ジェイラボワークショップ第30回『蜆一朗研究員による意識調査』【ジェイラボ未来部】[20220530-0605] #JLWS

 この記事は、2022年5月30日から6月5日にかけて行われました、第30回ワークショップ『蜆一朗研究員による意識調査』【ジェイラボ未来部】のログをまとめたものです。著作権等の影響で外部に公開できない資料等を一部削除していることもありますが、基本的には誤字等も訂正せずにそのまま張り付けてあります。もし訂正したほうが良いこと等ありましたら蜆一朗まで連絡お願いいたします。

はじめに

■蜆一朗

 皆様おはようございます。蜆一朗です。これから投下する文章を編集していたらこんな時間(04:22)になり、朝に投稿できないことを恐れているためこの時間に最低限だけ投下しておきます。さて、今週の WS は僕の個人的な意識調査ということでやらせていただきます。大まかな流れを先に説明しておきます。

  • 1~2日目 過去問研究班の現状と蜆の思想の紹介

  • 2日目最後 数学に関して1つ目の質問

  • 3~4日目 過去問に関して2つ目の質問

  • 5~6日目 過去問に関して3つ目の質問

  •   7日目 予備日 (最後のまとめ)

なお、今週の WS の枠は未来部となっていますが、これはもともと過去問研究部に用意されていたものであり、後述する事情により僕が個人で行います (そのため未来部員の方々にもお答えいただければと思います)。未来部が WS に参加するのは今回が最初で最後です。張り切っていきたいと思います。よろしくどーぞ!

1日目 過去問研究班の現状と蜆の思想の紹介

■蜆一朗

 それでは本題に入っていきたいと思います。まず質問を投げて意見をいただく前に「そもそも過去問研究部ってどうなったん?」「博士課程にもなって何のために過去問やろうとしてるん?」ということについてお話ししたいと思います。かなりの長文を立て続けに投げますので、読んでいただくためにはそこそこの時間が必要になると思い、第1日と第2日をこの過程に充ててゆっくりと消化していただければと考えております。重要な部分は太字にしておきましたので、時間がない方もそこだけ目を通していただければ幸いです。

§1 過去問研究部が活動を休止している事情と現状

 皆さんもご存じだと思いますが、過去問研究部は GW 中に未来部に吸収合併されました。ご存じの方もおられるとは思いますが、ここで改めて事情を説明させてもらいます。

1. 他の部活動とくらべてあまりに異質すぎる
 これは皆さんも薄々勘付かれていたことと思います。集まったメンバーでできることを考え等身大の学びを模索するジェイラボの部活動と、優秀な部員を集めた上で理念に基づいて質の担保を追求する過去問研究部。完全に方針が真逆です。Hiroto くんと Naoki くんに協力してもらいながら 3 月には少し動き出していたのですが、(今まで軽視されていたわけではもちろんありませんが) 今年度からより重視されることとなった WS にもあまり適合しないこともあって、所長も困っていたようです。そのため GW 中に、対外に向けてジェイラボの理念に基づいた活動を発信する未来部に吸収合併するという形をとることになりました。

2. 今やるべきことは過去問研究ではないという考えになった
  なんじゃそれと思われるかもしれませんが、1. の事情もあって活動が休止となり、そこから現在までの間で表題のような考え方になったというのが紛れもない事実です。そのため過去問を解いて解説を作る活動は今現在行っていません。ではもう完全に活動をやめるのかというとそういうわけでもありません。今もなお「過去問研究班 (仮)」として規模を縮小しながらも存命しており、所長の体調や Hiroto 君と Naoki 君の勉強が落ち着いて本格的に活動し始められる日に向け、入試に関するデータ収集・教材作成のための TeX データの編集といった細々な準備を続けています。

次の投稿(1日目 13時ごろ)では「今やるべきこと」が何だと思うようになったのかについて説明します。ここから長くなりますがご了承ください。

§2 蜆が過去問コンテンツにこだわる理由

こんにちは。長々と長文を投下します。何か意見や感じたこと等があれば投下していただけると喜びます。よろしくどーぞ!

§2.1 蜆が数学で教職を取った理由

 これについては、僕が1月ごろに書いた「高校時代文系だった僕が教員免許を数学でとったのは「ラクだから」」という note 記事を読んでいただければすべてが書いてあります。おかげさまで多くのジェイラバーの皆様にも読んでいただき嬉しく思っております。実はこの WS に向けて少し加筆修正し 10000 字の長文になってしまいましたし、WS 内だけで可能なかぎり完結させるべきだとも思うので、気になるという方がおられればということにしておきたいと思います。この記事についても意見や感想をお待ちしております。
https://note.com/primenumber_443/n/n9615e335c437

