アスリートの男女の待遇差

ジェンダー研究を勉強すると認知が歪む。

20位までの競技は総合格闘技、サッカー、アメリカンフットボール、バスケットボール、テニス、F1、ボクシング、ゴルフだが、男のトッププレイヤーと対等に戦える女は存在しない。

マッケンローはセリーナ・ウィリアムズは女では間違いなくベストだが、男の中では700位程度と評価していた。

Best female player ever — no question.
But if she had to just play the circuit — the men's circuit — that would be an entirely different story.

アメリカのリベラルはマッケンローの発言に怒り狂ったが、セリーナ自身が男のトッププレイヤーには手も足も出ないと認めていた。

“If I were to play Andy Murray, I would lose 6–0, 6–0, in 5 to 6 minutes,” Serena Williams told David Letterman on the Late Show last week. “I wouldn’t do Billie Jean any justice, so Andy, stop it. I’m not gonna let you kill me.”

大坂なおみと同じ実力の男子選手の収入が15位になることはあり得ない。事実は「男女の待遇差は深刻」の逆で、女が極端に高い下駄を履いている。

スポーツとジェンダー研究を専門とする城西大学の山口理恵子教授は指摘する。
「五輪は『より速く、より高く、より強く』をモットーに掲げ、男性性に価値を置いています。女性参加が増えるのはうれしい半面、そうしたスポーツ文化の下で女性スポーツはこれまで男性のミニチュア版と考えられてきたし、今でもその傾向はある」

「速く高く強く」が男性性の価値なら、女性性の価値とはエロに他ならない。

Male gazeを拒否しながら男と同等の待遇を要求するのは虫がよすぎる。女子選手からエロを抜けば男子中高生レベルなので高収入は期待できない。

スポーツ選手としての実力が劣るから収入も少ないだけなのだが、ジェンダー研究によって認知が歪むと、「速く高く強く」を競うこと自体が男性的で問題だという訳の分からないことを言い出すようになる。

ジェンダー研究のルーツ。

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。
私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。
女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。
以上のスポーツ哲学やスポーツ倫理学の研究者らが論じる、男女別競技に関する所論をまとめると、将来的、最終的目標は、男女別競技をなくしていく方向が示唆されている。現段階における暫定的措置としての方式も提案されている。
ただし、暫定的措置でもクラウディオ・タンブリーニの意見は異なる。彼は、女子がほぼ対等に競技できるものは直ちに男女別競技を廃止する。また、男女の競技レベルに差異が著しい場合は男女別競技とし、その差が減少すれば男女別を廃止するという提案である。彼は、子どもの頃から性別ではなく男女を統合する方式で競技が行われれば、男女はほぼ同じ競技レベルに到達するだろうと主張する。

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