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LGBTsもただの人間です。

こんにちは! プリンセススクゥエアーの笠原です。

「見えない」ことの難しさ

最近「LGBT」という言葉自体の認知度が高まってきたことには功罪どちらもあるなと感じています。
存在が知られ、ほとんど毎日のようにニュースで取り上げられるようになったことで、気軽に意見を表明される方が増えてきました。

「功罪」の「罪」の方では、LGBTsを「自分が評価していい対象だと思ってしまうこと」があるなと感じています。それはどんなところで感じるかというと、こんな発言です。

●B(バイセクシュアル)はまだ結婚して子供を作る可能性があるからいいけど、L(レズビアン)やG(ゲイ)は自分の勝手で同性と付き合っているし子供をつくる可能性はないのだからよくない。
●LGBはまだ理解できるしいいと思うけどT(トランスジェンダー )は理解できない。

モヤッとするポイントとしては「いい」「わるい」ってよく知りもしないのに決め付けていること。LGBTsであることは、「人生」であり「その人のあり方」です。こういう発言を見るたび、あなたは、自分の人生や存在そのものを「よくない」って言われたら、どう思いますか?って聞きたくなってしまいます。こういう発言に傷つけられて、悲しく、つらい思いをしている当事者も、少なくないでしょう。


LGBTsと括ることで見えなくなる「隣にいるあのひと」

きっとこういうことをおっしゃる方って、「LGBTs」というのが、身近にいるひとりの人間であることをすっかり忘れてしまっているんだろうなと思うのです。カテゴリで括ってしまうと、ひとりひとりの人間性が、見えなくなってしまう。

LGBTsといっても、ひとりひとりはただの人。
あなたの隣にいるかもしれない、ふつうの人間です。
あなたのことを害したいとか、社会に対して反抗しているとか、そんなことはないんです。
言わないだけで、職場にも学校にも、お隣さんにもいるかもしれません。
笑ったり怒ったり泣いたりする、ただの人間です。

「LGBTs」ってまとめていうと、もしかしたら「こわいもの」「違うもの」に見えてしまうかもしれないのですが、ひとりひとりを見れば、そうじゃないことがわかるはずです。

かなりLGBTs当事者のYouTuberや有名人も出てきましたが、まだまだ身近にカミングアウトして暮らすひとたちが少なく、「見えないマイノリティ」であることが影響しているのでしょう。


ちいさな「自分ができること」としてのカミングアウト


カミングアウトは当然、他人に強制できるものではありません。それは大前提として置いた上で、私自身は、若い時から比べて随分意識的にカミングアウトをするようになりました。

もともとは、カミングアウトしないと雑談で嘘をつかなくてはならないのが嫌で、「カミングアウトしたらもううるさく突っ込まれないかな」という意図でカミングアウトすることがほとんどでした。

でも、そういうことを繰り返していってカミングアウトへの抵抗がなくなってきたある日、ふと思ったのです。職場も含めて、顔を知って長い時間を一緒に過ごす人がLGBTs当事者だと知ったら、「LGBTsきもい」とか「よくないと思う」って言う人が、一人でも減らせるんじゃないかって。

それから、「他人へのカミングアウトは、自分のためだけじゃないんだ」って思うようになりました。ささやかな力ですが、「ここにいるよ」「あなたと同じ人間だよ」って伝えるためのカミングアウトを、続けていきたいと思っています。


LGBTsが生きやすい社会は、それ以外の人も生きやすい社会


誰しも、自分が属しているカテゴリのことを「嫌い」とか「よくない」って言われたくないと思うんです。

たとえば、「日本人ってこうだよね」「女って(男って)こうだよね」「大企業(ベンチャー企業)に勤めている人ってこうだよね」と言われた時、「自分はそうじゃないのになあ」って思うことはありませんか? カテゴリ全体で「嫌い」とか「よくないと思う」って言われた時に、自分に言われたことでなくても嫌な気持ちになることもありますよね。

そういう問題の根っこってどれも同じで、「カテゴリでくくって、こうだよね〜って話すこと」には快感が伴うということと、一方で「カテゴリで括ることで個人が見えなくなる」ってことだと思うんです。

「カテゴリ」じゃなくて「その中にいる人」を見つめて話ができるような社会になれば、きっとだれもが生きやすくなると思うんです。

不動産業界でも同じようなことが起こっている気がしています。

「同性カップルは法律婚や婚約をしているカップルと比べて、すぐ別れるかもしれないから家を貸さない(ペアローンはNG)」
「男性同士のカップルは家を汚すから家を貸したくない」

これって、完全に偏見です。個々人を見ていけば、「この二人は関係が安定しているからきっと着実に家賃を払ってくれそう」「男性同士だけど綺麗好きって言ってたから問題ないかな」ってわかるはずなんです。

「カテゴリ」を外して、「個々人」を見る社会が到来すれば、LGBTsだけじゃなく、他の様々な偏見や差別で苦しんでいる人たちも、楽に生きられるようになるんじゃないかと思います。

その第一歩として、「LGBTsもただの人間です!」って、いろんなところで発信していけたらいいなと思います。



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