触れられないこと
「どうして勝手に離れたの?一言でも伝えてくれなかったの?それだけでよかったのに。あなたと過ごした日々は私にとって大切な思い出です」
学生の頃から仲の良かった友からのメールを開き、しばらくじっくり考えたあとに、数日後に短い文で返事をする。
距離を置きたい。我儘だと分かっていても、何も言わずに放っておいてほしいと。
10年もの付き合いになると、単なる遊び仲間としての友情だけでは繋がれず、複雑でややこしい関係性になってしまった。もっと正確に言うと、私の心が複雑になったのだと言える。一人でじっくり考えたい私と、感情豊かに想いを共有したい友とのすれ違い。私がどれだけ熱心に言葉を選んで伝えようとしても空回りすることの虚しさ。それと同時に、学生の頃には見えなかった、人が持つ翳の部分が徐々に見えるようになってきて、私は押し黙ることしか為す術がないことを理解した。
一年前、私は変わらず同じ友情が続くと信じていた友人を意図せず裏切った。そのことで自分の不甲斐なさを感じて、気軽に連絡ができなくなった。どうしてここまで拗れた出来事が起こったのか分からないままだ。でもこの事実は私にとっての大きな気付きをもたらした。
私と同じように彼女も幸福なのだと信じていた。愛情豊かな人間関係があり、恵まれた家庭で育ったのだと思い込んでいた。ずっとずっと、彼女は私に事実を話さなかっただけだった。
私の放った安直な一言で、彼女の暗い翳の琴線に触れることになるとは思いもしなかったし、ただ黙ることしかできず、肩代わりすることも無謀だということを思い知った。
家族のことについて悩んでいること、いつ死んでも自分は悔いはなく、これから先の楽しみもないと言った彼女の目線が辛かった。
彼女の彼氏になるはずだった、明るく華やかな笑顔に溢れた青年からは、口から出るものは出鱈目ばかり、人との間に起こる温もりが希薄で沢山の嘘で固められたものだということを教えてもらった。そして、みなと同じように私にも確実に存在している翳の心の部分をみることがとてつもなく辛かった。
耐えきれなくなり、今年は一切の友人関係を断つ決意をし、殆どの時間を家族と過ごした。私は家族には恵まれていたのだ。それと同時に浮き彫りになる、周りの人々の家庭環境の複雑さに戸惑った。私の中で、他者に家族のことについて話すのはタブーになりつつある。普通の何不自由のない家庭を築き、最小単位の人間関係を充実させることが、どれだけ大変なことなのか思いを巡らすことがある。私は学生の頃は荒れに荒れていたので、余計に両親の存在に頭を擡げるようになった。中学の担任の先生には、「親御さんには感謝しないとね」と言われていまいちピンと来なかったが、今ならほんの少しその真意を汲めるようになったかもしれない。
でも、感謝って何だろう。私が家族の側にいることが親孝行なのか、それとも自立して離れることが親にとっての安心なのか。
そのことはあまり家族の間で話にあがらない。私は今は両親の側にいたいと思うからだ。良い年をした娘が、母親の作ったご飯を食べ、父親が運転する車に乗ってドライブして、たまに東京に出たりして贅沢する。
横浜の自宅に戻ると、帰れる家があることは幸福だねって話しをして、くだらないことを話して笑い、一緒にお茶を飲む。涙が出るほど幸福なひととき。将来のことについて悩むことはあっても、この先これ以上のことを望むことはない。いつか遠い未来に離れる時がくることは考えないようにする。
私の家はにぎやかな家庭ではなく、みな、おとなしい。私が外の世界に出向いて勝手に傷つき落ち込んで倒れても、何も言わずに迎えにきてくれた。身体も精神も脆い私の安心の居場所は両親の存在なのだ。
更に鳥籠の中で一生を過ごすことこそが運命として正しいような、内気なインコがいて、くるくるに丸まった薄茶色のテディベアのような毛並みが愛しい、病気一つしない元気な犬が一匹いる。飼っているペットを含め様々な生き物の存在がバランスをとって、私たち家族の夢のように平穏な時間は流れている。
本当に苦しい想いを持っている、ずっとそのことを心の中に留めていたあなた。私の安易な言葉で傷つけてしまってごめんなさい。
世の中は綺麗事では罷り通らないことばかりだということ。無知であったのは私。
私ができる最善の行為は、鉛のように底に沈んでいる哀しみに触れないように、距離をとることだと判断した。
まだまだ外の未知なる世界のことが怖い。
人が持つ弱くて複雑な心をどう共有し、大切にしながら共存していくことができるのか。
その答えは永い時間の流れを経てようやく辿り着ける場所かもしれない。しかし、そのことを諦めたくない。
私は大人になれるだろうか。
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