日本のリベラルが負け続ける理由

日本のリベラルが負け続ける根本には、現在のリベラルの主流の進歩派リベラルがアイデンティティ・ポリティクスとマジョリティへの「原罪」意識の植え付けに終始していることがある。

西洋全般に共通する原罪は白人至上主義(優越主義)で、個別にはアメリカでは奴隷制、西ヨーロッパでは植民地支配、ドイツではナチスによる「劣等な人々」の殺害が加わる。

アメリカでは人口の1割強が黒人で、西欧も大量の移民を受け入れて多民族化している。また、キリスト教による同性愛差別の歴史もあったので、マイノリティに対する差別・迫害の贖罪をマジョリティに迫る運動が支持を得る下地がある。

このポストモダンの政治的局面では、前述のようにプロレタリアのアイデンティティを基礎とした社会主義運動に代わる、マイノリティ(少数民族、同性愛者、障害者、女性)ないしは植民地化された住民による「アイデンティティ・ポリティクス」がその中核をなす。

一方、日本の原罪は最終的には大日本帝国の解体に至った軍国主義であり、再び戦争ができる国にするか否かが左右の最大の争点になっていた。重要なことは、軍事を原罪とする観念は日本のリベラル固有のもので、西洋やその他の国々のリベラルには存在しないことである。世界の基準では、軍備に積極的であることは保守であることを意味しない。

天皇制ファシズムの過去をもつ日本の思想界・学界においては、近代主義が主として依拠してきたメタ物語は、ファシズム・軍国主義への回帰、軍国主義復活というネガティヴなメタ物語であった。かくて、このネガティヴ・メタ物語を否定するところから、つまりこの物語への「違和感」「不信感」から、日本のポストモダンは誕生している。

帝国主義が原罪であることは西洋と同じで、支配・侵略した「韓国や中国に対する贖罪」も左右の争点になっていた。

軍国主義・帝国主義の贖罪を求める左派の戦術が21世紀になって急速に有効性を失ったのは、①終戦から半世紀が経過して戦争が風化した、②中韓に対する日本の経済的優位の喪失、③北朝鮮による日本人拉致の発覚、④中韓との領土問題、⑤韓国の執拗な日本叩きなどのため、多くの日本人が中韓朝に対して低姿勢であることに疑問を感じるようになったことが大きい。近年の国際情勢において「原罪を抱える日本は中韓の言い分を聞かなければならない」と叫ぶリベラルは、「我々は日本の敵」と公言しているようなものであり、国民の支持を得られなくて当然である。

日本のリベラルが西洋を真似して注力しているのが在日朝鮮人や性的マイノリティなどの差別を訴えるアイデンティティ・ポリティクスだが、西洋と違い、❶黒人のように外見では見分けがつかない(+数も少ない)ので日常生活では差別を意識する機会がほとんどない、❷宗教に基づく構造的差別が存在しないことから、差別のレベルが格段に低く、マジョリティに原罪意識を植え付けることが難しい。

最近では、国内にBLM運動を持ち込んで「黒人を差別するな」と騒いだが、黒人を奴隷にしたことも植民地支配したこともない日本人が原罪に目覚めてリベラル信者になるはずがない。ノンポリの一般人に「お前は黒人やトランスジェンダーを差別しているのだから贖罪せよ」と迫れば反発されて敵と認定されて当然である。そもそも、日本はキリスト教が広がらない国である。

つまり、多くの国民が「日本(人)は原罪を抱えている→贖罪しなければならない」というキリスト教系カルト的なネガティヴ・メタ物語に「違和感」「不信感」を感じるようになったことが、リベラルが支持を広げられない根本にある。リベラルは日本の敵・日本国民の敵なので、「敵の敵」の安倍首相が勝ち続けるわけである。

その安倍首相だが、「私はリベラル」「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」「日本をリセットして一変させる」と公言するように、既存秩序の解体(脱構築)を目指すラディカルなネオリベラルであり、ポストモダンの政治的局面における広義のリベラルという点では進歩派リベラルと同じ穴の狢である。右派ではあっても保守ではない

新左翼は、知識人および若者(とくに学生)を主体とする、思想、(政治)運動、文化のそれぞれの局面で、1950年代末から60年代初期において最初に開花した。そして、既存の秩序(そして今や既存の秩序の一構成要素となった既成左翼勢力)に対するラディカルな批判を展開した。それは主観的には、左翼自身の革新、左翼の革命的伝統復活の運動として登場した。
ところがその後の展開を見ると、新左翼は、一面では、19世紀から20世紀前半までのいわゆる(旧)左翼運動の伝統に致命的な打撃を与え、長期的には1970年代以降のネオ・リベラリズムによる保守勢力の復帰に貢献するという皮肉な役割を演ずることになった。

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