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花を買う

おそらく、人生で初めて花を購入した。
自分の部屋に飾る用ではなく、他人の墓に供えるために。

他人の墓、というか正確には献花台か。

4月7日の落馬事故で、藤岡康太という騎手が亡くなった。昨年11月、マイルCSというGⅠで、負傷した外国人騎手の乗り替わりを当日に務めてレースを制したジョッキーだ。

当時、自分の本命は優勝したナミュールだった。過去10年で、前哨戦の富士Sを勝った馬はよくマイルCSで活躍していたし、牝馬の勝ち馬(ソングライン、ノームコア)に関してはいずれも次走で海外のGⅠに挑戦するくらいだったから、メンバーの中では優勝候補の一頭として挙げられるくらい格が高かったことは間違いなかった。

レース当日、有力な外国人騎手から藤岡康太への乗り替わりが発表されたあと、人気が急落したことを鮮明に覚えている。7倍程度だったオッズがぐんぐん上がって、最終的に17.3倍になった。

率直に言って、藤岡康太は馬券の買い手から圧倒的に舐められていた。

正直に言うと、馬券を土曜日に購入していた自分も乗り替わりに恐れ慄いた一人だった。いっそ本命馬を変えようかとも考えた。

ただ、藤岡康太の京都芝マイルの単複回収値が他の騎手と比べると高いことに気が付いて(たしか単101円・複146円だったはずだ)心が落ち着いた。川田のようなトップジョッキーと比べると心もとないかもしれないが、それでも陣営はムーア(世界最高の騎手の一人だ)の代役として最良の人選をしたのだと思った。

結果は皆さんがご存じの通りで、ナミュールの末脚が炸裂した。道中でシュネルマイスターの後ろにいたのは正直ビビったが、それはナミュールが一番強いことを信じていたからこそ実現し得た、会心の騎乗だったと思う。

皐月賞を勝ったジャスティンミラノの調教を、新馬戦から付けていたのも藤岡康太だった。

先週、各場のメインを勝った騎手は、だれもかれもが勝利後のインタビューで声を震わせていた。友道先生などはクラシック初戦を勝ったあとなのに、人目もはばからずただひたすら泣いていた。

私は藤岡康太のことをそれほど知らないが(「京都マイスター」くらいのイメージしかなかった)、それでも「仕事がとてもできる、良い奴だった」ことだけは分かる。
葬儀で騎手クラブ会長の武豊や、同期の浜中俊がボロ泣きして、競馬関係者がひどく深い喪失感に包まれるくらい、全員から愛される良い奴だったのだ。

自分は献花台に花を供えることで、彼が死んだという現実を少し受け入れられた気がする。

供花を終えたあとの東京競馬場は、いつもみたく悲鳴と怒号が飛び交う、関東中のマヌケを集めたような空間だった。
騎手の中にはまだ完全に立ち直れているかもしれない人もいるかもしれないけど、ファンは少しずつ藤岡康太という騎手の死を受け入れられているのかもしれない。

レシートで花の名前を確認しようと思ったら書かれていなかった。

そういえば「花の名前を知らずに備えるのも失礼ではないか」と思って、いまレシートを確認したら名前が書かれていなかった。
結局、私は彼が着ていたパーカーみたいに、やけにカラフルなピンク色の花の名前も知らずにこの先の人生を過ごすのだ。マヌケだ。

まあ、競馬を観戦する人間はマヌケになっているくらいが一番いい。
人間、休日くらいはマヌケでなくてはならない。

競馬関係者には365日休みがないし、きっとまだショックを引きずっている人も多くいるだろうし、先週今週と落馬事故が多発してまだまだ気が抜けない日が続いているけど、すこしでも心が楽になる日が早く訪れたら良いなと願っている。

改めて、藤岡康太騎手のご冥福をお祈りいたします。


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