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名娼明月・お秋の足跡を訪ねる①下関

 下関の古地図を見つけた。

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 くずし字ばかりで判読が非常に困難だが、地図の中央から少し右に、東西南北の方角を示す表示があって(方角がおかしいと思うんだがなあ…)、そのすぐとなりに、「赤間関」と書いてある。
 下関は、昔は「赤間関(あかまがせき)」と呼ばれていたのだ。
 その右の半島のようになっているところの、さらに右に、「阿弥陀寺町」と書いてあるのが見える。そして、その上には、ひらがなで「あみだ」、そして、そのとなりに漢字で「◯◯◯阿弥陀寺」と読める。
 この「阿弥陀寺」というのが、上のタイトル画像にしている、現在の「赤間神宮」だ。
 そして、その下(南)には、商家らしき絵が描いてある。赤間関は、とてもにぎやかな街だったのだろう。
 そのさらに下に、2本の航路らしきものが見られる。
 ひとつは右に、対岸の、九州豊前国(現在の福岡県北九州市門司区)の「せうし村」と書かれているところまで引っ張ってある。
 もうひとつは、海峡沿いに左、小倉の方向に引いてある。「小倉に三リ」と書いてあるのだろうか? 3里? 約12kmくらい。Google Mapで距離を調べてみると、陸路でだいたい15km。そうすると、だいたい当たっているか。
 でも、物語には、お秋母娘は、途中、大里宿で一泊したと書いてある。巡礼姿の旅で、手持ちのお金もわずかだったお秋母娘。おそらく直接小倉に向かう船には乗れず、すぐ対岸に向かう渡し船にしか乗れなかったのだと思う。

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