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小説 名娼明月

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2021年2月の記事一覧

【名娼明月ゆかりの地⑤関門海峡〜長崎街道〜唐津街道】

【名娼明月ゆかりの地⑤関門海峡〜長崎街道〜唐津街道】

 さて、お秋母娘は、どういう足取りで、本州から小倉に渡ったのだろうかと、ふと考えた。
 物語では、お秋母娘は、備中西河内の故郷から、仇討ちに九州に向かった金吾を追って、お伴の下僕・和平次を伴って、最初は三人で九州を目ざす。
 ところが、安芸国の玖波宿(くばじゅく)で、悪僕要助に、持ち物すべて盗まれてしまった。

 下僕和平次は自害してしまい、母娘はその後、巡礼姿で九州へ向う。
 本州から九州に渡る

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名娼明月・お秋の足跡を訪ねる①下関

名娼明月・お秋の足跡を訪ねる①下関

 下関の古地図を見つけた。

 くずし字ばかりで判読が非常に困難だが、地図の中央から少し右に、東西南北の方角を示す表示があって(方角がおかしいと思うんだがなあ…)、そのすぐとなりに、「赤間関」と書いてある。
 下関は、昔は「赤間関(あかまがせき)」と呼ばれていたのだ。
 その右の半島のようになっているところの、さらに右に、「阿弥陀寺町」と書いてあるのが見える。そして、その上には、ひらがなで「あみだ

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名娼明月・お秋の足跡を訪ねる②大里宿跡(福岡県北九州市門司区)

名娼明月・お秋の足跡を訪ねる②大里宿跡(福岡県北九州市門司区)

 お秋母娘は、九州に上陸した後の最初の晩、大里宿(だいりじゅく)に泊まっている(現在の福岡県北九州市門司区大里本町)。
 江戸時代になって、参勤交代が行われるようになる。九州各地の街道も整備された。長崎街道(長崎〜佐賀〜飯塚〜小倉を結ぶ街道)は、小倉から大里まで延伸された。大名行列も、ここ大里から渡し船に乗って、赤間関に渡るようになり、大里はたいそう栄えたらしい。
 しかし、明治になって、参勤交代

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