Gray Spring

 昼過ぎの国道197号線、佐田岬メロディーライン。
左手には、梅の花に縁取られ、低く濃く広がる瀬戸内海。
まだまだ冬のつもりで厚手のダウンジャケットに身を包んでいたが、いつのまにか高くなった日差しに、たまらず左右のウィンドウを三分の一ほど開ける。

 ふと、いやというほど通い慣れたこの道をあと何度走るかと考え、思わずハンドルを強く握りしめる。

 にじんだ涙があふれないよう、深く息を吸い込む。
 湿った春の気配で、胸がいっぱいになる。


 三年前、縁もゆかりもない伊方町への移住を決めるにあたって、さしたる思慮があったわけではなかった。
当時イタリア・ナポリで「演劇活動」と称して好き勝手していた僕は、まさに放蕩息子と呼ぶにふさわしかっただろう。いつまでも親の脛をかじるわけにもいかないし、久しぶりに日本に拠点を移して少しは生計を立てる努力をしてみようか。自分が社会にどう役に立つのか想像もできないが、言語なら多少の覚えがある。都会はあまり惹かれないし、知らない土地に行ってみるのもいいだろう。

そんな中で見つけたある求人サイトの記事で、伊方町の公営塾の存在を知った。
内海に細長く伸びた半島、陽光をめいっぱい浴びた柑橘の彩り、そして「伊」を冠する土地の名前。
それらのことに、引き伸ばされた青春を捧げたイタリアの地との親和性を感じ取った。そして、普段は優柔不断な僕が、ほとんど直観的にエントリーのボタンをクリックしていた。


 それからのこの場所での出来事を、ひとつひとつ辿ってみれば懐かしく、微笑ましく、また苦々しくもある。そしてそのどの場面にも脳裏に浮かぶのは、<人>の顔だ。

<田舎で生まれ育った純朴な高校生>ではない。
<都会暮らしに疲弊して環境を変えたかった高校生>でもない。
<熱心に学校づくりに取り組む教員>でもなければ、<地元を盛り上げるべく奮闘する地域住民>でもない。

ひとりひとり、名前があり、体温を持つ、<人>の顔だ。

そして僕は<地方における教育格差を是正するために活動する公営塾講師>などでは決してない。
ただ自分の人生に惑いながら、彼らの土地と人生にひととき交差することになった、しがない男。

 ここへ来てから、「先生」と呼ばれる機会が当然多くなった。ありがたく感じるとともに、丈の合わない衣服をあてがわれているようなむず痒さもある。
 一方で、オフィシャルではない場面では、だんだんと生徒たちに「神宮」と呼ばれることが増えた。礼儀や挨拶を重んじる愛媛・南予地方の学校環境においては指導すべきことだろうと分かっていたが、ついぞ注意することはなかった。そのような風習への抵抗では決してない(むしろこの3年間は、その美徳を見つめ直す貴重な機会だった)。彼らが僕を「神宮」と呼ぶとき、それは無機質な苗字の呼び捨てでも、若さゆえの過剰な接近でもなかった。不思議なことだが、その響きは、親しみどころか、敬意すら孕んでいた。
 「神宮は、先生っていうより、神宮だからさ」
そういう言葉をかけられると、僕にとっても「生徒」である以上に、生意気だが愛おしい仲間であるように感じられた。


 「演劇はやらないの?」
そう聞かれるのがずっとつらかった。

 大学の卒業制作公演で「イタリアで演劇の道に進みます」と宣言し、かつて留学していたナポリに戻った。そこから日本に帰国し、伊方町に拠点を移すとき、当然のように公営塾の仕事でも演劇を取り入れるつもりでいた。

 この3年間、僕が身体表現から遠ざかったのは、あらゆる身体接触を無慈悲に奪い取った、かの疫病のせいではない。教科学習が求められる現場の事情でもない。
それらは確かに僕を取り巻く要因ではあっただろうが、本質的な問題は常に自分自身の中にあったように思う。
 ともかく、ここへ来た時の「お金を貯めてまたイタリアで演劇しよう」という想いは、かなり変わった。それを認めることができたのはつい最近のことだ。大学を出るとき、周囲がきちんと職に就いて着実に人生を進めようとする中で大見栄を切って打ち出した野望を、今更諦めるのか?あのナポリでの美しい日々はなんだったのか?自分はそんなに意志の弱い人間なのか?

