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『I.G交差点』ひとりめ: P.A.WORKS 堀川憲司代表取締役 (第1回)

horikawa_胸像

PA_rogo_切り抜き

『I.G交差点』とは……

Production I.Gのnoteをスタートしようとなったときに、作品の公式サイトでも、I.Gの公式サイトでもない、noteという媒体で何を伝えたいのかな考えました。
作品のことでもなくて、単なる企業の今を伝えるということでもないな、そうぼんやり思いました。じゃあこの場では何を発信したいのか?考えて、考えた結果、もっと内側の「人」のことを伝えられないか、と思い立ち動き出したのが「I.G交差点」です。
ものづくりの会社には毎日たくさんのスタッフが出入りします。ずっとI.Gにいる人もいれば、今日新しく入ってくる人、そして、新しい場所へ向かう人もいます。
人が行きかう「場」としてのI.Gの輪郭を、様々な立ち位置の方たちからインタビュー形式でお話しを伺いながら、見つけていきたいと思います。

ひとりめのゲストは、『Angel Beats!』や『SHIROBAKO』で知られるアニメ制作会社P.A.WORKSの代表取締役を務める堀川憲司さん。 
堀川さんは以前、プロダクション I.Gに在籍し、劇場作品『人狼 JIN-ROH』(’00年/沖浦啓之監督)のプロデューサーを務めておられました。
あの頃のI.Gにあった熱。
そして25 年ほどがたった今、I.Gはどう見えているのか。
それを聞いてみたいと思い、インタビューを申し入れたところ、快諾して頂きました。
取材予定日の2020年12月当初は富山のP.A.WORKSに直接伺う予定だったのですが、新型コロナウイルス感染症流行収束の気配が見えない状況であったため オンラインインタビューとなりました。

堀川さん、お久しぶりです!

――――:おひしぶりです。

堀川:お久しぶり。

――――:どうですか、富山県? 12月にはいって寒くなりましたか?

堀川:だいぶ朝は寒くなってきましたけど、平野に雪は降ってないのでまだそこまでじゃないですね。

――――:オンラインではなく、直接、富山に行ってお話を伺いたかったです。

堀川:僕らも今、東京に上京するのは会社として禁止しているのでしょうがないですね。

――――:東京のスタジオともリモートですか?

堀川:ほぼリモートですね。どうしても行かなくちゃいけないのはカッティングとアフレコくらいかな。僕は毎週の上京がなくなって楽になりましたけど。

――――:東京には頻繁に上京されてたんですか?

堀川:2018年までは平日はほぼ東京でした。ここ2年くらいは、本読み(脚本会議)だけ上京してたかなぁ。でも本読みもオンラインでの会議が増えてて。大手の企業さんはみんなそうなってますねえ。

――――:僕も直接、顔を会わせる会議が減りました。問題とかありますか?

堀川:行かなくて楽は楽なんですが、対話が途切れ途切れになるのがねえ。この前、久しぶりに上京して食事をしたとき、リモートではできない会話をしました。その場所にいるからこそできることもあるなぁと。

――――:そうですよねえ。この取材でもご不便おかけするかもしれませんがよろしくお願いします。

堀川:はい。


堀川さんのはじめの一歩

――――:では本題入りましょう。――プロダクション I.Gからビィートレイン、そして P.A.WORKSを創設されて20年、アニメーション業界において第一線で活躍されている堀川さんにお話を聞いてみたいと思い、 この企画をいたしました。まずは、20周年おめでとうございます。

堀川:ありがとうございます。

――――:会社を作ろうと思った動機お聞きしたいのですが。

堀川:いろんなところで語ってるんですが、アニメ業界に就職した頃は、厳しい業界なので長続きしないだろうと周りからも言われていました。
 でも10年はやりたいと思っていました。

堀川:子供が生まれて小学校に上がる頃には富山に戻る約束を家族ともしていたので、実際に富山に戻ったときにやれる仕事がこれしかないと思ったので吉原正行(アニメーション監督・P.A.WORKS取締役・クリエイション部部長)とふたりでアニメ制作会社を作ってしまったんです。

お互いに経営管理とか、きっちりとする人間ではなかったので、20年もつとは思わなかったんだけど。

ただ、人を育てだしたらどんどん人が増えてきて、いつ頃からか「会社はここまでね」とは簡単に言えなくなっちゃって。会社として彼らの一生――というか、長年、アニメーションを作り続けられるようにならなきゃなと思って今まで続けてきたという感じです。

――――:会社は最初からうまくいきましたか?

堀川:会社を立てた頃、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(神山健治監督作品)の制作をグロスで受けたんだけど、あれの原画がなかなか原画マンに振れなかったのは辛かった。

あの頃は一気に作品数が増えてきたこともあって、あの作画内容の原画は時間がかかるので、原画マンに営業をかけても敬遠されるということが非常にありました。そういうこともあって、面白い作品で、監督がやりたいと思っていても、それを受ける現場が減ってきている危機感からかなぁ――、人を育ててそれができる現場を作るのが早いか、アニメを作れなくなるのが早いか、追っかけっこかなとずっと思ってやってきて。難しいことは抜きでアニメーションが真っ当に作り続けられればそれでいいですというのがずっと変わっていない結論というのかな。

――――:アニメーションを作り続けたいという考えは以前から?

