回ることになる。個々の企業の資本コストの水準は異なるが、グローバルな投資家と対話をする際の最低ラインとして8%を上回るROEを達成することに各企業はコミットすべきである。さらに自社に適した形で水準を高め、持続的な成長につなげていくことが重要である。

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実質成長率の見通しが1%の経済において7%超の資本コストを上回ることを要求された企業が単位労働コストの引き下げに走るのは自然なことである。

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実際、他国の単位労働コストが上昇(→インフレ圧力)する中、日本だけが約2割も低下している(→デフレ圧力)。

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賃金上昇が止まる一方で、

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資本装備率も停滞・低下している。

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実質ベースでも民間企業設備の伸び率は鈍化し、「民に倣え」と公的固定資産もそれに続いている。

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日本企業の投資は国内ではなく海外に向かっている。

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いわゆるリフレ派の経済学者やエコノミストは「日本銀行の金融緩和が不十分→実質金利が高止まり→設備投資を抑制」と分析して日銀を批判していたが、高過ぎたのは日銀の政策金利と民間銀行の貸出金利ではなく、「グローバルな機関投資家が日本企業に期待する資本コスト」だったのである。

これ(⇩)は安倍語録だが、安倍首相が日本国民の厚生よりもグローバル投資家の利益を優先していることを示している。

まず、日本企業の体質を変えなければならない。コーポレート・ガバナンス改革を、私は、最も重視しています。
企業が、資本コストを意識して果断に経営判断を行うよう、コーポレート・ガバナンス改革を更に前に進めていきます。
攻めの経営に転じた、日本の経営者の目線は、今、海外へと向いています。昨年度、海外企業とのM&Aは700億ドル近くにのぼり、過去最高水準となりました。
グローバルな舞台で活躍したいと願う企業を、政府も、力強く後押ししていきます。

その帰結は日本経済の空洞化・技術的停滞と低賃金労働者に依存する産業構造への転換で、その具体例の一つが「観光立国」である。安倍首相がこの貧国化の構図を理解しているかどうかは不明だが、入れ知恵している一味が確信犯であることは間違いない。

自己の利益を最大化することで、かりに他者が不幸になったとしてもそれに何の道徳的責任を感じたりしない「合理的精神」こそが、自由競争の勝者に求められる資質であると言っても過言ではないだろう。
私が、若い人に1つだけ言いたいのは、「みなさんには貧しくなる自由がある」ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と。

フェミニストもグローバル投資家をアシスト(⇩これが真のフェミニズム)。

正規雇用者の給料を下げて、夫に600万円払っているのなら、夫に300万円、妻に300万円払うようにすれば、納税者も増えます。
賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう?

賃金・俸給を抑制して企業の金融資産と株主の取り分を増やすこと、換言すれば、労働者を「安価な奴隷」にすることが、国民が熱狂的に支持した構造改革の真の目的だった。未だに馬鹿の一つ覚えのように賃下げ・コストカットを「改革」と思い込んでいる国民も少なくないようだが。

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日本をこの「最後の転落」のコースに引き入れた戦犯が橋本龍太郎と入れ知恵した大蔵官僚だったことも見逃せない。

1996年11月11日、時の総理橋本龍太郎は官邸に三塚博大蔵大臣と松浦功法務大臣を呼び、日本の金融システム改革(いわゆる日本版ビッグバン)を2001年までに実施するように指示したのでした。実はこの金融システム改革を仕掛けたのは、当時国際金融局長だった筆者と証券局長だった長野厖士でした。官邸での会合には筆者も長野も同席しました。

金融システム改革、財政構造改革、行政改革(省庁再編と官邸機能強化→総理大臣と仲間たちのやりたい放題が可能に)の橋本三点セットによる政治・経済・社会の劣化が止まらない。

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