日本の積極財政派は「極右認定」を機会に西洋MMTと縁切りするべき


7月にMMTの教祖の一人ステファニー・ケルトンを招聘して舞い上がっていた藤井聡、三橋貴明、西田昌司、安藤裕が教祖たちにファシスト・極右認定→絶縁宣言されるという珍事が発生した。

MMTの核心は新左翼思想

破門されたメンバーの失敗は、MMTを「財政赤字拡大を正当化してくれる価値中立的な経済理論」だと思い込み、1968年の「五月革命」に象徴される新左翼思想との深いつながりを見逃していたことにある。

今回の出来事は"anti-fascism"の"leftists"を自称する学生団体の内部論争が発端のようだが、彼らの思想についてはこの動画が参考になるので見てもらいたい(日本語字幕あり)。

世界中を「正義」で覆い尽くすために戦うSocial Justice Warriors、現代版の十字軍である(→異教徒・異端は抹殺)。

彼らは中国の文化大革命の紅衛兵のようなもので、走資派の代わりに攻撃するのは(彼らが勝手に認定する)ファシスト・極右である。MMTの教祖であってもファシストと接点を持てば、立場が危うくなるのである。

そのことは、MMTの教祖の一人のミッチェルのブログから読み取れる。

The reason is because some young Leftists in the US (the so-called Libertarian Socialist Caucus (LSC) of the Democratic Socialists of America (DSA)) have circulated a document and are currently voting on whether it should be made public and the recommendations acted upon (which include denouncing Stephanie Kelton for siding with Fascists and mounting a progressive boycott of the upcoming MMT conference in New York).

ミッチェルが問題視しているのは、藤井が編集長の雑誌『表現者クライテリオン』が(彼らの基準では)歴史修正主義の記事を掲載していることであり、取り下げを迫っている。南京虐殺(数十万人を殺害)と慰安婦(性奴隷)を否定することはホロコースト否定に等しいのだという。

One of the agendas of some of the conservative elements in Japan (who are otherwise anti-austerity and anti-neoliberal) is to engage in what I see as the equivalent of Holocaust denial. In their context, it is questioning the historical account with respect to the – Nanjing Massacre – and the role of so-called – Comfort Women – in Korea, China and the Philippines during WW2.
There is a literature denying the evidence that the Imperial Army acted to enslave women as ‘sex slaves’ and massacred hundreds of thousands of Chinese (and others) at Nanking in late 1937, early 1938.
The conservative magazine that I mentioned above has published, it seems, one article along those lines.
I have written to the LDP-linked Professor who represents one of two groups that have invited me to speak in November indicating that the magazine article I noted above must be withdrawn.

これについては学生団体MMNの声明でも言及されている。

In addition, Mitchell wrote to Fujii to request that, as editor of Criterion, he withdraw an article in Criterion published alongside articles about MMT that contains abhorrent and false claims about Nanking and other atrocities committed by Japan in World War II.

もっとも、ミッチェルが寄稿した9月号には南京虐殺や慰安婦に直接言及した記事は見当たらない。

"[O]ne article along those lines"に該当するとすれば長谷川三千子の記事のこの部分だが、revisionist宣言と受け取られかねない危険な内容ではある。進歩的リベラルの世界観では、第二次世界大戦は善と悪の戦いなので、悪の日本が異議申し立てすることは一切許されないからである。

さらにそれ以上に問題なのは、七十余年たつて、「将来」の世代のわれわれがこれらの戦後処理に「歴史の評価」を下すことそれ自体が、いまだに拒絶されてゐることである。それを正しくなさうとする人々は「歴史修正主義」のレッテルを貼られて排除される――百年をへて、世界を覆ふ欺瞞はかくも深い。

長谷川の記事ではないとすれば、こちらのweb記事かもしれない。この内容では100%アウトである。

積極的にMMT推ししていた小浜が粛清の対象だとすればお気の毒様である。

「リバタニア」対「ドメスティックス」

今回の事態を予測していたようなのが橘玲のこの記事である。

世界でビジネスを展開するグローバル企業も、経済合理性で考えれば、リベラル化するしか道はありません。中国での売り上げが日本より何倍も大きいのに、経営トップが「南京大虐殺は幻だった」などと言えば、たちまち巨大な中国市場を失ってしまいます。

