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「小説 名娼明月」 第42話:一難去って一難来たる

 太左衛門が天晴(あっぱれ)の親切を装って阿津満(あづま)母娘のために五貫六百の金を宿の主人(あるじ)に払いたる後、母娘を案内せしは、小倉で一等との評判のある、「亀屋」という綺麗な宿屋である。
 母娘の居間に当てられたのは、二階座敷の二畳に八畳の次の間、それに二十五六歳の女中が一人付ききりで次の間に控え、母娘のために用を弁ずるという役を仰せつかり、かつ家内挙(こぞ)って下へも置かぬ待遇(もてなし)ぶりを見せ、お袋様じゃ、お嬢様じゃと、それはそれは並大抵のことではない。
 これはもちろん、万事太左衛門の指図に依ったもので、金に飽かせた待遇(もてなし)である。昨日の窮乏に引き換えたる贅沢に、母娘は心苦しさのあまり逃げ出したい心持ちである。

 「そう大切にされては却って迷惑に存じますから…」

 と再三断ってはみたれど、

 「それでは太左衛門檀那様に対して申し訳がありませぬ」

 と云って、家人女中一同、前よりも一層大事に取扱うのである。
 母娘の者にとって、このくらい苦しい厭なことはない。こんな苦しい思いをするくらいなら、昨日の窮乏を続けていた方がよかったと思えど、もう取返しはつかぬ。

 「こんな待遇を受けていたら、後にはどうなるであろうか?
 またも何かの難題を持ちかけられる伏線ではあるまいか?」

 と思い廻らせば、母娘は針の筵(むしろ)にでも坐っているような心持ちである。
 しかし、自分の古郷にはまだ田地が残っている。我々母娘がいよいよ金吾を探し当てて古郷に帰ったらば、田地を売り払って、この厚恩に報いようと、僅かに自ら慰めては、行く末のことなどを語り合ってみたが、やっぱり空恐ろしいようで、心が休まらぬ。
 かかる不安の裡(うち)に、母娘の身には二十日ほど経った。すでに天正四年11月の下旬である。充分の医薬を取り、充分の介抱を受けて、なお阿津満の病気は少しも軽くはならぬ。軽くならぬばかりか、かえって重くなったほどである。
 お秋の心痛は一通りではない。

 「いつになったらは母上の病気は快(よ)くなるであろうか?
 この上に病勢が加わったら、どうするであろうか?
 こんなときに良人(おっと)がここにいたらば、どんなに心強いことであろう…」

 と、お秋は病む母の枕元に坐って、毎日同じことを繰返し繰返し考えた。
 ある日、お秋がいつものとおり、母の枕元で古郷の話などしていると、太左衛門が微醺(びくん)を帯びて、母娘の室に入ってきた。太左衛門が座につくより早く、病気見舞の口上を述べていると、

 「檀那様、お誂(あつら)えの物が参りました」

 と云って、宿の女中が重箱三段ほどのご馳走を持ってきた。太左衛門は、これを丁寧に阿津満の枕元に置いて、母娘に薦めて訊かぬ。
 かつ太左衛門慈心が言うところによると、これは太左衛門が医者に尋ねた上、病人に障らぬ物ばかりで調理させたのだという。

 「どうして太左衛門が、こんなことをしたであろうか?」

 と何となく薄気味悪く思って、母娘が馳走を眺めていると、それと見て太左衛門は頻(しき)りに、

 「好きな物から摘んでください」

 と言って薦める。
 母娘も、ちょっとぐらい箸をつけづにはすまされぬ場合となった。

 「では、ご親切に甘えまして、いただきまするが、まず貴方様より…」

 と阿津満が言うを、太左衛門は打消し、

 「私は表座敷で一杯飲むことに用意を申し付けておきましたから、どうぞご遠慮なくお取りください」

 と言って室(へや)を立った。

 表座敷には、もう総ての準備ができていた。太左衛門は、給仕女三四人を相手にして四五杯傾けた後、お秋を呼びにやった。
 女中が阿津満母娘の室に入ってきて、かくと告げた時、阿津満とお秋は、心臓を射貫かれたように覚えて、目と目を見合わせた。大概事の次第が読めたからである。
 けれども、辛い義理の綱で十重二十重(とえはたえ)に縛られたるお秋は、とにかく行ってみなければならぬ。ちょっと行って来ると母に断って立上がった。
 女中に導かれて、太左衛門の室に入ってきたお秋は、何となく不安の色を浮かべて落ちつかぬ。女中らは、お秋の来たのを機(しお)に、皆出て行ってしまった。

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