§2.2 蜆が勉強を教える上での理念

 数学部の WS でも似た内容のことを投稿したのですが、改めてここにも書いておこうと思います。かなり長くなってしまいますが、できるかぎり平易な文章を書くことを心がけましたので、どうかお許しください。これらが過去問研究班や未来部において蜆が活動していく上での基本理念となりますので、第 3 日以降のアンケートでもこれらのことを念頭に置いて回答していただければ幸いです。

(A) 数学を勉強させる理由と指導への向き合い方
 ちょうど最近、三角関数について馬鹿をさらした維新の某議員が話題になり、Twitter でも話題となりました。数学を愛する人々は数学を否定されたことに怒っていましたし、実例をもって数学が社会でいかに役に立っているかを説く人たちもたくさん見かけました。想像していた通りではありましたが、勉強を教え学ぶという営みの抽象的な目的意識を指摘する人はほとんどいませんし、そういう視点を持つ人は``議論(う〇この投げ合い)''には参加しようとせず「またやってるよ…」と冷ややかな目を向けます。実をいうと僕がフォローしている方にはそういう方もいたのですが、そういう方のみを好んでフォローしているというバイアスが大いにかかっているはずです。それを差し引いてもこのような人々が多数派であるとは到底思えませんジェイラボの皆さんの多くもまた少数派であっただろうと思います。

 数学を「学ぶ」理由は当然人によって違います。それゆえ、三角関数を学ぶ意義についていくら議論したとしても収集は尽きませんし、今回の問題のような馬鹿げた議論はいつまでたっても起こり続けます。それでは我々大人たちが生徒たちに数学を「学ばせる」理由とはなんでしょうか。これもまたいろんな立場がありますが、社会にこういう人が増えてほしいという視点に沿って考えたとき、数学や英語が持つ重要な性質としての「ある一定量の閉じたルールの体系が与えられたときに、それに従って思考・判断し、その中で正しい結果を導く訓練に向く」ということを挙げます。将来的に数学そのものを使って生きていく子どもは少ないですが、大人になり社会システムに組み込まれたときにその中でうまくやっていく力はすべての子どもにつけておくべきであり、それこそが教育の最大の目的だと思います。そのために数学の学習の中で経験できることとして、定義に基づいて定理を証明したり、抽象化に慣れさせたりする活動は、到達目標を一定のレベルに置かずに各自の段階にあった範囲ですべての高校生に経験させなければならないと思います。

 しかし、現実の教育で行われている数学はそのようなものになっていません。体系的に教える技術がなかったり(自省)、そもそもの「なぜ数学を教えるのか」という前提すらまともに考えたことのない「先生」が過半数でしょう。そのために、数学の学習といえば、試験を乗り切ることや具体的な技術を身につけることそのものが目的になっていたり、基本の理解を疎かにしてパターンマッチングで解法を覚えることに終始されたりしています。抽象化せずに大量の具体にあたらせるため、身につけさせたい総量に比して生徒の負担が必要以上に多くなっています。時代が進むにつれ学ばないといけないことはどんどん増えていきますので、可能なかぎり多くの事項を抽象化・体系化して学習の負担を小さくすることが指導者には求められると考えます。負担をできるだけ小さくしたうえで次に考えるべきことは、学ばせる量を増やすことではなく、最初に言った抽象化の訓練を十分に積ませることであると考えます。
(B)「身の丈にあった」勉強と「成果主義的」勉強の差を埋めたい
 体育会系の部活動経験が高く評価される世界があります。これは何か具体的なスポーツのスキルが高いからではないでしょう。おそらくは奴隷適性が高いスポーツをやる中で身についた体力・精神や礼儀作法などが高く評価されるからだと思います。日本の義務教育が留年を許していないのもこれに近い理由があると考えます。何か具体的な学問の知識や技術を身につけることではなく、めんどくさい生徒を早く先送りにしたい学習の課程で思考力・好奇心・視野の範囲などをゆったりと伸ばすことを目的の一つに置きたいと考えるからでしょう。このような考え方を「履修主義」と呼びます。学習者の視点から言うならば、自分に合ったレベルで自分なりの体験を積むことが最も重要であると思います。適度な背伸びが能力を伸ばすこともありますが、現実的にもわからないことが多すぎると続きませんし、勉強に興味を持つ段階や時期は人によって違うからです。この勉強の在り方は、具体的に何かをできるようにすることだけを目標にするのではなく、自分が興味を持てる分野を勉強する過程でさまざまな姿勢が身につくことを最大の理想とするものです。これを「身の丈に合った」勉強と呼びたいと思います。「身の丈に合った」というのは「お前の能力はこんなもんだからこの大学にしておけ」というニュアンスではありません。表現があまり良くないため、何か良い言い回しが浮かんだ方は教えてください。

