『オペレーションZ』と財務省のプロパガンダ

財務省のロジックを知る上では有益な記事である。

本来は、負担していただく範囲内で行政サービスを提供するのですが、経済や社会が大きく変化すると、歳入と歳出に差が生じて、それが財政赤字になります。これは借金として、将来返済する世代に負担を負わせることになります。

国家(中央政府)は途絶えない収入源(←徴税権)を持つ永続的存在なので、借金は借り換えを続けて完済を半永久的に先送りできる。借金は親→子→孫→曽孫→玄孫→・・・へとリレーしていけばよいので、将来世代には「親の借金を子が返済する」という意味での負担は発生しない。各世代は利払費だけを負担すればよい。

これ(⇩)をグラフに示す。

平成の30年間を振り返ると、最初のころはバブル経済で、当時、過去最高の60兆円という税収を記録しました。その後、バブル崩壊によって税収は落ち込みますが、平成の最後になってようやくもう1回60兆円を超えた(平成30年度)わけです。
ところが、一般歳出の予算規模は平成の初頭で70兆円くらいでしたが、今は約100兆円と、30兆円も増えています。このほとんどが社会保障予算の増加によるものです。社会保障予算は、平成の30年間で3倍になりました。逆に、社会保障以外の政策的な経費は総額で見ると平成の初頭と変わっていません。

1990年度と2018年度の一般会計の租税及印紙収入は約60兆円でほぼ等しいが、歳出は30兆円もふえている。

画像1

歳出で増えているのは社会保障関係費と国債費である。

画像3

画像4

「入」では、消費税の増収分が所得税と法人税の減収とほぼ等しい。

画像2

画像10

画像13

実は、『オペレーションZ』は、連載中にこちらの思いが読者に届いていないんじゃないかと無力感が募る小説でした。つまり、問題はわかっており、反論はあっても、国の借金を返すのが最善の策で、収支のバランスを正すのが是であるのは間違いないわけです。問題は、総理大臣や財務省がリーダーシップを取ってそれをどう動かせるか。

国の借金は完済する必要はないので、借金返済は最善の策ではない。思いが読者に届かないのはよいことである。

何よりもそのバランスシートを見てもらえばわかるんですが、国は債務超過になっているんです。

画像5

連結ベースで約500兆円の「債務超過」だが、資産に「将来の税収の現在価値合計」が計上されていないことに注意。徴税権という資産の存在を無視して「国は債務超過」ということがナンセンスであることは、財務官僚はよく知っていることである(確認済)。

政策予算を増やせない中で、財源をいかに効率的に使って成果を最大限に出すかというのは、すごく大事なことです。もちろん収益の出ない公共的な施設を作るときには、公的な資金でやるしかありませんが、最近では、PFI(Private Finance Initiative)という手法で、民間の資金と経営手法を一部入れています。

PFIが財源を効率的に使って成果を最大限に出すとは限らないことは、PFI先進国のイギリスでも指摘されている。

私たちが財政再建の必要性を訴えるとき、「借金を増やすと利払い費が増え、ほかの予算支出を圧迫します」とか「民間の資金を国が取ってしまうので、クラウディングアウト(市中金利が上昇して民間の資金需要を抑制すること)が起きます」などと、財政学の教科書どおりに説明しますが、2010年代前半の欧州債務危機では、ギリシャなどで違うことが起きました。

借金(公債残高)が増えても利払費は増えていない。対税収比は低下しているので、他の予算支出を圧迫していない。

画像6

画像13

画像8

そもそも、民間資金は銀行が信用創造して貸し出せば増えるので、不足して金利が上昇するとは限らない。実際、日本では貸出金利は低下している。

画像14

しかしギリシャでは、財政危機によって金利が上がってしまったために国は借金をできず、結果、公的資金で金融機関を救うこともできなくなりました。

ギリシャが財政危機になったのは、ユーロを他国と共同利用する地方自治体のように立場になっていたからである。そのため、財政悪化が信用リスクの上昇につながり、夕張市のように財政破綻してしまった。

しかし、自国通貨と枯渇しない収入源(←徴税権)を持ち、永続的存在の国の信用リスクは事実上ゼロになる。金利を上昇させるのは信用リスクではなく、国債濫発→過剰流動性によるインフレリスクである。

膨らんできた国債発行をこの何年かで抑え、プライマリーバランス(基礎的財政収支)もまだ赤字が残っていますがある程度まで縮小させてきたのも事実です。

画像11

画像12

財務省が虚実を織り交ぜて誘導しようとしていることが感じ取れる。

オペレーションZ

小説『オペレーションZ』は、ある意味でなかなか面白い。

内閣総理大臣に就任した江島隆盛が財政破綻を回避するために一般会計歳出を半減させようとする→与党内の造反にあう→解散総選挙・造反議員の選挙区には刺客を送り込む→過半数割れ→党総裁を解任される→離党・新党結成

という流れだが、歳出の1/4は削減できない国債費なので、半減するためには残り3/4を1/4にしなければならない。そのため、社会保障費と地方交付税をゼロにするという気違いじみた「改革案」の実現に財務省の若手官僚が奮闘することになる。

大物SF作家の桃地実の遺作となる新聞小説『デフォルトピア』では、改革が進まなかったために日本が破綻国家となるシナリオが描かれているが、むしろ改革によって社会が崩壊してしまうようにも読める。気違いに刃物(権力)を与えてはいけないという教訓である。

この小説が笑えないのは、日本人は小泉政権や民主党政権による公共事業費半減を熱狂的に支持した実績があるためである。1980年代前半には「メザシの土光さん」ブームもあったが、日本人には削減・縮減を好む国民性があるらしい。

画像9

画像15

小説では改革を断交しようとした江島首相が総選挙で過半数割れに追い込まれて改革にブレーキがかかるが、2005年の郵政選挙では逆に「抵抗勢力」が一掃されてしまい、「株主を儲けさせるための」改革が止まらなくなってしまった。

民営化、自由化、規制緩和、自由な資本移動、関税障壁の撤廃などは、株主を儲けさせるための世界的な手段となっている。
大企業の経営者は増大する金融資本主義の圧力にさらされ、株主を優先することによって、大企業は従業員に対して雇用の安定や年功序列制度を確保した上で、彼らの利益を考慮に入れるということができなくなってしまった。
資本に対しては減税、労働に対しては増税。企業に対しては減税、サラリーマンに対しては増税。すなわち、国家もまた、金融資本主義のさらなる強化に加担しているのだ。

改革が進まないから「日本破滅、待ったなし」なのではなく、このような改革(⇧)を止められなくなったから破滅に向かっているというのが実情だろう。

ドラマ版では、帝国生命が投げ売りする1兆円の国債を日本銀行が買い取ろうとするところを、副総理で財務大臣の江島が「日銀が買うとヘッジファンドの標的にされる」と横槍を入れ、スイスのヘルベチカ銀行に「外資系金融機関が有利になる規制改革を約束するから1兆円買ってくれ」と頼むことになっているが、そのような売国奴が救世主として描かれているところに価値観の狂いを感じざるを得ない。

なお、オペレーションZのZは「後がない」という意味だが、ZaimushoのZと思いながら読んだ読者も多いのではないだろうか。

補足

個人:借金完済までの期間が有限→借金が増えると完済できなくなるリスクが高まる→借入金利上昇

企業:借金完済までの期間は定まっていないが、返済の原資の営業キャッシュフローが不足するリスクがある→借金が増えると信用リスクが高まる→借入金利上昇

国家:借金完済までの期間が定まっていない&返済の原資が枯渇するリスクは無視できる→借金の増加が信用リスクと金利上昇に直結しない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?