ニューヨークタイムズの差別的東大批判

被害妄想的ノイジー・マイノリティの数人の女の感想だけに基づいて(私が🦐デンス)東京大学と日本社会を性差別的と決めつける西洋リベラル特有の差別的記事である。日本を「教化」するための思想戦の一環でもある。

ハヤシさんは、

土木作業員の半数が女ではない
保育士の半数が男ではない
性犯罪者の半数が女ではない
性犯罪被害者の半数が男ではない

ことも「何か変」と思うのだろうか。

東大では、「何か完全にバランスが崩れていることが即座にわかります」と、文学専攻のハヤシさんは言った。「社会では女性が半数なのに、大学で20%しかいないというのは、何か変では」と言う。

もちろん、それらの偏りは生物学的差異を反映したものだが、東大に女が少ない理由も共通している。

ノーベル賞受賞者の大半が男であることに示されるように、学力でも分布の両端になるほど男が多くなることが知られている(Greater male variability hypothesis)。従って、入試の難易度が高くなるほど女の割合が減少するのは自然なことで差別とは言えない。ハヤシさんは文学専攻だから理解できないのかもしれないが。

さらに、アメリカでも北欧でも韓国でも日本でも、女は理工系よりも人文系を選好する傾向がある。東大は工学部と理学部で学生数の40%弱を占めるため、全体の女の割合が引き下げられてしまう。

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東大の入試は数学が比較的難しくウェイトも大きいことも、女が増えにくい一因になっている。

医学部と言えば大学入試としては理系かつ最高難度学部ではあるが、理系学科としては「生物・英語が得意」「数学的センスはイマイチだが代わりにひたすら暗記する」のような準理系の努力家タイプが集まりやすく、女子学生は特にその傾向が強い。よって、女性率を下げたい医大では、女子学生の得意な生物・英語を難しくしたり配点を下げて、男性の得意な数学・物理の配点を上げる・・・・・・という伝統的なテクニックがある。
Within this specific group of higher-performing math students, boys tend to perform better.
In general, boys tend to outperform girls on tests that are less related to what is taught in schools (like the SAT math test, for example) whereas there tend to be minimal gender differences on statewide standards-based math tests, which are more tied to what’s taught in schools.

OECDの学習到達度調査PISA2018では、読解力の平均点は36か国すべてで女>男だが、数学の平均点は37か国中31か国で男>女だった。

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最高レベルのLevel 6の割合はgreater male variabilityを反映してすべての国で男>女である。男女ともに1位は韓国。

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Level 6の割合の日本の順位は男が2位、女が6位で、男女差は日本が一番大きかった。逆に男女差が小さく、平均点では女>男の北欧は、女の成績が良いというより男の成績が良くないからであることも見て取れる。日本では、男子校が北欧のようなフェミニストによる男のdisempowerment(フェミニズム汚染)の防波堤になっていると思われる。

また、根強い伝統として、東大には例年いくつか決まった高校出身の学生が入学している。2019年入学の4分の1以上の学生は、わずか10校の出身であり、そのうち7校は男子校である。

そもそも、高学力者は東大に進学しなければならないと決めつけていることが間違っている。学業で成果をあげるよりも、人生で成果をあげる方が重要であり、それには東大進学が圧倒的に有利になるわけではない。例えば医師を目指すのであれば、何も東大医学部に進む必要はない。浪人することの時間的損失は出産する女の方が男よりも大きいことも考慮すると、東大を目指す女が少ないことは、日本の女が名より実を取っていることを示しているとも言える。リスク/リターンを冷静に評価した上で、東大とは別コースで人生の成功を目指す女の自由意志と多様性を否定するようではリベラル失格である。また、東大を目指すような女はAKB48の曲を聞いたくらいでは勉強意欲を喪失しない。「萌え絵を見続けた男は性犯罪者になる」と同レベルの妄言である。

熊田教授は、いくつかの説も挙げた。若い女性は、学業で成果をあげることは女性らしくないという考えを繰り返し刷り込まれる、と熊田教授は指摘し、人気女性グループのAKB48の曲の「学生時代はおバカでいい」という歌詞を例に挙げた。

これ(⇩)も難癖で、公正な選考には一発勝負が向いていることは、マラソンの代表選考からも明らかである。マラソンが同じレースでタイムという「一つの基準だけで判断する」から公正になるように、一度きりの試験で点数という一つの基準だけで判断するから公正になる。

ほとんどの受験生にとって、東大に入学するためには、何年も勉強した上で、一度きりの試験の機会しかなく、高校での成績や課外活動は考慮されない。
3年前にこの制度で入学したアダチアイネ(21)は、一度の試験でなく、学生を評価する基準を広げれば、より多くの女子学生を取り込むことができるかもしれないと、言った。
「一人を一つの基準だけで判断するのは、公平ではないと思います」と指摘した。

