利他性を失う進化

おはようございます。2023年6月21日です。
仕事に復帰します。


人類が他人にやさしくして助け合う利他的な遺伝子を持っているのは、それが種としての生存戦略にかなっていたからだ、という話がある。

もしかしたら、その遺伝子がついに変容しようとしているのかもしれないな・・・とふと思ったりした。

子どもや妊婦、ひいては「他者」に対して冷たいという事例に対して、身も蓋もない言い方だが「他者にやさしい」はデフォルトなのだろうか、と考えてしまったからだ。

本能というレイヤで考えるならば、他者へのやさしさは後づけの概念であろう。種としての生存戦略からくる他者を助けるという本能的な行動に対して、やさしさという感情で理由付けをしたと考えた方がしっくりくる。

では、やがて100億に達しようかというほど増え、互いの助け合いを不要とするような技術を発達させてきた人類の遺伝子に、今更この「利他性」は必要だろうか。残酷な話だが、利他性を必要としない進化が、すでに人類の一部で進行しているといった事はないだろうか。ある意味増えすぎた人類に対する淘汰圧として、だ。


いまだ狩猟採集時代の本能を引きずっている人類が、そんな簡単に変わる訳がないとは思いつつ、そんなディストピアな進化の姿を思い描いてしまった。

誤解ないように書き添えておくと、別にそうなって欲しいとか思っているわけではなく、むしろそうじゃないと力強く否定してもらった上で、子どもや妊婦にやさしい世界であって欲しいと願っている。


本日は以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?