MMTを誤用する「京都学派」の二人

最近MMTに傾倒している自由民主党の安藤裕議員が、公的年金について、支給額が「足りかったら政府が金出せばいい」「MMTの考え方を使えば年金の問題なんて全く問題ない」などとおかしなことを言い出している。

新株発行が一株当たりの価値を低下(希薄化)させるように、財・サービスの供給力増を伴わない通貨の新規供給は、インフレによって通貨価値(購買力)を低下させてしまう。

公的年金は後続世代から先行世代に資金移転するだけなので市中の通貨量は不変で購買力は保たれるが、安藤議員が言うように政府が通貨を新規発行して給付の原資に充てれば、名目給付額は増えても実質給付額は減少してしまう。安藤議員は「無税国家は可能」と言っているに等しく、その他の真っ当な主張まで胡散臭く思われかねない。

安藤議員のブレーンの一人の藤井聡も、精力的に嘘を発信し続けている。

21:38~では

貨幣は国家が作って国民に使わせている。
国民は貨幣の利用者で国家は供給者(作成者)である。

と述べているが、これは誤りで、現代の通貨システムでは市中のマネーを最初に創造するのは民間銀行で、政府は企業や個人と同様の銀行預金の利用者である。政府と中央銀行は現金(硬貨と銀行券)を作って市中に供給しているが、これは物理的実体のない銀行預金を物理的実体にするためのもので、市中のマネーの量は変化しない。完全にキャッシュレス社会になれば、市中のマネーがすべて民間銀行が供給したものであることがはっきりする。中央銀行が供給する当座預金は銀行間決済のためのもので、政府支出のために発行されるものではない。

30:30~では、財務省の「国債発行は民間貯蓄で賄われている」との説明が誤っていると批判しているが、銀行が国債の買い入れと引き換えに新たに信用創造する預金も「民間貯蓄」に含めれば、財務省の説明が正しい。

企業が社債を発行する際には、購入者が銀行以外であれば保有する現預金、銀行であれば新規に信用創造する預金でファイナンスされる。国債も同じで、個人向け国債のように銀行以外が買う場合は購入者の資産の現預金、銀行が買う場合は新規に信用創造する銀行預金でファイナンスされる。

日本政府の銀行口座は日本銀行だけにあるので、国債の代金として政府が調達するのは日銀発行の当座預金だが、これは「国債は日銀がファイナンスした」ことを意味しない。

銀行口座を持っていない民間人AがBから1万円を借りるとする。Bが銀行口座から1万円札を引き出して貸すと、Aは日本銀行券を調達するが、ファイナンスしたのは日銀ではなくBの銀行預金である。政府の国債発行による資金調達も同じで、市中の既存and/or新規発行の現預金によってファイナンスされているのである。

33:50~では「財務省に握られていた予算編成権を本当に国会が取り戻す」と言っているが、日本国憲法では予算編成権は内閣にあるので取り戻せない。

藤井は財務省を諸悪の根源として攻撃しているが、現在の政治が官邸主導であることは常識であり、財務省も官邸の意向に従っているに過ぎない。敗戦後の日本では軍部に責任を負わせることで天皇の責任が不問にされたが、藤井は財務省を軍部のように悪玉化することで、安倍首相に批判の矛先が向かわないように世論誘導しようとしているように見える。

藤井の真意がどこにあるのかは不明だが、経済に関する説明が嘘だらけであることは確かである。

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