立花隆の『信長と弥助』書評
経済学者による的外れな「総括」では、ロックリーを擁護するために立花隆を「権威」として持ち出している。
👇が立花隆が絶賛したとされる書評だが、「絶賛」というのは大袈裟で、しかもロックリーのWikipedia編集に引っ掛かっていたことも見て取れる。
立花がロックリーを肯定的に評価した根拠の一つはWikepediaだが、それをロックリーが編集していたことを考察に入れていない時点で、田中の総括は問題外と言える。
「弥助伝説」を信じたい外人達
『信長と弥助』第三章「現代に伝わる弥助伝説」からは、主にロックリーが創作した「弥助伝説」とそれを信じる外人達の心理が見て取れる。
弥助は日本史において全く重要な人物ではないので、日本人の心を魅了し続けることはなく、崇拝されてもいない(弥助を崇拝する日本人がいるとしたら狂人か低能くらいだろう)。
ロックリーは自分の創作に「魅了された大勢の人々と交流する」ことで、エコーチェンバー現象的に創作を史実化する活動をエスカレートしていったのだと思われる。
弥助を知る切っ掛けのウィキペディアとフェイスブックはロックリーの活動場所だった。
以下は五人の情報提供者が「弥助伝説」をどのように受け止めているかについて。
一人目は「非ヨーロッパ人を犠牲者と位置づけるのではなく、彼らが大躍進する成功譚にスポットを当てる活動をしている」白人女性(日本人と結婚して日本で男性が大半を占める職業に就いている)。
二人目はプロの漫画家のアメリカ人男性。
三人目は「日本史に大変興味あり、信長とその時代を調べているときに偶然、弥助の存在を知った」英国人作家だが、ロックリー本人ではないかと思われるようなコメントである。「彼についての情報がほんのわずかしかない」のだから詳しく調べようがないのだが。
👇と読み比べるとロックリーとの類似は明らか。
四人目も同類。
五人目は日本史マニアのフランス人男性だが、弥助が織田家臣団において実質的な意味での「唯一無二の侍」になれるはずがないことも理解していない。
👆にリンクした記事も創作を史実と取り違えたトンデモ内容で、信長は弥助の身体能力と知的能力を高く評価して側近に取り立てたとしているが、状況証拠的には茶器の名物狩りのようなノリ(珍獣/芸人枠採用)で、軍事の指揮命令系統に入っていた可能性はほぼ無い。なお、この白人男性はAssassin's Creed ShadowsについてもLe Mondeに記事を書いている。
この人たちは「弥助英雄伝説」を信じたいから信じているので、史実ではないことを指摘しても「日本の極右レイシスト」の妄言としか受け止めない可能性が高く、非常に厄介な事態になっている。
付録:黒人奴隷の記述
同書112ページにも東アジアにアフリカ黒人奴隷が普及していたと読み取れる記述があった。