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時間があったらやるという絶妙なタスク

おはようございます。2024年4月11日です。
鴻雁北(こうがんかえる)3日目です。


時間があったらやろうと思うことは、ほぼ確実にやらないことだと、頭では理解しつつも、ついつい「時間があったら」やろうという絶妙なタスクを溜め込んでしまうことが少なくない。

おそらくは「時間があったら」と思った時点で、そのタスクはやらないこととして破棄すべきなのだが、タスクリストに置いておくことで何となく安心してしまうのかもしれない。

やらないと決めてしまうのが怖いのだ。やろうと思いつつ、時間切れでできずに終わる方が、心理的に抵抗が少ないのだろう…多分。

しかし一方で、その「時間があったら(そして多分その時間はこない)タスク」がタスクとしてリストに置かれていることは、確実に自分自身のリソースを消耗している筈だ。ある意味そのリソースの消耗こそが心理的な不安を解消する満足感につながっているのかもしれないが、無駄なものと割り切ってしまうなら、無駄なのは間違いない。


もっとも、タスクリストには、やらなければいけないことをリストしておくことで忘れないようにするだけでなく、一時的に忘れてしまって、目の前のことに集中するための役割もある。

そうやって忘れておけるのであれば、リソースの消耗はそれほど問題にならないかもしれない。

とはいえ、リストとして考えた時に、時間があるまで先延ばしのタスクがあるというのは、余計であるのは間違いない。

というか、それは本当にタスクなのだろうか。単なる備忘メモをタスクにしてしまっていないだろうか。

まずはそのあたりを切り分けるところからやったほうが良いのかもなぁ…。


本日は以上です。

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