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【名娼明月ゆかりの地⑤関門海峡〜長崎街道〜唐津街道】

 さて、お秋母娘は、どういう足取りで、本州から小倉に渡ったのだろうかと、ふと考えた。
 物語では、お秋母娘は、備中西河内の故郷から、仇討ちに九州に向かった金吾を追って、お伴の下僕・和平次を伴って、最初は三人で九州を目ざす。
 ところが、安芸国の玖波宿(くばじゅく)で、悪僕要助に、持ち物すべて盗まれてしまった。

 下僕和平次は自害してしまい、母娘はその後、巡礼姿で九州へ向う。
 本州から九州に渡るには、関門海峡を渡らなければならない。
 下関から博多までの二人の足取りを想像して、Google Map で再現してみた。

 わたしの想像では、母娘は、現在の唐戸市場や赤間神宮のあるあたりから渡し船に乗り、対岸の、現在のめかり公園のあたりにたどりつき、門司往還を歩いて、現在のJR門司駅近くの大里宿(だいりじゅく)で一泊。翌日、小倉城下に入ったのではなかろうか。

 小倉で、母・阿津満(あづま)は病気で亡くなってしまい、その後は、お秋一人で旅をつづけたわけだが、

 お秋は独りで、黒崎宿、木屋瀬(こやのせ)宿と長崎街道を進み、そこから唐津街道の、赤間宿、畦町宿、青柳宿、そして筥崎宮前を通って、博多に入ったのではなかろうか。

 立ち寄ったことのある各宿場町のレポートを、明日以降、やっていこうと思います。

 

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