堀川:アニメーションに限らず、なにかを作る現場が好きだったんです。舞台の大道具さんとかでもよかったけど、たぶんアニメの制作進行よりも食えなかったと思う。実写のADさんとかもあっただろうけど、就職と同時に結婚することが決まっていたので、やりたいものの中ではアニメーションの制作進行が一番食えそうだったなぁというのがありましたね。

僕が就職した頃はアニメーションでOVA(オリジナルビデオアニメーション)が出始めた頃だったので、いろんなジャンルで作れるというのが魅力だったと思います。それに80年代後半は邦画の実写よりもアニメの方が挑戦的だったから選択したんです。90
年代に入って実写は巻き返してくるんですけどね。

――――:最初がタツノコ(当時は竜の子プロダクション、現・タツノコプロ)さんですか?

堀川:その前があります。
アニメの専門学校に入って、そこで講師から紹介されたスタジオがタツノコの孫請のスタジオでした。それでそこに入ろうと愛知から出て入ってみたら、そのスタジオが直ぐに倒産しちゃって。そこをタツノコのプロデューサーに拾われたんです。


真下耕一さんから学んだ必要な資質

――――:真下さん(真下耕一監督)との出会いもそこですか?

堀川:出会いは孫請のスタジオにいた頃からです。僕の一番の師匠は真下さんだったと思います。

――――:僕の知る真下さんのイメージですけれど、演出家であるのにスタジオの社長を同時にされていたのってスゴイと思ってたんですが、一緒にお仕事をされてどうだったんですか?

堀川:真下さんは僕にイライラしていたと思いますよ。予算管理とか、真下さんのほうがしっかりしてるし。僕は今でも真下さんが何でそんなことまでできるのか、不思議でしょうがない。

堀川:ビィートレインを立ち上げた頃、I.Gで『人狼 JIN-ROH』を掛け持ちでやりながら、アニメ『ポポロクロイス物語』の制作が始まったんだけど、ビィートレインの制作現場にデスク(現場で制作管理をするまとめ役)がいなくて、制作も未経験で採用された新人しかいない現場だったのに、あの作品は2クール、編集の段階で全部、色がついてたんですよね。

――――:……それはスゴイ……。

堀川:その現場をコントロールしていたのは監督をしていた真下さん自身で、作画のカロリーコントロールからスケジュールコントロールまで全部やっていて。真下さんはそれがちゃんとできる人だった。普通はできないことだと思います。

孫請をやっている頃、真下さんとは現場ではたまにしか会わなかったんだけど、孫請がどれぐらい経営が厳しいかを知っていて、そこに負荷をかけないためには「こういうカロリーの絵コンテにするんだ」とか、「リテイクが出ないようにするためにはこんなタイムシートのコントロールをするんだ」とかおっしゃっていて。あれは真下さんが独自で身につけていったのか、タツノコに在籍していた時代の師匠から教わったことなのかはわからないけれど、現場の力量を見ながら、かける負荷をシリーズ全編を見ながらコントロールするんです。真下さんから一番学んだのはそういうところだったかな。

――――:真下さん、すごい人ですね。

堀川:I.Gで言うなら押井さん(押井守監督)もそういうところがあって、現場でこれが間に合わないとなると絵コンテからバッサリ切って必ず完成させるという決断をするじゃないですか。これもタツノコの師匠が教えたのだと思うんだけれど。※

(※後日、I.G代表取締役の石川光久に確認したところ「笹さん(笹川ひろし氏・タツノコプロ顧問)が教えたんじゃないかな」と情報頂きました)

――――:押井さん、たしかにそういうところありますよね。やっぱりタツノコの教えなのかもしれませんね。

堀川:でも、監督にそれをさせちゃうのは僕ら制作にとっては屈辱なんだよね。この絵コンテの内容でこの場面を落とすとのか……と。そう決断させてしまうのは制作としての力の無さ。監督が判断して絵コンテの内容をバッサリ切るというのは、制作現場のトップに立つ人の決断力としてスゴイものとがある。実際にその場面を落として悔しいのは制作よりもそこをやりたかった監督のはずだし。それでも映像を完成させるために監督が責任を取るという姿は真下さんからも、押井さんからも見れたし、ビィートレインの頃に『メダロット』で組んだ岡村天斎さんもそういうところがあった。自身のコントロールと責任で作品を完成まで着地させるというのは、監督にとって必要な資質だと思う。

――――:テレビシリーズとか、毎週納品がありますからね。

堀川:真下さんからプロデューサー的な制作の視点みたいなことを一番教わったのはタツノコの頃にやっていた『無責任艦長タイラー』のとき。あの頃はタツノコの上司のプロデューサーよりも真下さんと一番、話をした。だから制作的に必要なことがなにかってことを一番学んだのは真下さんから。

――――:タツノコで鍛えられた真下さんの遺伝子が堀川さんに受け継がれている?

堀川:――なのに残念ながらしっかりしたところは受け継がれずに、割と好きに楽しんで作ってしまっているビィートレインの頃の僕を見ていて、真下さんは内心イライラしていたんじゃないかなぁ(笑)。

第2回につづく
[ゲストと聞き手]
ひとりめ 堀川憲司さん(株式会社ピーエーワークス 代表取締役)
聞き手 藤咲淳一(株式会社プロダクション・アイジー 脚本家)
公開日:2021年1月22日