「高校での成績や課外活動」を考慮する総合評価が不正と階層の固定化につながることはアメリカが示している。アメリカ人に説教される筋合いはない。

あからさまな性的嫌がらせを受けているわけではないのに勝手に被害者意識を募らせているハヤシさんが過敏で被害妄想的なだけである。お嬢様育ちで人間関係の免疫が足りないのではないか。女が多い集団では、逆に男が女に弄られることに耐えている。

教室の中でも外でも、女性は、男性が性的な意味合いのジョークを飛ばしたり、女性の外見に言及する文化に耐えなくてはいけないのですと、ハヤシさんは言った。

これ(⇩)も男を悪者扱いしているが、男が「東大卒ということに恐れをなす」のは、東大女が「エリート男しか愛せない」ことを知っているからである。自分を見下して相手にしない可能性が高い女を敬遠するのは当然で、原因は男ではなく女の側にある女は他責的)。齊藤由紀子校長の「誰と結婚するか」も女の選り好みの強さ下方婚しないことを認めたものだろう。

合格が決まるとすぐに、彼女の友人たちは、結婚できないかもと忠告してきた。友人らによると、男性は、東大卒ということに恐れをなすのだ、と。動揺した彼女は、「東大女子は、結婚できるか」とグーグル検索し、それは、一般に知られているステレオタイプであることがわかった。
齊藤由紀子校長は、「女性の人生は、ずっと複雑なのです」「誰と結婚するか、結婚するかしないか、子供を産むか産まないかを決めなくてなりません」と話した。
エリート女の泣きどころは、エリート男しか愛せないってこと(笑)。男性評論家はよく、エリート女は家事労働してくれるハウスハスバンドを選べなんて簡単に言うけど、現実的じゃない。

この男子学生の不満は当然で、フェミニストの目標は『動物農場』の🐷のように自分たちが特権階級となって男を支配することだからである。彼女・彼らは真理を追求する学者ではなく革命家(運動家)なので、統計を捻じ曲げたり、都合が悪いデータは隠すなど、ありとあらゆる反則技を使ってくる。「目的は手段を正当化する」からである。

その意見は、聴衆をいらだたせた。ツイッター上では、男子学生らは、説教をされたと受け止め不満を発信した。「なんで俺たち男子学生を祝福してくれないんだ?」とある学生はツイートした。別の学生は「フェミニストのプロパガンダだ」と評した。
上野 家父長制も資本制も、私が嫌いな二つの敵。それを分析したら、どこが弱点なのかがはっきり理解できた。
古市 上野さんはずっと敵がいたわけですか。
上野 そう。だから戦略的には動きますよ。私は経験科学の研究者だから嘘はつかないけど、本当のことを言わないこともある。
古市 つまり、データを出さないこともある?
上野 もちろんです。
古市 やっぱり、上野さんの中には運動家という意識も強いわけですか。
上野 それははっきりそうです。ジェンダー研究はフェミニズムのツールですから。

このような偏った新左翼運動家のプロパガンダを真に受けないことも現代人に必要なリテラシーである。Douglas Murrayが警告しているように、資本制の代わりに家父長制の打倒を目指す思想闘争を甘く見てはいけない。

Just as Marxism was meant to free the labourer and share the wealth around, so in this new version of an old claim, the power of the patriarchal white males must be taken away and shared around more fairly with the relevant minority groups.
At its outset this new ideology was not taken especially seriously by its opponents. Some of its claims seemed so laughable, and its inherent contradictions so clear, that coherent criticism was almost absent. This was a mistake. It is an ideology with very clear ideological precursors, but still an ideology that - whatever else may be said for it - provides a lens for understanding the world and a purpose for an individual’s actions and life within the world.
The true error was in not realizing that some day its fruits would spill out into the rest of the society.

このような馬鹿げた記事(⇩)でも、繰り返しメディアに流れれば、世の中の空気は徐々に変わっていく。それが新左翼の戦略である。

西洋リベラル(フェミニスト?)がobjectiveではなくsubjectiveであることを示す、傲慢と偏見にまみれた記事であった。

付録

日本の大学は、アジアの選り抜きの教育機関に遅れをとっている。中国の北京大学では女子学生数は半数近く、韓国のソウル大学では40%、シンガポール国立大学では51%である。

ソウル大学の学生(undergraduates)に占める女の割合は36%だが、東大には無い分野で増やしていることも考慮する必要がある。

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トップクラスの大学に女に少ないことで批判される日本だが、2018年の合計出生率は日本1.42、韓国0.98、シンガポールの中国系0.98と圧勝している。

2017年のアメリカの白人の合計出生率は全米では1.67だが、名門大学が多いマサチューセッツ州は1.36で、これも日本が上回っている。

トップクラスの大学の女の割合と出生率がトレードオフであるなら、どちらを選択するべきだろうか。

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