農業と観光で「立国」の論理

菅政権が安倍政権から引き継いだ成長戦略が、農産物輸出と外国人観光客を爆増させることである。

農林水産物・食品の輸出額は安倍政権期にほぼ倍増しているが、

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それを今後10年でさらに5倍以上に増やすことになっている。

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外国人観光客も10年後に2019年比でほぼ倍増させる目標が堅持されている。

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この二つと関係するのが、またもや金融資本主義である。

国家は課税政策のバランスをとる能力を失っているのだ(これも国家の政策能力不足の証左)。国家は自分が誘致していると思っている資金の動きに振り回されることになる。国家の税収レベルを維持するためには、国家はその他の分野で重税を課さなければならない。そこでヨーロッパでは、20年来、消費に対する税金である付加価値税(TVA)と労働に対する税金である所得税は増税されてきた。これらの税の対象となるものに共通する性格は、移動が簡単ではないということである。一方で、国家は気軽に移動できる資本に対しては減税している。資本に対しては減税、労働に対しては増税。企業に対しては減税、サラリーマンに対しては増税。すなわち、国家もまた、金融資本主義のさらなる強化に加担しているのだ。

課税政策だけでなく、産業政策も金融資本主義に左右されるようになっている。1999年に当時の速水日本銀行総裁が講演「日本経済の中長期的課題について」で指摘していたように(⇩)、日本は「資本にとって居心地の悪い場所になってしまった」ために、気軽に移動できる資本ではなく、移動が簡単ではない労働土地を用いる産業への転換を余儀なくされている。

「一人当たりGDPDが世界最高水準にあり、家計が金融資産を1300兆円も保有するほど、貯蓄が豊富な国において、なぜ国内投資の活性化が容易でないのか」という点ではないでしょうか。
その答えを先取りしてやや比喩的に言えば、「経済のグローバル化が進み、資本が国境を越えて自由に移動するようになる中で、資本蓄積の最も進んだ日本は、資本にとって居心地の悪い場所になってしまった」ということだと思います。
投資家からみれば、「日本では資本が効率的に利用されていない」ということに他ならず、資本移動が自由化された下では、海外の投資家だけでなく国内の投資家ですら、日本企業への投資を躊躇するということになると思います。

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工場は海外移転できるが農地や名所旧跡はできないことが、外貨を稼ぐ産業として農業と観光が消去法的に選ばれることにつながっている。

この路線は財政破綻した夕張市をなぞっているように見える。夕張メロンは成功したものの、市の経済を支えるには及ばず、衰退は止められなかった。1億2千万人の人口を農業と観光で支えられるはずがないことは自明である。

その後の夕張は迷走した。観光で生きて行こうと、テーマパーク「石炭の歴史村」や、特産の夕張メロンをアピールする「めろん城」などの「ハコモノ」にすがった。
だが、その戦略は裏目に出た。2006年。夕張市は財政破綻を表明し、翌年には財政再建団体(現在は財政再生団体)に転落した。市民は借金返済のために、日本一の負担を強いられる一方、公共施設は次々に閉鎖され、公共サービスは切り詰められた。市民は次々に夕張をあとにした。

夕張の炭鉱に相当するのが日本全体では製造業で、アメリカなどと同様の現象が生じている。日本はアメリカよりも「資本にとって居心地の悪い場所」なので、このままではアメリカよりも深刻な事態になることが予想される。

ライトハイザー氏の発言で重要なのは、「高い給料の雇用(high-paying jobs)」という言葉だ。この数十年にわたって繰り広げられてきた製造業の競争は「低賃金の競争」という面が大きい。先進国企業が持つ高度な技術やノウハウを中国やメキシコなどの新興国に持ち込み、低賃金の労働者を使うことによってコストは削減されてきたが、先進国の労働者の賃金も下押し圧力を受けてきた。それに伴う「企業城下町」や地方都市の疲弊は、先進国に共通してみられる現象だ。
自由な人、モノ、カネの移動を追求する市場原理とは距離を置き、労働者保護を唱える「左派」に近い主張である。

トランプ政権は「大多数の市民が、安定した良い給料の仕事につけるようにする」ことや安全保障が第一(America First)で、グローバリゼーションは第二というスタンスだが、安倍・菅政権はグローバリゼーション(あるいは投資家の私的利益)が第一で、日本が一等国から二等国に転落しても仕方ないというスタンスのように見える。そうでなければ、農業と観光で「立国」という発想は出てこないだろう。まさにリベラルの鏡である。

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