織田信長とビッグテック
この分野は素人で、専門家の間でどの程度深い議論が行われているかも知らないので的外れになってしまうかもしれないが、前々から疑問に思っていたこの👇件について書いてみる。
この近年の説が変だと思われるのは、手段が保守的であることはビジョン・目標も保守的であることを必ずしも意味しないからである。明治維新が天皇を担ぎ出したり、モスクワ大公国が東ローマ帝国やモンゴル帝国を継承するように見せるなど、新興勢力が正統性を示すために旧勢力を利用することはよくあることである。
織田信長はロベスピエールやポル・ポトや毛沢東やスターリンのように全国を強権支配する体制を確立できていなかったのだから、伝統的な権威を無視できなくて当然で、それをもって保守的な人物だったとは言えないはずである。「伝統的な権威を非常に尊重」したことが示唆しているのは信長が現実主義者(リアリスト)だったことであり、保守主義者だったことではないと考えられる。
また、個々の施策も他大名のパクリが多い→革新的ではない、というのも経営学的には説得力に欠ける。
Google、Amazon、Appleなどのビッグテックが革新的企業であることはほぼコンセンサスだと思われるが、その急成長過程での個々の施策の多くはオリジナルではなく、創業時(Appleはジョブズ復帰時)に今日のような存在になるビジョン・目標を明確に持っていたわけでもない。それなのに超巨大企業になれたのは、多くの既存の諸要素に新要素を加えてビジネスモデルを構成するシュンペーターが言うところの新結合(neue Kombination/new combination)、すなわちinnovationを継続できた/その強度が他社よりも強かったこと、更には企業の成長に合わせてビジョン・目標をステージアップしていく「走りながら考える」経営を行えたことにある。要するに、革新とは色々とパクって新結合を繰り返すことなので、信長の施策の多くはパクリ→革新的ではない、という評価は経営学的にはズレているのである。
織田信長が革新的か保守的かのどちらに肩入れする気もないが、その成長過程はビッグテックによく似ているように思われる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?