脱藩官僚の日本経済分析は嘘だらけ

自分たちが関与した「改革」の悪影響がバレないように、全力で日本銀行を犯人に仕立て上げているようだが、中央銀行による金融政策でかなりマネーをコントロールできないことは、日本だけではなく他の先進国の事例からも明らかになっている。主犯は日銀ではない。

ここで、重要なことは、中央銀行による金融政策でかなりマネーをコントロールできるのだ。要するに、デフレの時代、失われた時代の犯人は中央銀行が主犯であると、筆者は30年近くも言っている。

賃金は1人当たりGDPと同じ概念ではない。雇用者報酬はGDPの約半分に過ぎない。

名目賃金は、一人当たり名目GDPと同じ概念なので、名目賃金が低いのは、名目GDPの伸びが低いからとなる。

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景気後退が始まった1991年から伸び率は低下したものの、1997年まで賃金は増えていた。決定的な転換点は1997年11月の金融危機である。

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日銀は景気の変調が実感され始めた1991年7月には利下げに転じ、1995年9月には短期金利を0.5%に引き下げた。1996年になると失業率の上昇も止まったが、1997年の消費税率引き上げ→アジア通貨危機→金融危機でバブル崩壊への対症療法が限界を超えてしまった。

労働が経済活動からの派生需要である以上、経済が伸びなければ賃金は伸びない。つまり、賃金が低くなったのは、1990年代から名目成長がなくなったデフレの時代、失われた時代の象徴とも言える。

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金融危機を契機に、企業は根治療法として債務・設備・雇用の「三つの過剰」の解消と利益率重視経営へと事業再構築・構造転換したが、これはマクロ経済にはデフレ圧力となる。賃金が伸びなくなったのはこのためで、日本銀行の金融政策とは直接の関係はない。

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2000年前後の企業のリストラ期を境に、ROEと借入金利が乖離するようになったことに注目。グローバル化した企業がグローバル資本の論理で動くようになったために、日銀が利下げしても株主資本コストは下がらなくなった。これが失われた時代の主犯である。

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1998年に相川会長(当時)が「ROEなど眼中にない」と語っていた三菱重工が、現在では2023年度に事業利益率7%・ROE12%を目標に掲げているのが象徴的である。

それ以外も嘘だらけである。👇は完全な歴史修正。1990年の大発会からの株価大暴落が「想定どおり」の「適正化」だったはずがない。

株価の上昇は、当時の証券会社が行っていた「営業特金」が違法まがいの取引として横行していたのが主因だ。
そこで、その適正化のために、1989年年末に取引規制が行われ、ある意味で「想定どおり」に株価は下がっていった。

物価は安定していたが、debtとequityのコスト低下のために企業は過剰な資金調達と設備投資を行っていたので、金融引き締めの必要性がなかったことにはならない。引き締めが遅れたことは、バブル崩壊後に過剰な債務と設備が不良債権問題となって日本経済の足を引っ張ったことが示している。

バブルといわれていた当時の物価は安定していた。にもかかわらず日銀は、そこで金融引き締めを行ってしまった。
もし、その当時に今のようなインフレ目標が導入されていたらどうだったのか。そもそも金融引き締めの必要性がなかったわけで、日銀が行った金融引き締めは余計だった。

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「嘘も100回言えば真実になる」で、このようなデマを信じ込んで日銀批判に同調した人も少なくないが、日銀がバブル崩壊後に金融を引き締め続けていないことは政策金利の推移からも明らか。バブル崩壊後にマネーストックの伸び率が低下したのは、企業がバブル期の過剰な借入と設備投資の反動でストック調整に入ったからである(これが激化したのが金融危機後のバランスシート不況)。

バブル崩壊時の金融引き締めは「正しかった」ので、その後も金融を引き締め続けたというわけだ。長期にわたる日銀の間違いは極めて強力であったので、上に述べたように、マネー伸び率を世界で圧倒的にビリにするほどだった。

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👇これも大噓で、リーマンショック後に日銀は利下げ(0.5%→0.1%)など金融緩和している。「猛烈な円高」が、円キャリートレードによる過度の円安の修正に過ぎないことも、実質レートの水準で見れば明らか。経済不振になったのは「刷り負け」たからではなく、外需に依存し過ぎていたため。そもそも、ブタ積みの増額は金融緩和を意味しない。

リーマンショックですべての先進国が猛烈な金融緩和をする中で、日本だけが金融緩和せずに、猛烈な円高を招き、日本だけが「刷り負け」て、リーマンショックの震源地でもないのに経済不振になってしまった。

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未だにこのような明明白白の嘘が堂々と垂れ流されるのは、騙される情弱が少なくないからだろう。

リフレ派は、2%程度のインフレ目標を入れて、失業率を最小にした経済成長を目指している。
こうした基本政策をやらなかったから、失われた20年間でデフレになり、その結果、名目GDP伸び率が世界でビリ、賃金の伸びもビリになった。それが今の現実だ。
第1章 江田憲司 通商産業省脱藩・衆議院議員
第2章 高橋洋一 財務省脱藩・東洋大学教授
第3章 岸 博幸 経済産業省脱藩・慶応義塾大学教授
第4章 上山信一 運輸省脱藩・慶応義塾大学教授
第5章 福井秀夫 建設省脱藩・政策研究大学院大学
第6章 寺脇 研 文部科学省脱藩・映画評論家
第7章 木下敏之 農林水産省脱藩・IT企業役員
第8章 石川和男 経済産業省脱藩・新日本パブリック・アフェアーズ上級執行役員
緊急アピール「官僚諸兄へ……率先して自らの身を切れ!」
脱藩官僚の会(だっぱんかんりょうのかい)
「官僚の手の内を知り尽くした人間だからこそ、国民のためにできることがある!」。官僚・族議員主導の政治を国民主導の政治に変えるために八人の元官僚が設立。天下りの全面禁止や税金の無駄づかいの一掃など霞ヶ関改革の方針を打ち出している。霞ヶ関に対峙しうる恒久的なシンクタンクへの発展を目指し、中央官庁を自発的に退職した官僚の受け皿になる。当面は公務員制度改革、地方分権改革、規制改革、消費者庁設立問題などに取り組む。正式名は「官僚国家日本を変える元官僚の会」。

Rent-seekerの会
国益・公益よりも私益

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