MMTは地動説ではなく天動説

財務省が四半期毎に公表する「国債及び借入金」を「国の借金」と表現することを批判する論者がいる。特に、現代貨幣理論(MMT)を信奉するMMTerに多いようである。

批判の背景には、「国」という言葉が狭義では「中央政府」、広義では「民間部門と公的部門を合わせた総体としての国」の二通りに使われていることがある。本当は「中央政府の借金」であるものを、国民一人一人が返済しなければならない債務のようにすり替えた悪質な印象操作だという批判である。

この批判には一理あるが、実はMMTの根幹にも同じすり替えがある。

MMTの根幹は、

国はマネーのissuerなので、財政支出はself-financingすればよい
徴税とは以前に発行したマネーの回収
税がマネーの価値を保証する

などである。ここでの「国」は中央政府と中央銀行を連結した「統合政府」を指している。

Federal govt is the sole issuer of U.S. money so it can never run out
Money is created by fiat
Taxes do not pay for spending.
Govt does not need our money. 
The sovereign government cannot become insolvent in its own currency; it can always make all payments as they come due in its own currency because it is the ISSUER of the currency, not simply the USER (as a household or private business is). This issuing capacity means that the government does not face the same kinds of constraints as a private sector user of money, which in turn exposes the fallacy of the household analogy, so beloved in popular economics discourse.
Indeed, if government spends currency into existence, it clearly does not need tax revenue before it can spend. Further, if taxpayers pay their taxes using currency, then government must first spend before taxes can be paid. Again, all of this was obvious two hundred years ago when kings literally stamped coins in order to spend, and then received their own coins in tax payment. 

日本でも8世紀にはMMTが主張するような"spending first"や"taxes drive money"が実践されていた。

政府事業への物資や労働力の提供に対して朝廷は銭を渡し、納税や位階・官職の対価として銭を受け取ることで朝廷は債務を弁済するという、政府側の負債から始まる回路が銭の価値を保証する。銭の素材価値が保証するわけでは必ずしもない。このことから、和同開珎は政府の債務証書である、といえる。

しかし、これらは200年前には自明であっても、その後に進化した現代の通貨システムには当てはまらない。「お金」と聞くと、多くの人は目に見えない銀行預金ではなく、目に見える現金をイメージするため、「マネーは政府や中央銀行や政府の創造物」と思ってしまうようだが、『通貨の日本史』にもあるように、民間が創造したマネーも広く流通してきた。民間マネーには"spending first"や"taxes drive money"とは別の原理が働いていることが重要である。

しかし政府や中央銀行が通貨の発行をここまで管理するようになったのは、歴史上ごく最近のことである。本書で見たように、歴史はむしろ、民間が創造した通貨を政府が追認し採用する繰り返しであった。

現代の通貨システムでは民間が創造したマネーが主役になっており、中央政府は通貨発行権を封印して、民間と同じように市中から銀行預金を借り入れたり、税を徴収して財源にしている。市中での経済活動に用いられるマネーは市中銀行の信用創造に由来しており、中央政府が財政支出のファイナンスのために自ら発行したマネーを発行したり、中央銀行に国債を直接引受させてマネーを調達することは原則禁止されている(self-financingの禁止)。中央政府は自由にマネーを発行できるissuerではなく、市場規律に従って国債を発行してマネーを調達するuserになっているのである。

要するに、MMTは広義の「国」が自国通貨を発行できることを「統合政府が通貨発行権を行使している」にすり替えて理論を構築しているのである。

MMTの教祖はMMTを地動説にたとえているが、時代錯誤の誤った前提の上に理論を構築しているという意味では、むしろ天動説と言うべきであろう。

In MMT, we don’t think about taxation as providing the government with revenue. A government that issues its own currency clearly does not need to tax. Taxes allow the government to regulate how much net spending happens in the economy. 
I think that the Copernican moment is coming, where we start thinking of taxes as a way to affect distribution and to guard against inflation risk. It requires as big a leap in our thinking, maybe as big as the Earth and the sun.
その予測は、今後も実現することはないであろう。貨幣についての理解が、「天動説」並みに間違っているからだ。
日本で、現代貨幣理論が「極端」「過激」な主張として紹介されることが多いのも、わかるであろう。天動説を信じている者からすれば、地動説は「極端」「過激」に違いない。
しかし、その日本は、量的緩和の失敗といい、巨額の財政赤字の下での低金利といい、経済学の「地動説」たる現代貨幣理論を実証(主流派経済学を反証)しているのだ。

