父親の後ろ姿

父のことが全く分からなかった。
無口で全く自己表現をしない父から愛情を感じ取れたことが殆どなかった。
幼い頃の父との記憶は、何故か外が真っ暗な時間帯に一緒にいる。昼間は仕事が忙しかったのだろう。
幼い私が公園の遊具から落っこちて大怪我をした時や、チャイルドシートに私を載せたまま自転車を横転させた時、一頻り爆笑したのち何の手当てもされず一緒に家に帰り、母親を驚かせた。父に悪意があったわけではなく、単純に子供とどう接すればいいのか分からなかっただけだった。
対して母親は優しかった。習い事のピアノを弾いている時に遠くから母親が優しい笑顔で私を見ていることに安心した。母親の都合が悪くなり、父親が代わりに参観してくれた時があったのだが、余りにも異様な視線を感じ取ってか、私は途中で大泣きして途中でピアノを弾くのをやめ、父に不器用に抱き抱えられて帰ったことがあった。

『おもひでぽろぽろ』というジブリ映画のワンシーンで、幼い頃のタエ子がわがままを言って父親に頬を叩かれる場面がある。私と父親の関係を端的に表現しているようではっとした。末っ子独特の意地汚い我儘さに口下手な父親が我慢できずに手を出す。そんなことが私の家庭にも何度かあった。
分かりやすく言えば、不器用で頑固な父親。
薄情で世間体だけを気にし、家庭のことは気にしない鈍さ。子供を馬鹿にするような、父親の得体の知れない不気味な笑顔がいつも怖かった。「お前は、だからダメなんだ」と口癖のように言われ、その言葉をいつも真に受けていた。

父は自営の仕事の跡取りとして懸命に働く道しかなかった。情の薄い父の鈍感な部分が強くなければ、決して立てない環境だった。
抱え切れないほどの仕事の量と、従業員を雇う責任の重さについて、父にしか分からない苦労があっただろう。自分を見つめる時間もなかったはずだ。
従業員全ての人を解雇する決断をした時は、布団の中にうずくまりブルブル震えていたという話を母から聞いた。
家庭の中では存在感の薄い父親像が、社会的な面を考えるようになってからは立体的に感じとれるようになってきた。

数年前、父と伯母が並んで、祖母の葬式で納骨をしている時の父の小さな後ろ姿をみて、どうしようもなく頼りのない父が懸命に今まで生きてきたことを想って涙をこらえることができなくなった。情と期待を絡めた目線で父を感じとろうとすると失敗するが、ひとりの人間として、誰にも理解されようとも、伝えようとする意思もない孤独な父が、仕事を精一杯頑張りながら、得体の知れない娘の私とここまで共にいてくれていたのだ、と直感的に理解した瞬間だった。私はずっと父に甘えていたのだ。そのことを腹の底から納得した直後、急に父との距離が近くなった気がした。

私が自己表現をすることで自分を取り戻そうとする一方で、分かりやすい表現をすることが、心を開いていることではないのだと父から教えてもらったような気がする。私と異なった価値観をもつ父の存在は、私の常識と思い込みを勝手に外してくれる。

どれだけ思いを巡らせても、父が感じていることを私が正確に理解することはあり得ず、私たちは生活を共にしている。脆く細い繋がりの中で確固たるものがあるとすれば、信頼でも言葉での繋がりでもなく、沈黙の中にあるのかもしれない。
それでも、時々私が冗談を言うと、「わはは」と笑ってくれるようになったのは父親が年を重ねて丸くなったからか。お互いが相手のことを見張らなくなったからなのか。

父はドライブが好きだ。私は父の運転する車の助手席に座って、窓から流れる景色を黙って眺めているのが好きだ。
お互いがみている行き先と楽しむ景色は全く違うが、共有しなくても私達は側にいることを許している。
同じように家族と過ごす日々の生活も淡々と流れていく。

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