「狂信と平和ボケ」は財務省というより政治家と国民
中野剛志が怒り狂っているが、矛先を向ける相手を間違えているように思われる(意図的かもしれないが)。
本題に入る前にファクトチェックだが、日本は「過去二十年以上にわたってインフレどころかデフレ」ではなかった。また、実物面の制約に達すれば必ずインフレ率が高騰するとは限らないので、実物面の制約もなかった→余剰供給力が存在し続けていた→財政支出は長期にわたって少なすぎたとは断定できない。労働需給で見れば、2019年10月の消費税率引き上げ~新型コロナウイルス感染症の前には需給ギャップはほぼ消えていたと判断できる。
本題に入るが、防衛費が(中野が必要だと考える金額よりも)少なかったのは財務省が抑制してきたからではなく、歴代の政権(主に自由民主党)が「防衛費1%枠」を続けてきたためである。
財務省が(完全には)コントロールできないマクロ経済によって防衛費の天井はほぼ決まってしまうのだから、財務省を「防衛費の拡充を妨害している」と非難しても筋違いである。非難するなら、1%枠を続けてきた歴代政権とその政策を支持してきた国民を非難するべきだろう。
中野は「防衛費増額に資金面の制約はない」と力説しているが、戦時と平時の話を混同している。
戦時中なら防衛費増額のために国債を増発するのは当然であり、仮に財務省が財政再建を優先して抵抗するなら非難に値するが、平時において防衛費を増額するのであれば、国債増発ではなく対応する税財源を確保するのが当然である。対GDP比2%に倍増させるのなら消費税では+2%ポイントの引き上げが必要になるが、これは財務省が勝手に決められることではない。「増税するand/or他の歳出を削って防衛費に回す」を決めるのは政治家と国民である。
「狂信と平和ボケ」だったのは財務省というよりも政治家と国民ということである。
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