池上彰の誤解説(前):デフレ

池上彰が8月15日放送の「池上彰のニュースそうだったのか!!」で誤った解説をしていたので、経済に関する二点について指摘する。今回は前編。

「今の日本はインフレorデフレ?」との問いにゲストの若手芸能人5人中4人がインフレと回答していたが、池上は「デフレから抜け出せないまま」「デフレが深刻だったのでなかなかインフレにならない状態」との説明をしていた。

しかし、消費者物価指数は緩やかながら上昇基調にあるので、持続的に下落するデフレが続いているとは言えない。

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デフレが良くないのは「値段が下がる→会社の儲けが減る→給料が上がらない→お金を使わない→値段が下がる→・・・」の悪循環にはまり込むためと説明していたが、これも日本経済の実態とは異なる。

確かに、賃金・俸給は総額でも1時間当たりでも20年以上も低迷が続いているが、

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企業利益と配当は著しく増大している。

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(分配所得=配当+準法人企業所得からの引き出し)

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つまり、デフレで企業が儲からないから給料が上がらないのではなく、企業が儲かっても給料を上げない(というより給料を上げないから利益が増える)から物価も上がらないというのが実態である。かつては従業員の給料になっていたお金が構造改革によって株主配当と内部留保(→主に現預金と対外直接投資)に回されるようになったことが、給料と物価が上がらなくなった根本原因である。デフレの「主犯」は企業(と株主至上主義)であって日本銀行ではない。

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池上はそのことを隠蔽する世論工作員ではないかと疑われても仕方がない。

後編は再び「国の借金と日本銀行の役割」について取り上げる。

参考

ケインズは『一般理論』に「危険なのは既得権益ではなく思想」と書いたが、日本の給料が上がらなくなったのも、多くの日本人がリベラル思想を支持したことと関係している。(以下、強調は引用者)

競争的成果に対する企業の関心が強まるにつれ、それはある程度人事政策にも及んでいきました。こうした賃金制度の変更は、社会構造、とりわけ家族構造における長期的な変化と同時に起こり、またそれによって加速化されました。一方に、一家の稼ぎ手である夫ー専業主婦という家族モデル、もう一方に、年功要素の強い賃金制度、この二つの間には強固な機能的な相互補完性が常に存在していました。それは日本の労働組合が賃金交渉で使った「標準労働者」の概念にはっきり表れています。両性の平等を要求するフェミニスト運動に加え、出生率の低下、そして離婚率の増加などに明らかな個人主義の一般的な高まり、これらはすべてこの家族モデルの標準としての力を弱めるように働きました。それと同時に年功序列型賃金制度から成果主義による個人間競争への移行は、このモデルの持続性を一層困難にしたのです。
イギリスで1980年代に始まった業績給の流行が、日本に上陸して人事部の世界を制圧しはじめたのは1990年代の後半でした。「年功制度の廃止、業績給の導入」を勇ましく宣言する企業が続々と出て、競争が激化する中で、年功賃金のような半封建的で不合理な制度を残しておく余地はないという主張が常識となりました。
世帯を養える賃金を男1人に払う家族給に支えられた 「男性稼ぎ主モデル」こそ、女性差別の根源なのですよ。
正規雇用者の給料を下げて、夫に600万円払っているのなら、夫に300万円、妻に300万円払うようにすれば、納税者も増えます。
賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう?
私が、若い人に1つだけ言いたいのは、「みなさんには貧しくなる自由がある」ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と。
「知的影響から自由なつもりの実務家は、だいたいはもうすたれた経済学者の奴隷なのだ。……いずれわかることだが、善悪どちらにとっても危険なのは、既得権益ではなく思想である」とジョン・メイナード・ケインズも言っている。

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