日本人には理解しにくいのだろうが、MMTは左派のこの(⇩)ような夢を実現するためのprogressive思想であり、入信するのであれば、内外無差別・国境開放・移民の無制限受け入れなどの左派イデオロギーをすべて受け入れなければならない。一神教の教義をつまみ食いできないようなものである。

少なくともプラトンの『国家』以来、完全無欠な社会を築くという概念は西洋人の意識のなかにあり続けている。左派は存在する限りずっと誰もが仲良くて、協力しあい、自由で平和に生きていける社会を追求してきたのだ。

MMTは左派の「リバタニア」のイデオロギーなので、藤井たち「ドメスティックス」とは相容れないことは最初から分かり切っていたことである。藤井たちの「移民反対」も、リバタニアから見ればヒトラーと同類のracist, fascist, ultranationalistであり、殲滅の対象なのである。

保守的で愛国主義のドメスティックスは各国にバラバラに存在していますが、人種や性別、性的指向などでの差別を嫌うリベラルの理念はグローバルに広がっていて、世界的なスターやグローバル企業はこの「リバタニア」のルールに従うしかないのです。
『新潮45』の廃刊騒ぎで明らかになったように、これまでは日本語というガラパゴスな言語の障壁に守られてきた日本でも「リバタニア」の圧力は強まっています。アジア市場を狙うクリエイターや企業、メディアは「嫌韓・反中」のレッテルを貼られるわけにはいかなくなり、否応なくリベラル化していくでしょう。そうなれば、取り残された"日本人アイデンティティ主義者"(ドメスティックス)との間でより社会の分断が進んでいくのではないでしょうか。

これは推測だが、ケルトン招聘に関与した藤井とは別の団体の中に、藤井たちを快く思わない&薔薇マークキャンペーンにシンパシーを持つリバタニアの日本人がいたのではないだろうか。その人物が、日本の状況を探るアメリカの「紅衛兵」に情報提供→「紅衛兵」がケルトンに圧力を掛ける→ケルトンがMMTの同志たちと情報共有→藤井たちが破門される、という流れである。結果として左派を自称する松尾匡の薔薇マークキャンペーンが「MMTインターナショナル」の日本代表になったことは、その人物の理想的展開なのだろう。

ミッチェルが露骨に"progressive Left policy"支持を表明していることにも注目である。

リバタニアの教義では、第二次世界大戦の敗戦国の日本は「原罪」を背負った「悪」、日本のドメスティックス=ファシストとされている(某キリスト教系新興宗教の教義と類似)。この西洋リベラルの一神教的世界観を変えることはほぼ不可能であることは知っておいて損はない。

これまで無邪気にMMTを「正しい教え」と信じて布教に励んでいた人たち(⇧)は、自分たちが反日極左カルトの手先になっていたことを自覚しなければならない(確信的な左翼もいるようだが)。

積極財政派はMMTを棄教するべき

MMTの教祖たちに破門されてしまった日本の積極財政派だが、彼らが求めていたのは財政赤字拡大を正当化してくれる理論であり、MMTでなくても構わないはずである。そして、そのようなロジックは存在する。

そもそもMMTは、

国家が通貨を全面的に管理する(中央銀行の独立性否定)
民間主導ではなく政府主導(金融政策ではなく財政政策)で経済運営
失業ゼロのために最低賃金の公的雇用を景気変動のバッファにする

という、極めて国家管理色の濃い社会的主義的な理論であり、日本の積極財政派とは根本思想が違う。MMTの政策目標はこのような輩(⇩)のために政府が通貨発行して仕事を与えるJob Guarantee Programだが、積極財政派の大半は到底賛成できないだろう。

根本的に誤った天動説的理論であるMMTにしがみつくよりも、破門を機会に正しい通貨システムの理解に基づいた政策提言をしてもらいたいものである。

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