 そう。僕は、周囲が期待するより、ずっと弱い人間だ。
なにより、自分自身が期待していたよりも、もっともっと弱い人間だ。

そのことに気づいた時、生きる意味がふとわからなくなった。
「死にたい」とか「消えたい」とか、そんな具体的で積極的な感情ではない。
ただ単に、これから生きていくうえで、目指すものがなにも無くなった。やりたいことも知りたいことも話したいことも無くなって、新しい本も映画も音楽も受け付けず、ただこれまでに気に入ったものを繰り返すようになった。
 ずるずると、ふわふわと、時間が過ぎていくのをただ待っていた。そんな惰性の中で日々接する若い情熱たちは、拙かろうが間違っていようが、僕には眩しかった。同じように怠惰を持て余していても、そう鬱々とした時間ですら彼らにとっては養分なんだろうと思った。彼らに教えてあげられることなど、自分には何もないような気がして、ただそれを見つめていた。彼らになにか助けになるような人間になりたい、そう思った。


 三崎高校での、最後の一日。
前日までの暑いくらいの日差しは陰を潜め、今にも泣き出しそうなぶ厚い灰色が僕らを覆っている。明るすぎない方が、浮ついた心にも最後の光景を焼き付けられるだろう。雨の匂いが地面のそれと混ざって立ち昇る。その甘やかさが悲しい。

 今年で三崎を離れることを、僕の口から生徒に伝えたのは一週間前。早すぎてもいけないと思っていたが、前の週に出張があったことなどもあり、本当にいきなりの報告になってしまった。が、多くの生徒は噂で聞いていたか雰囲気で察していたようだ。

 たくさんの生徒と別れの挨拶を交わした。餞別の品も多く貰った。思い入れの濃淡もあるだろうが、みなその表情に、いつもの爽やかさと少しの寂しさを湛えていた。

 そんな中、100パーセントの涙に暮れてやってきた子もいた。彼女の慕っていた先輩が卒業し、寮生活を支えてくれていた地域の方も四月から関わりが弱くなる。「大切な人たち」との相次ぐ別れに耐えられず、僕には、最後に顔を見せにこないつもりだったらしい。それでも、なんとか頑張って話をしにきてくれた。

 「『大切な人』と離れる分、これから出会う人がいる。今度はその人たちが『大切な人』になるかもしれない。離れた人たちのことを大事にしていれば、君にとって『大切な人』が増えるんだから、それはきっといいことだよ。だからこそ、離れる人たちのことを大切にしていこう。」

 そんな言葉を彼女にかけて、すごく奇妙な心持ちがした。自分がそんなまっすぐな感情を持っているとは思いもしなかったし、昔の自分なら絶対に言わなそうなことだ。そして、自分自身の言葉にはっとさせられた。

 今まで様々な場所へ行き、様々な人々に出遭ってきた。
名前のない路地をふらつき、決して再び会うことのないであろう人々と言葉を交わす。そんな再現性のない刹那の中に、永遠に等しい命の価値があると信じて生きてきた。その<一回性の旅>の中で巡り逢った人たちと、二度と会わないことがむしろ美しいとすら感じていたかもしれない。しかし、それはただ、「大切な人」を大切にしてこなかっただけじゃないか。あるいは、「大切な人」と二度と会えないことを、恐れていただけではないだろうか。

 偉そうにそれっぽいことを言ったけど、自分が一番できてないよな。最後までこちらが気づかされてばかりだ。そう苦笑しながら、彼女に、今まで自分は「大切な人」を大切にできていなかった事を打ち明けた。でも、さっきの言葉は偽りなく、心の底から出てきた。だから、これからそういう人間になりたい。君もそういう人になってくれたら嬉しい。いっしょにそういう人間を目指そう。


いくつもの言葉がある。
豊穣な大海のように僕らを取り巻くそれらは、大いなる恵みをもたらし、栄養となり、人間を生かしめる。だが時には、荒れ狂ううねりとなって容赦なく襲い掛かり、必死に呼吸しようともがく僕らを嘲笑うかのように、飲み込んでいく。

いくつかの言葉がある。
3月のある朝、ほのかに甘い風に運ばれた綿毛のようなそれらは、さりげなく、頼りなく、ともすれば気づかれることもなく、記憶の彼方へ消えていく。
だが時には、僕の目を耳を鼻を舌を滑らかに伝って、心に芽生える。

そして、小さな未来を兆す。


 演劇でも、教育でも、それは表現形式の問題にすぎないのかもしれない、と最近になって思うようになった。
 僕にとって大事なのは、「人が人といること。人が人としてあること。」それをなんとなく模索し続けている。その鍵が、演劇のこともあるし、言語だったりするし、教育もいい。スペシャリストになることがかっこいいと思ってきた、いや今も思っている。でも、自分はそうなれないかもしれない。広く浅い人間であることを恥じることもある。でも、そんな広く浅い人間を面白がってくれる人もいるし、自分自身もなかなか楽しいものだ。
 そうしていると、「僕が誰かといること。僕が僕としてあること。」が、このうえなく心地良いと感じられる瞬間がある。生きる意味なんて、その程度のことで良いのかもしれない。

 僕に、そんな未来の希望を与えてくれた「いくつかの言葉」は、ここには記さない。まだ幼い芽のようなそれを、自分の胸の中で大切に温めておきたいから。
 でも、そんな「いくつかの言葉」を芽生えさせるための肥沃な土壌のように、「いくつもの言葉」と過ごした愛媛での日々は、常に優しさで満ちていた。自分の人生のこの時期に、この土地で、この時間を過ごせたことを幸せに思う。

 くすんだペトリコールと、濡れた五分咲きの桜の向こうに、
 いろいろな<人>の顔が見える。
 それぞれの彩りで華やぐことを予感し、祈る、灰色の春。

 また必ず会うその日まで。


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