中野剛志の貨幣誤論②~租税は財源か
積極財政派が唱える「正しい貨幣観」では、財政運営の順序は「徴税+借入→支出」ではなく「貨幣発行して支出→徴税+借入」で、徴税と借入は財源調達ではなく、市中から過剰な貨幣を吸収してインフレ率を適正に保つための手段だとされている。
政府の借金はむしろ増やすべきだ…「財政赤字を減らすべき」と考える人が理解していない資本主義の仕組み そこに「日本経済が成長しない理由」がある https://t.co/jSDsxC4u7G
— PRESIDENT Online / プレジデントオンライン (@Pre_Online) March 30, 2023
政府支出の財源とは、支出に使う「貨幣」のことでしょう。その貨幣は中央銀行が創造するのです。
政府支出の財源は、中央銀行による貸出しです。税収ではありません。
しかも①で述べたように、政府は、貨幣を支出した後で、徴税を行なっています。したがって、政府支出の財源が税収であるはずもないのです。
政府は中央銀行に貨幣を発行させて支出するので、財源不足のために支出できなくなることは原理的にあり得ないとされる。
貨幣は無から創造されるものであり、貨幣需要に応じて、制約なく供給することができる。しかし、貨幣を通じて供給される実物資源の方は、そうはいかない。実物資源の賦存量は言うまでもなく有限であるから、その供給能力には限界があるのである。
したがって、政府には財源の制約がないからと言って、無制限に財政支出を拡大できるわけではない。例えば、公共投資を拡大し続けると、いずれ、建設資材や建設労働者といった実物資源の供給制約にぶつかる。政府支出により拡大した需要が供給制約を超過すれば、デマンドプルの高インフレが引き起こされる。
👇はステファニー・ケルトンの説明。
いずれにせよ前提にあるのは、政府は支出する前に資金を調達しなければならない、という考えだ。国民の多くが、政府の財政運営はこのようなものだと教えられてきた。課税と借り入れが先、支出が後。この従来の考え方を簡単な図式で表すと、「(税金+借金)→支出」となる。
モズラーによると、政府はまず支出をし、それから課税や借り入れをするという。これはサッチャーの発言のまったく逆で、「支出→(税金+借金)」という図式になる。モズラーの説明では、政府は誰か費用をまかなってくれる人を探すことなどせず、さっさと支出することによって自国通貨を生み出す。
経済がすでにフルスピードで走っているところに政府がさらに支出を増やそうとすれば、インフレが加速する。制約はたしかにある。しかしそれは政府の支出能力や財政赤字ではない。インフレ圧力と実体経済の資源だ。MMTは真の制約と、私たちが自らに課した誤解に基づく不必要な制約とを区別する。
「徴税+借入→支出」では、税収では足りない分が借入(財政赤字)で賄われるが、借入金利が高騰すると政府は借入を断念して財政引き締め(増税and/or支出削減)を余儀なくされる。「これ以上借りられない→お金が足りない」が資金的制約である。
一方の「貨幣発行して支出→徴税+借入」には資金的制約は存在しないとされるが、そうではない。インフレ率の高騰局面では、政府は財政を引き締めたり、貨幣の現在価値と将来価値を等しくするために金利を大幅に引き上げなければならなくなるが、これは資金的制約に他ならない。実際、この👇ように、お金を刷れても「お金が足りません…」という事態は起こり得る。
銀行員「お金が足りません…」
アミン「じゃあ刷ればいいだろ!」
銀行員「価値が落ちてトイレットペーパー同然になります…」
アミン「お前はウガンダの金をクソ呼ばわりか!殺せ!」
「貨幣発行して支出→徴税+借入」でも、より多くの支出はより多くの租税収入を必要とするのだから、租税が財源になっているのと同じことである。要するに、「正しい貨幣観」論者はレトリックに惑わされて本質が見えていないのである。
補足
財政運営は「徴税+借入→支出」と「貨幣発行して支出→徴税+借入」のどちらの仕組みでも可能だが、現代では前者が世界標準になっているのは、財・サービス市場のインフレ率をバロメーターにして自律するよりも、国債市場に他律された方が、放漫財政→インフレ率暴騰→経済大混乱のリスクを大幅に減らせることが歴史の教訓として得られているからである。ケルトンは「政府は支出する前に資金を調達しなければならない」仕組みを「私たちが自らに課した誤解に基づく不必要な制約」と呼んでいるが、必要だから設けられた制約である。
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