子守唄をうたって
アデルの新曲を聴く。題名はEasy On Me。
お手柔らかに、とか、優しくして。という意味らしい。
もしかしたら、姉もアデルの歌詞が表したような気持ちでいるのかもしれない。ずっと渡りきれない川の中をもがきながら泳いでいるのかもしれない。(深読みのしすぎかもしれないが、そう考えることは無駄ではない気がする。)
どんなに大人になったって、厳しい言葉よりも優しい言葉が欲しい、と思う。
休息のために実家にひとり戻ってきた姉が、あまりにも憔悴しきっていて、母親の手をとって目を閉じながら天を仰いでいる。
姉のあまりにも弱々しく小さな姿をみて、いてもたってもいられなくなる。
バロック絵画の大袈裟に感じるほどの苦痛に耐える人間たちの表現は嘘偽りないものだったのだと理解した。
ここまで弱っていることに殆ど気づけなかった家族の存在がまた恐ろしい。
「お姉ちゃん、今どうしたい?一緒に解決していこうね」と話す。
そうすると、姉が小さく頷いてポロポロと涙を流す。
夜中、電話口に向かって母親が泣きながら怒鳴り散らしているのを聞いた。電話越しにいる姉の夫に対して(姉の代わりに)必死に話し合おうとしているのだが、一向に聞き入れることをしないようだ。あくまで平然と、全てはあなた方が弱いから悪いのだと言いたいのかもしれない。もう彼には姉に寄り添う気持ちは微塵も残っていないのかもしれない。ずっと続く平行線。
なんで、築き上げてきた家族の中で戦うのだろう。なぜ母親に、姉に、弱いものに甘えるのだろう。
そして、なぜ私は何もできないのだろう。
無力感を感じ切るために私はここにいなくてはいけないのか。
姉を出来る限りひとりぼっちにさせないように家族揃って散歩に出掛けたり、お茶を飲みに行ったりする。子供のお世話だけに専念していたら、きっと過ごせなかった優雅で穏やかな時間を姉と共有する。気分転換どころか、逆に疲れさせているようでもある。でも、暗い部屋の中ひとりで考え込むよりマシなんじゃないか。それでも姉の顔が完全に晴れることはまだ先のことになりそうだ。
姉が気難しい顔をしながら喫茶店から出ていったと思ったら、「可愛いお花だ」とぼそりと言った後、近くに咲いていた赤い小さな花の写メを撮っていた。私は後ろから覗き込む。同時にその感性さえ残っていればこの先絶対に大丈夫だ、と確信する。
時間はかかるかもしれないが、必ず回復する。
夜になると、母親と姉が小さな布団の中にもぐって手を繋いで眠る。
私がこの世に生まれてくる前の時間まで遡ってきたようで、生まれる前から知っていた光景のようで、妙に不思議な気持ちに包まれる。姉のお腹の中の新しい命も一緒に寄り添っている。
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