車椅子騒動と日本の低生産性

この車椅子の活動家と擁護する人たちの「障碍者は弁えなくてよい」という論理が、日本が先進国の中で生産性が低い一因の説明になっている。

『スウェーデン 福祉大国の深層』の「04 客目線の効率採用で中国企業に対抗できるか」では「日本人からみると効率的でないヨーロッパが効率的だと言われる」こと、言い換えると日本がドイツやスウェーデンよりも生産性が低くなることをflow efficiencyとresource efficiencyの違いで説明している。

「フロー・エフィシェンシ」はいわゆる日本人のいう効率で、ムダな作業を省き、できる限り時間をかけず、高い品質・サービスを提供するというお客様目線の効率を示しています。
「リソース・エフィシェンシ」では、製品やサービスを提供するのにどれだけコストを抑えられたかで効率を測ります。
欧米で効率というと基本的にはコストを意味する「リソース・エフィシェンシ」を指し、お客さんに早くよいものを提出するという考え方はあまり含まれません。

日本的な考え方では、この活動家の「無人駅に他駅から駅員を派遣して車椅子を移動させる」要求をコストを二の次にして叶える対応が期待される。

一方、欧米的な考え方では、そのような対応をするコストよりも低コストの手段(この場合は熱海駅からバスやタクシーで移動)があれば、その選択肢を伝えれば仕事は完了になる。

既に存在するバスやタクシーを使えば済むところを、鉄道会社が無人駅に駅員を派遣したりバリアフリーの工事をすることは、社会全体で見ればリソースを浪費する完全な無駄であり、生産性の低下につながる。

日本ではこのような考え方が「生産性で人を測る」ものだとして拒否反応を示す人が少なくないようだが、福祉先進国とされる北欧でもこれが常識であることは周知されるべきだろう。障碍者も社会の一員である以上、社会のリソースの無駄遣いを強要する権利はないという論理で、これが北欧流の合理性である。

「わきまえる障害者になりたくない」のは勝手だが、それなら社会の一員とみなされなくなる(→サポートを得られなくなる)覚悟をするべきである。

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