高橋是清の「借金政策は永続せず」

中野剛志が近著(⇩)で取り上げていた高橋是清の「借金政策は永続せず」が現代の積極財政派の参考になりそうなので紹介する。

「借金政策は永続せず」ーー朝日新聞所載(昭和10年7月27日)

当時の「公債に関する政府の考へ方と著しく異なる意見」は現代の反緊縮派・積極財政派のものとほとんど同じと言える。

しかるに昭和七年度以来毎年相当巨額の公債の発行にも拘らず、今日までのところ、幸ひにその運用は理想的に行はれ、いまだ公債に伴ふ実害を発生してをらぬ。却つて金利の低下や景気恢復に資せるところが少なくない。世間の一部には効果に着目し、公債はどれほど発行しても差支へなきものであるかの如き漠然たる楽観説を懐いてゐる者もあり、また今日政府の執つてゐる公債政策の如きはいまだ不十分であつて、どしどし公債を増発して国家の経費を大いに膨脹せしむべし説く者もあるやうである。
今まで公債に関する政府の考へ方と著しく異なる意見が世間に流布されてゐるやうである。その一例を挙げてみると、国債は国民の債務なるとともにその債権なるを以て、国債の増発も国民全体としては財の増減がない故に、内国債である限り国債の増加も国民全負担の増加にあらず、何ら恐るゝに足らずとの論である。

しかし、高橋是清は「楽観説」に異を唱えている。

これは国債を通じ債権と債務が併存するといふ事実だけはその通りであるが、しかるが故に国債が増加しても、財政上並びに国民経済上差支へないといふ結論が簡単に出でてくるものではない。
また常識より考へても、国家その他の公共団体の経済たると個人経済たるとを問はず、借金政策の永続すべからざることは当然である。

借金政策が永続できない論拠は利払費の増加である。

公債増発に伴つて利払費は漸増し、租税その他の収入もその利払ひに追わるゝ結果となるであらう。かくの如き事態が生ずると、国費中公債による部分がますます多くなり、財政の機能は行詰りに陥らざるを得ない。かくては国家財政の信用を維持し難く、公債の消化は行詰り、結局印刷機械の働きにより財源の調達を図らざるべからざる状態に至る。かくて、所謂悪性インフレーションの弊は必至の勢ひとなるであらう。

借金を雪だるま式に増やさないためには、元本は借り換えても、利息は新規借入ではなく税収から支払わなければならない。逆に、利払費を税収で十分に賄えているのであれば、国債増発の余地があることになる。

最近の利払費は8兆円弱で対税収比でも対GDP比でもピーク時の約半分に抑えられているので国債増発は十分に可能と言える。

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中野は高橋がMMTが見出した真理に至っていなかったとするが、そうではなく、MMTが誤りで高橋が正しい。

現代貨幣理論は、自国通貨を発行できる政府は、支出のために歳入を必要とはしないのであり、租税は支出のための財源確保の手段ではないとしているからである。
現代貨幣理論は、国家が貨幣を租税の支払い手段として定めることで、貨幣に相応の価値が生じるとするが、高橋はそのような表券主義的な理解には至っていなかった。

当時も政府は通貨を発行せず民間と同様に借りていた(主に民間金融機関による消化)からで、政府と民間の違いは信用リスクの有無である。自国通貨がある国の政府は平時は信用リスクを無視できるので、国債残高増加が信用リスクと国債金利の上昇に直結しないことを理解すれば、麻生財務大臣の疑問にも簡単に答えられる。

「現代は金本位制ではないので高橋是清は参考にならない」とはならないので念のため。「国家が貨幣を租税の支払い手段として定めることで、貨幣に相応の価値が生じる」も正しくない。


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