一瞬だけあって
関西と東京のあいだ2日は、実家2階の解体工事を見守る。
天井や壁が取り壊されると、こんなにも光が通るのだと感動する。古い窓を外すと、庭の緑がダイレクトに部屋を満たす。
残りの解体2デイズの見守りは、母にまかせ、東京へ。
晴豆にコロナ後2ヶ月連続でくることになるとは。
前回の晴豆の終わりに、6月24日が空いてると聞き、UFOの日とすぐ気づき、宇宙タイミングな気がして、ほぼその場できめた。
ホームグラウンドとはいえ、以前は東京に住んでいたので、より一心同体な感覚が強かった。ここでのLIVEが歌うことの、毎月の中心だった。
今、自分自身がどこにチューニングがあっているのか確かめながら、6.24にむけて進んでいった。
とても居心地いいところが、いる場所とはかぎらないこと、今、以前のような関わり方をする場所ではなくなってしまっているかもしれないこと、それは、人生の、どんなシーンでも、目を閉じてもいいから、隅々まで、研ぎすまして感じとるのは、とても大事な気がする。軽やかに生きたいのならなおさら。
夏至のmarthaと近いし、その流れで、同じような感覚で、晴豆も出来るのではとおもっていたけれど、やはりその宇宙タイミングで、することはきまっているようで、直前の楽屋でセットリストも変わり、この日にしか現れないUFOに乗り、方違えかもしれない夜を、確かめながら、みなさんと過ごした。
晴豆では、幾多の実験の夜を過ごし、発見の朝をともにし、地球でできる、宇宙の愛を感じることを極める日々だった。
実際、ブレイクスルーを何度も経験した。
その技はやがてコロナになり、遠隔に活かされた。そして遠隔に全フリして得た技を、また晴豆に持ち帰り、たしかに、以前とはまた違う、さらなる愛のパラレルフロウを過ごすことが叶ったし、たしかめられた。
この晴豆という地は、もしかしたら今後は、より新しい技を生み出したあと、ふたたび帰ってきて、披露する場所、定点観測のようにして生きてたホームグラウンドだからこそ、アップデートされたエネルギーや技が確かめられる場所として、機能していくのかもしれないと、宇宙noteを書きながら、振り返っている。
一旦自分のなかで、キッパリ意識を離してみて、どんな心の動きが現れていくのか、進んでみたい心境になっている。
ずっと、懐かしさのなかで表現を繰り返していくより、今は新しいクリエイティヴにむかい、新たな境地をはじめたい気持ちが湧いているのだ。
それが、ヘルシンキで感じるであろうことだったり、オーアーゲーでできるかもしれないことではないかと、今は、直感している。
方違えも道標にしながら、未知の経験をすすもうとおもう。
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