グローバル・ジェンダーギャップ指数という不適切なKPI

世界経済フォーラム(WEF)のグローバル・ジェンダーギャップ指数(GGGI)について書くつもりはなかったのだが、政府ののめり込みが目に余るので、前言撤回して少し書く。

内閣府男女共同参画局は男女の平等/不平等を示す指数の筆頭にGGGIを持ってきているが、6位と8~13位を省略しているのは、国民にこの指数の妥当性に関して疑問を持たれたくないからではないかと推測される。

https://www.gender.go.jp/international/int_syogaikoku/int_shihyo/index.html

6位は中米のニカラグア、8位は南部アフリカのナミビアだが、これらの国々が「日本が模範とするべき女が輝く国」だと素直に信じる日本人はほとんどいないと思われる。なので、内閣府男女共同参画局やマスコミはこれらの国々については「報道しない自由」を行使するのだろう。

ニカラグアの政治については外務省の「ニカラグア共和国基礎データ」が分かりやすいが、2007年に大統領に返り咲いたオルテガ大統領が再選を繰り返しており、2017年からは妻が副大統領になっている。

中米ではメキシコも33位(政治は14位)と日本よりもはるかに上位だが、日本人からすれば治安回復そっちのけでクォータに血道をあげているのは理解困難で賛同できないのではないか。

日本のGGGIランキングが低くなるのはこう👇いうことで、偏りは大きくても差別は大きくない

【平等】
かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま。「利益を平等に分配する」「男女平等」

https://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E7%AD%89-121375

👇で指摘されているように、GGGIは実態から乖離した"false impression"を与えるもので、性差別という意味での平等/不平等を示す指標としては適切とは言い難い。

Data can be incredibly useful in illuminating both progress and challenges in the struggle for gender equality, but select indicators alone rarely convey the full story. The World Economic Forum's Global Gender Gap rankings create a false impression of progress in many countries, including Nicaragua. This gap between ranking and reality obscures the very real struggles faced by women in countries like Nicaragua, where structural discrimination and gender-based violence persist.

https://agendapublica.es/noticia/13744/nicaragua-gender-gap-rankings-and-reality

女の社会的扱いの指標として日本人の実感に合うと思われるのは、内閣府男女共同参画局が三番目に載せている国連開発計画(UNDP)のジェンダー不平等指数(GII)で日本は22位である。

また、ジョージタウン大学のGeorgetown Institute for Women, Peace and Security(GIWPS)が作成しているWomen Peace and Security Index(WPSI)では日本は23位である。

WEF, UNDP, GIWPS

この三つを比較すると、GGGIの異質性がはっきりする。GGGIは政治家や経営者といった極少数に過度にウェイトを置いたものなので、人口の大多数を占める普通の女にとってはほとんど意味がない指標と言わざるを得ない。なので、日本政府が「謙虚に受け止め」てそのランクアップに努める必要は全くないのである。

補足

GGGIランキング上位の北欧諸国でも、女は民間企業に比べて非競争的な公的セクターやNPOなどで働く傾向が強い。

Hagstofa Íslands
「公的」は中央政府・地方公共団体等
「民間」はNPO・NGO等を除く

この競争嫌いの性向が、女が管理職になりたがらないこと、大組織の管理者(将)に女が少ない理由になっていると考えられる。👇も女が排除されているのではなく、政治・統治の要求水準の上昇に耐えられずに脱落しているということ。

初期デモクラシーそのものと同様に、女性の政治参加も小規模な社会のほうがずっと顕著なことだ。統治が家庭での自活から地元コミュニティーでの統治、中央国家の登場へと進むごとに、統治への女性の参加は見えにくくなっていく。まるで、政治の発明が女性の排除を意味しているかのようだ。

民主主義の人類史』p.72

モソ族のような女がリードする社会は村落共同体レベルでは存在しても、都市や国家といった大規模で体系化された社会には存在しないのは、政治・統治の能力・適性・選好が「男女平等」ではないからというのが真実だろう。

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