リフレ派の正体見たりフリードマン

2%インフレを達成できなかったにもかかわらず日本銀行副総裁を辞任しなかった岩田規久男が呆れたことを書いている。

1996年には派遣対象業務が26業務に拡大、1999年には原則自由化されているにもかかわらず、非正規労働者の増加の主因はデフレであり規制緩和は無関係どころかむしろ賛成するべきだとしている。

しかし、非正規社員比率が20%台に上昇したのは1990年であり、それ以降も上昇し続け、とくに大きく上昇した期間は97年から2002年である。この期間は、消費者物価の上昇率が低下し、97年の消費増税の影響もあって、98年半ばからデフレになった時期である。
以上のことは、自称リベラルが本物のリベラル(完全雇用を目指し、格差を縮小することを重視する人)になるためには、労働派遣の規制緩和に反対するのではなく、デフレからの早期脱却政策を提案すべきであることを示している。

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2008年9月のリーマンショック後に白川日銀総裁が「デフレを促進する金融政策を運営した」もとんでもない言い掛かりである。日銀が米英のような量的緩和(バーナンキによれば信用緩和)をしなかったのは、日本ではリスクプレミアムが跳ね上がる信用不安が生じていなかったので、政策金利の引き下げ+αで十分だったためである。

この期間、失業率が上昇するとともに派遣労働者が大幅に減少したのは、白川方明総裁率いる日本銀行が、アメリカの中央銀行FRB(連邦準備制度理事会)やイギリスの中央銀行BOE(イングランド銀行)のような、大々的な量的緩和を実施せず、むしろデフレを容認する、さらにいえばデフレを促進する金融政策を運営したからである。

失業率が急上昇したのは、日銀が量的緩和を実施しなかったからではなく、景気を牽引してきた輸出が世界金融危機で急減したためである。

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量的緩和を実施したアメリカよりも「デフレを促進する金融政策を運営した」日本の方が失業率の上昇は小幅にとどまっていた。

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この期間の日本の実質GDP成長率がG7中6位なのは事実だが、それは1990年代にはバブル崩壊と金融危機の後の停滞があったためで、世界同時ドットコムバブル崩壊後には他国と遜色ない成長率に回復している。人口高齢化を考慮に入れるとむしろ高い部類である。

日本の1人当たり実質GDP成長率は、80年代(81年から1人当たりGDPがピークに達した92年までの期間をとる)は年率平均3.6%でG7中最大であった。ところが、93年から19年は年率0.8%と約5分の1に低下し、G7中でイタリアに次ぐ低成長の国に転落してしまった。

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これ以外にも、

正規社員と非正規社員の区別をなくし、労働市場の流動化を進める
教育や保育などの分野での利用券(バウチャー)制度の導入
負の所得税方式の給付付き累進課税制度を導入
年金制度は「修正賦課方式」から「積立方式」に転換(→民営化)

は、ミルトン・フリードマンとその弟子たちのものと同じである。日本のリフレ派はマネタリストの一派だったようである。

私が議論のために提唱するとすれば、「負の所得税」という考え方です。
負の所得税とは、一番所得の低い人の所得税をゼロではなく「マイナス」にしたらどうか、という考え方です。つまり、「税金を払う」のではなく「税金をもらえる」仕組みです。これが、そのままBIになります。これは徹底した累進課税ともいえます。結果として、所得再配分に資することになります。
The pension system, introduced decades ago under Augusto Pinochet’s 1973-1990 dictatorship, has been heralded as a model of privatization, imitated by other countries. But Chile’s retirees - once promised over 70% of their final salaries - often end up unable to meet the stringent requirements for paying into the scheme.
The local pension funds - which have billions of dollars in investment in Chile and overseas - were meant to be more sustainable than an earlier pay-as-you-go system.
In reality, many people in the Andean country are unable to pay in enough regular contributions to end up with sufficient payouts, while the third of Chileans who work in informal jobs, along with the unemployed and women leaving work to raise children, are often left short-changed.
(2%の物価目標を2年程度で達成できなければ「最高の責任の取り方は辞職」と就任前に国会で答弁したことについて)達成できないと自動的に辞任だと言ったことは一回もない。ところが、世の中でずっとそうとられている。そうでなくて、責任の取り方には段階がある。間違った政策をやったために達成しないなら辞任というのが本意だ。
「翁-岩田論争」は、当時、日銀スタッフであった翁邦雄と上智大学教授であった経済学者の岩田規久男との間で行われた論争である。
この論争が始まった時、おそらく日本の債券市場で実務に携わっていた参加者の多くは、翁邦雄の言っていることは当然すぎることであり、岩田規久男という学者は一体何を訳の分からないことを言い始めたのだろうと感じていたのではないだろうか。

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