まともな政治家の残念な誤解

もはや絶滅寸前の「日本国民のことを第一に考える国会議員」の一人である安藤議員が23日に内閣委員会で質問していたが、残念な点があったので指摘する。

誰かが借りることによって預金が創造される。

これは不正確で、正確には「誰かが銀行から借りることによって預金が創造される」である。誰かがノンバンクから借りても預金は創造されない。既にノンバンクの銀行口座にある預金が誰かさんの口座に移るだけである。

バブルの頃には企業がどんどん信用創造するのでバブルになってしまう。

信用創造するのは企業ではなく銀行(等の預金取扱機関)である。企業がイケイケどんどんになって借りようとする→銀行が応じて信用創造する→過剰流動性発生→地価や株価が暴騰(バブル)、という展開であった。

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今はまだ資金需要は非常に弱い。民間はまだまだ企業は借金をしない。つまりお金を作らない。市場にマネーを供給しない。

企業の資金需要が弱いのは、当期純利益がバブル期の3倍もあって営業キッシュフローが有り余っているので、借入が必要ないためである。企業の資金余剰は企業が弱気であることを意味しない。

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国債を発行するという行為は、国によって通貨を発行する行為である。

これも誤りで、国(政府)は民間と同じく銀行預金を借りている。国債を銀行が買えば預金が創造されるが、保険会社や個人など非銀行部門が買っても既存の預金が(中央銀行の当座預金を介して)移動するだけである。

国債残高というものは、国が発行して民間に供給した通貨のうち、税で回収しなかったものの残高にすぎない。

MMTでは徴税は「国が発行して民間に供給した通貨の回収・消却」とされるが、預金を発行しているのは銀行なのでこれも誤りである。預金が消えるのは借入が返済されて(消えて)銀行のバランスシートが両建てで縮小する場合である。

政府には確実にキャッシュを稼ぐ能力=徴税権があるために信用リスクが(平時は)ゼロである点が民間とは異なるが、その他の点では民間と同じように銀行預金のuserとして振舞っている。社債が企業の借金(有利子負債)であるように、国債は国の借金であり、このような(⇧)奇妙奇天烈な解釈は不要である。

MMTは現行システムとは別の(空想上の)通貨システムに関する理論体系なので、現実の政策論を論じるには有用ではない。

補足

国には通貨発行権があるのに歳出の財源として通貨を発行しない理由は、①中央銀行の金融政策によるマネーストックのコントロールを妨げない、②インフレ税の徴収を避ける(あるいは通貨価値の希薄化を避ける)、などである。国債利息はインフレによる通貨価値の減価分の補償であって金融機関への補助金ではない。国債廃止論者はこの意味を全く理解できない陰謀論者である。

商業や金融業が主要産業でない社会では、金利も重視されない。
金利はラテン語で「ウスラ(USURA)」と言う。
ウスラの禁止は、経済理論の観点からは、資源の最適配分をゆがめ、経済成長のブレーキ役であったと言えそうだ。

政策金利をゼロに固定して財政政策と産業政策で総需要を管理することは、資源の最適配分を歪める統制経済に他ならず、論外である。無リスク資産の金利をゼロにすることは経済もゼロ成長にすることを含意する。

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