MMTは"operational realities"と称して中央政府と中央銀行のオペレーションに独自の解釈をしているが、それは天動説が辻褄合わせのために様々な工夫をこらしたようなものであり、現実のありのままの描写ではない。

とはいえ、天動説が天体の動きをかなり正確に説明できたように、MMTから導かれる結論もかなり正確である。(だから優秀な人たちが騙されるわけだが。)

現行制度では中央政府も民間企業や個人と同じように市場で銀行預金を調達するが、両者には金利に反映されるリスクに決定的な違いがある。

中央政府の税収は企業の営業キャッシュインフローに相当するが、税は経済全体から徴収するため、稼げなくリスクがある一般企業と比べるとはるかに途絶えにくい。ウォーレン・バフェットのたとえを使うと、有料の橋を保有する消費者独占型企業の超強力版のようなものであり、経済活動が大幅に落ち込んで回復の目途が立たないような異常事態にならない限り、収入が枯渇して支払不能に陥るリスクはほぼゼロと見做せる。

別の表現をすると、中央政府は市場の全銘柄から構成される市場ポートフォリオのようなものなので、個別銘柄よりもリスクが小さくなる。消えないリスクがシステマティック・リスクだが、これは戦火で国土が荒廃したり、ジンバブエやベネズエラのように主要産業が崩壊するような異常事態にならない限り、ほぼゼロとしても差し支えない。

ジンバブエの農地は、その大半の所有が黒人に移りました。ところが、中には農業をよく知らない人たちも多かったため、うち捨てられる農地が続出。かつてはトウモロコシや小麦を豊富に産出して「アフリカの穀物庫」と呼ばれ、タバコや綿花も盛んにつくられましたが、収穫量は土地の接収後に半減したと言われます。

一方、中央政府は個々の民間企業や個人よりも桁違いに多額の借り入れをして市中のマネーを増加させることができるので、民間では無視できる「インフレを昂進させてしまうリスク」を無視できない。

つまり、平時の中央政府は「信用リスクは無視できるがインフレリスクは無視できない」ことになるが、これはMMTの「統合政府はマネーを発行できるのでデフォルトリスクは存在しないが、過剰発行によるインフレリスクは無視できない」とほぼ同じことになる。

このように、MMTは結論だけを見れば正しいようだが、理論の根幹が誤っている以上、政策の議論の俎上に載せるべきではないだろう。現実の通貨システムの理解からも「国債残高の増加はデフォルトリスクの上昇に直結しないので、国債金利がインフレリスクを警告するまでは拡張的財政政策をするべき」という同じ政策的インプリケーションを導き出せる。経済政策に「嘘も方便」はふさわしくない。

また、MMTでは中央政府がマネーの量をコントロールすることで経済を常に完全雇用に保てる全能の存在のように描かれているが、

企業が内部留保を貯め込むのも、賃上げをしないのも、積極的な投資を恐れているのも、ひとえに、デフレという経済環境のせいだからです。
平成の日本企業がダメになったのは、経営者のせいではありません。デフレ脱却に失敗している政府のせいなのです。

現実には企業(特にトヨタのようなグローバル企業)はマクロ経済政策に振り回される非力で受け身の存在ではなく、経済構造を変えるほどの影響力を持っている。

民間部門の構造問題を軽視するMMTは対症療法のようなものであり、原因を取り除く根治療法ではない、という限界の認識が重要である。


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