日本経済の衰弱の原因は企業の「癌化」

日本経済は第二次安倍政権が発足した2012年12月から戦後最長の景気拡大を続けていると見られるが、1990年代後半からの相対的凋落は止まっていない。

現在が過去の景気拡大期と決定的に異なるのは、就業者1人当たりの実質GDPがゼロ成長になっていることである。日本経済は質的に成長できない体質の変化してしまったことになる。

日本経済の衰退について、多くの経済学者が財務省(財政政策)and/or日本銀行(金融政策)の引き締め志向に原因があると主張してきたが、彼らが見落としていたのは、日本は民間主導の資本主義経済であり、企業行動がマクロ経済にも大きな影響を与えることである。

この点に着目して最も的確な分析をしていた一人が北野一である。

株式市場では、その保有構造の変化を通して、金融引き締めが進んでいたのである。株式市場における金利を直感的に理解するには、PER(株価収益率)の逆数を見ればよい。PERが50倍なら、要求されている利回りは1÷50=2%だ。それが、PERが10倍なら、利回りは1÷10=10%だ。1990年以降の日本では、この簡単な数字で示したような金利上昇が現実に起きた。経済活動が低迷し、デフレにならないほうが、おかしいだろう。
要するに、国際競争をしているのは企業で、企業の目的は利益(株主の取り分)の最大化なので、その尺度となるROEを高めるためには、株主以外のステークホルダー、すなわち従業員や取引先企業は我慢してくれということではないか。国際競争という言葉は、国民に我慢を強いる文脈で使われがちなことに注意すべきだろう。まさに、現代版の「欲しがりません勝つまでは」である。果たして、国際競争という曖昧な言葉のもとで、株主への分配を重視し、国民が我慢する社会はフェアなのだろうか。

東京証券取引所市場第一部の株式益利回り(PERの逆数)は、近年では6%前後で、銀行の貸出金利に比べると大幅な「高利回り」になっている。

銀行の貸出金利の趨勢的低下は日本経済の成長率低下を反映したものだが、

企業の資本効率を示す総資本利益率は2000年代に反転上昇して、高度成長期の水準を回復している。

この二つのグラフを重ねると、企業が達成している資本効率と利益水準がマクロ経済のパフォーマンスに比べて高過ぎることが明確になる。

日本経済の潜在成長率が1~2%になったのであれば、総資本税引前当期純利益率は2.0~2.5%程度が適正水準になるはずだが、現実にはその約2倍の水準になっている。この高水準の利益を達成するために、従業員や取引先企業が我慢を強いられているわけである。

国民が我慢を強いられていることは、国民可処分所得に占める家計の割合の低下にも示されている。

人件費は企業利益よりも変動が小さいため、労働分配率は好景気に低下し、不景気に上昇する傾向がある。国民可処分所得に占める家計の割合が目立って低下したのも5つの景気拡大期だが、前の3つと後の2つには質的な違いがある。

1958年7月~1961年12月:岩戸景気
1965年11月~1970年7月:いざなぎ景気
1986年12月~1991年2月:バブル経済
2002年2月~2008年2月
2012年12月~

前の3つでは家計の取り分は相対的には縮小したものの、絶対的には増大したため、国民は好景気を実感できた。しかし、後の2つでは企業利益が著しく増大しても人件費が抑制されたため、家計の取り分が絶対的にもほとんど増えない「実感なき景気拡大」となった。

2000年代以降の日本は、株主利益の最大化のために従業員に我慢を強いるアンフェアな社会になったと言ってもよいだろう。

企業が人件費を増やさないことが経済を拡大させない悪循環の原因であることは、野口悠紀雄も指摘している。

人件費が増えないから、消費が増えず、したがって売り上げが顕著には増えない。このため、経済が量的に拡大しない。このような悪循環に陥っているのだ。
人件費が増えないことは日本経済の構造的な特徴になっている。

日本経済を人件費が増えない構造に変えた主犯は財務省でも日本銀行でもなく、日本のトップ企業・トヨタ自動車の奥田会長(当時)である。

グローバル競争に勝つために、人件費はできるだけ抑える。利益1兆円が確実なトヨタを率いる奥田氏の強い姿勢は、ほかの企業にも伝播する。それは一つはベアゼロであり、労働の非正規化=非正社員を増やすことであった。
トヨタがつくった賃金抑制の流れは、企業業績が増益に転じ始めた03年以降も猛威を娠るうことになる。

賃金抑制の猛威が日本経済を蝕むメカニズムは、人体にたとえると理解しやすい。

下に「国立がん研究センターがん情報サービス」の「知っておきたいがんの基礎知識」から、がん(悪性腫瘍)の3つの特徴のうち2つを引用するが、

自律性増殖:がん細胞はヒトの正常な新陳代謝の都合を考えず、自律的に勝手に増殖を続け、止まることがない。
悪液質(あくえきしつ):がん組織は、他の正常組織が摂取しようとする栄養をどんどん奪ってしまい、体が衰弱する。

日本経済は人体、企業は癌細胞、家計は他の正常組織に相当する。構造改革によって企業の遺伝子が雇用重視から株主重視に突然変異を起こし、経済全体の都合を考えなくなって、株主利益の最大化のために家計所得をどんどん奪ってしまうため、国民は貧困化し、日本経済は死に向かって衰弱しているわけである。

北野はこのように分析しているが、

なぜ、エコノミストたちは、このことに気がつかないのか、それは、資本コストに留意し、株主の期待に応えることは正しいことだと頭から信じているからである。

実際、日本を代表する経営学者もグリーンメーラーと同じ思想になっている。

逮捕から8年後の2014年8月。かつて「異端」だった村上氏の主張は世の中の本流へ躍り出る。伊藤邦雄・一橋大学教授(当時。現同大特任教授)が座長を務めた経済産業省の研究会で、最終報告書の通称「伊藤レポート」は、「グローバルに通用する指標はROE(自己資本利益率)。グローバルな投資家に認められるために8%を最低限上回るROE達成に企業経営者はコミットする(=責任を持つ)べきだ」と提言。日本の経済界に大きな反響を呼び、コーポレートガバナンス(企業統治)改革の指針と位置付けられた。

別の著名経営学者も、日本企業が人件費抑制によって利益率を高めたことを「シャキッとして、地力をつけた」と肯定的に評価している。

このような学者たちは、癌細胞が猛烈に増殖しているのを見て「成長力を取り戻した」と歓迎しているようなものである。

安倍首相も、2017年9月20日のニューヨーク証券取引所におけるスピーチで、企業の癌細胞化促進を宣言している。

まず、日本企業の体質を変えなければならない。コーポレート・ガバナンス改革を、私は、最も重視しています。
2年前、コーポレートガバナンス・コードを策定しました。その結果、独立社外取締役を2名以上置いている上場企業は、5年前はわずか17%でしたが、今や88%になっています。
機関投資家によるガバナンスを強化するため、スチュワードシップ・コードも策定しました。既に200を超える機関が受け入れています。

ケインズは『一般理論』の末尾で"ideas"の危険性を警告したが、日本は政財官学のエリートが株主重視経営=企業の癌細胞化を正しいものと信じ込んでいるために、衰弱死に一直線なのである。

But apart from this contemporary mood, the ideas of economists and political philosophers, both when they are right and when they are wrong, are more powerful than is commonly understood. Indeed the world is ruled by little else.
I am sure that the power of vested interests is vastly exaggerated compared with the gradual encroachment of ideas.
But, soon or late, it is ideas, not vested interests, which are dangerous for good or evil.

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