カミングアウトの自由と、幸せに生きる権利
少し前に、栃木県下野市の区議が、「LGBTはできたら静かに隠して生きていただきたい。その方が美しいし、社会的に混乱が起きないと思う」と発言をしたことが話題となりました。
当事者を顧みない非常に残念な発言です。どうしてこういった発言が問題なのかを考えてみたいと思います。
カミングアウトの自由がなかったら……
個々人が自分自身のことについて話すのを誰も止めることはできません。
結婚していることを異性愛者の方が普通に話すことは認められて、同性のパートナーと暮らしている方がそれを止められるなんて、おかしなことです。
「言わないでほしい」と思う方からは、「気持ち悪い」「想像したくない」という意見を聞くこともあります。そういう方は、同性同士の性生活のことを考えてそう仰っているのかもしれません。ただ、LGBTであることは性生活の相手が誰かという問題ではありません。誰かと一緒に(もしくは一人で)生活していくことや、人生、アイデンティティなどのすべてを示しています。
例えば、私たちはマンション購入のお手伝いをすることが多いですが、「人と生活を共にしたい」という気持ちは異性でも同性でも変わりません。
しかし、「人に言わずに隠れて生きる」ということは、ある人は「朝食は自分で作っているの?」と会社で同僚に聞かれたとき、すんなり「妻(夫)が作ってくれていて、私は夜の当番なんです」と言えて、ある人はどんなに幸せな生活を送っていても口をつぐまねばならないということです。それってすごく寂しくてつらいことですよね。
また、カミングアウトを職場などのあらゆる場で「させない」ことは、その人の困りごとなどに蓋をし、見えないようにすることでもあります。大多数の方は面倒ごとを見なくて済み、楽なのかもしれません。しかし、LGBTQs当事者は常に我慢をし、困りごとをなんとか解決するために、本来であれば不要な時間と気力を捻出しなければならなくなります。
「カミングアウトさせないこと」を禁止する条例も
実は自治体によっては、「カミングアウトを強制する」ことと平行して、「カミングアウトさせないこと」を禁止することが明記された条例を持っている自治体もあります。国立市のLGBT条例です。「性的指向、性自認等を公表するかしないかの選択は、個人の権利です」とはっきり書かれています。
URL:国立市女性と男性及び多様な性の平等参画を推進する条例
また、厚生労働省の企業向けに展開された資料でも、「カミングアウトするかどうかは、本人の自由意志によるべきであり、カミングアウトしようとするのを止めたり、逆にカミングアウトを強制することは不適切です」と書かれています。
URL:多様な人材が活躍できる職場環境づくりに向けて~性的マイノリティに関する企業の取り組み事例のご案内~
このように、社会全体でも「カミングアウトする・しないこと」は個人の自由であり権利だという考え方が浸透してきています。
幸福に生きる権利は誰でも持っている
日本国憲法には「幸福追求権」という国民の権利があることは誰もが知っているところでしょう。
ですから、幸せに生きることができないような社会の不具合があれば、「変えてください」と国や自治体や企業に伝えていくのはとても大切なことです。そしてそれは、カミングアウトすることなしに実現できないことです。
「カミングアウト」を「迷惑だ」と捉えることは、その人が幸福で安心して暮らしていく権利を阻害していることにつながるのではないでしょうか。
自分らしい幸せの形を追求する人を応援する不動産会社に
幸せに生きることには、当然ながら「誰と生きるか」「どのように生活するか」ということが深く関わってきます。そして、それらすべてに関わるのが「家」という場所。だからこそ、私たちは想像力をもって、自分らしい幸せの形を追求する人を応援したいと思っています。
ご来店いただいた当事者の方には、もちろんカミングアウトを強制することはしませんし、カミングアウトしていただいた場合にはしっかりヒアリングさせていただき、その方のありたい姿や幸せに感じることに寄り添ったご提案をしていきたいと思っています。
ぜひお気軽に、「あなたにとっての幸せ」の姿を聞かせてくださいね。
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