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夜の過ごし方からルーチンを(なるべく)なくす

おはようございます。2024年4月17日です。
虹始見(にじはじめてあらわる)4日目です。


朝の時間は安定させやすいが、夜の時間は案外そうもいかない。

今週は、昨日と明日に夜の予定があり、夜に振り返るための時間を確保するのが難しい。今は夜の振り返りもそれなりの時間を割いているので、その時間がなくなるとやるべきことが終わらないため、モヤモヤしてしまうのだ。

そこで、やる「べき」と捉えるよりはやり「たい」と捉えたいのだが、ついつい書いてしまうのは、それがまだやりたくてやっていることになりきれていないからだろう。


昨日は珍しく(久しぶり、ではなく珍しくだろう)課のメンバーで飲みに行った。メンバー2名が「22時に寝ている」と話していて、自分の睡眠時間に反省したりしたのだが、こういう話をなかなか職場ではしないよなと思ったりする。

話すべきでないと思っているというより単純に興味がないのだ。それ自体あまり良いこととは思っていないのだが、これはもう性根のようなもので、どうにもならない。
…みたいなことは、前にも書いたような気がする。


話が飛んでしまった。夜の時間はこうした約束や予定が入ることがある。一方で、入らない時は、本当に何もなくて暇を持て余したりする。

だからこそ、その日の振り返りをルーチンとして設定して、その時間を埋めようとするのだが、これをルーチン化してしまうと、昨日や明日のような事態に困ってしまう。

双方の良いとこ取りをすることはできないだろうか。

毎日約束や予定をいれるのは無理な話だし、そもそも身体がキツい。一方、何もない日は何もない贅沢に浸るべきだと考えつつ、そこまで割り切ることができず不安になったりする。

約束や予定を適度に入れつつ、なにもない日を過ごす方法…例えば、その日の振り返りに、「その日のうち」という縛りを課さないというやり方はあるだろう。実際昨日の振り返りは今日これからやるわけだし。

あるいは、振り返りは翌朝のルーチンとしつつ、何もない日はそうした日々のルーチン的なものではなく、本を読むとか、YouTubeを見るとか、Podcastを聴くとか、そうした「いつでもできるスキマ時間にやること」をやるという習慣にしても良いかもしれない。

いずれにせよ、夜に関してはやる「べき」こと的なルーチンは極力排しておくのが良いかもしれない。

そうでないと、「やれなかった」「やらなければ」という余計なストレスを抱え込むことになる。


朝のルーチンも、本当に何かあった時はしんどくなるのだが、こちらはそこまで配慮しなくても、何とかなるような気がする。


本日は以上です。

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