 この対極にあり、何か具体的な技術や知識を身につけさせることを最大の目的とし、必要に応じて留年させることも厭わないとする考え方は「成果主義 (習得主義)」と呼ばれています。その典型として挙げられるのが大学入試でしょう。現代社会において大学入試の結果が持つ意味はかなり大きいため、学習者だけではなく指導者・保護者、そして現代社会自身までもがその存在を無視するわけにはいかなくなっています。数学部さんの WS でも言いましたが、現在の数学教育が抽象化の訓練をほぼ積ませていない最大の理由は高校受験や大学受験にあります。入試の数学が「問題を解く」ことを求める以上、学習者の関心はどうしてもそちらに向いてしまいます。「問題が解けないのは理論がわかっていないからだ」という文言を大学ではよく耳にしますが、それは問題が理論の核をちゃんと捉えており、その理解を問う正統で妥当なものであるときに限った話です。さまざまな事情があり、大学入試の問題はそこまで洗練されたものばかりであるとは言えません。それだけではなく、「抽象として頭に入れたものを具体に落とし込む」こと、つまり理論を勉強する (抽象) ことと問題を解く (具体) こととの間に壁を感じる学習者も少なくないため、具体に慣れさせることを最大の目的として学校の数学を進めざるを得ないのだと考えます。一定以上の成果を出すことに最適化した具体ばかりの学習、これを「成果主義的」な勉強と呼びたいと思います。進学を前提としないような学校でも、抽象についていけるだけの下地が生徒側にないため、やはり具体が与えられることになります。抽象を目的にしたいのに具体ばかりを与えざるを得ない現状。僕はここをどうにかして変えられたらと考えています。
(C)「過去問」に行き着いた理由とそれをより充実させたい理由
 例えば古賀さんのように予備校ではなく学校を選んだ先生方というのは、このギャップに問題があると考えておられるはずです。大学入試を最大の目的とした指導を行う予備校にどうしても抵抗があるのでしょう。抽象としての数学をきちんと伝えることを目的に活動されるのは立派なことだと思います。しかしその理念を実現できうるのは現実的に見ても超進学校だけであり、もともとの身の丈のまま成果まで出せてしまう子たちに限定されてしまいます(超進学校が実際どうなのかはわかりませんし、そこに通う子たちももちろん大学入試に向けて努力していることは当然理解しています)それでは何も現状が変わりません。かといって超進学校でないところや学習塾などのように大学入試で成果を出すことが至上命題とされる環境において、地道に自分なりに能力を鍛えていこうよと言ったとしても「そんなことしてたら受験に間に合わない」とそっぽを向かれてしまうのはやむを得ないだろうと思います。僕が今まで進路に悩んでいたのはこういったことをいろいろと考えていたからです。

 受験にどう向き合うか。これは本当に難しい問題だと思います。理念の説明のために蜆自身の経験を話してみます。打たれ弱い蜆は、受験を他者との競争と思わないで済むように、そして勉強を「身の丈に合った」勉強から可能なかぎり乖離させないことを強く意識していました。具体的には、倍率・偏差値・合否判定という相対的なデータに依存しない必要十分条件 (合格最低点) だけを意識し、自分自身でどうにかできることだけに集中することだけを考えました。そのためには「過去問」が欠かせませんでした。具体的にこれができるようにならないといけない、ということが見えれば少し前向きになれるような気がしていましたし、それで実際にメンタルを完全には壊すことなく合格もできました。しかし、このような戦略は京大だからこそ採れたものとも言えます。京大は過去問コンテンツが大量に出版されていますし、合格最低点のようなデータも簡単に手に入ります。しかも科目数が多いので「身の丈に合った」受験戦略自体をもいろいろ練ることができます。だからこそ僕は数学や地歴に振って英語をやらないなんてことができたのです。ところがたいていの大学ではこれらの情報があまり手に入りません。おそらく多くの指導者の方は「そんな難しい問題は出ないから普通に勉強すれば解けるよ」と考えておられるのでしょうが、それだと「成果主義的」な勉強に振り切らないといけない子は厳しい戦いを強いられます。こういう理由で、蜆は身の丈に合った勉強と受験的勉強の差を埋めるために過去問に向き合う必要があると考えるのです。蜆がやりたいのは、大学入試という現実を自力で何とかできる子たちに理想を求めることでも、現実に手いっぱいな子たちに大人たちの理想を押し付けることでもなく、理想と現実の間を少しでも埋めることです。

 本当はもっと受験に関係ない勉強支援をしたいと思っています。できるだけ多くの人に「身の丈にあった勉強」をしてもらいたいという野望があるからです。しかし今の実力や現状ではそれができませんし、話を聞いてもらえるだけの説得力や魅力が自分にはないと思っています。ジェイラボへの貢献ということも考え、過去問研究班や未来部で一定の成果を上げつつ自分に力をつけることが自分のやるべきことだと思っております。

上の投稿の最初にも書きましたが、意見や感想等ございましたら投下していただけるとうれしいです。次回の投稿は2日目の朝9時頃を予定しており、過去問研究班や未来部で具体的に行う活動内容と数学に関する質問を1問投下します。3日目以降の質問はどうしても高校数学の経験が少ない方には答えづらくなってしまいますが、2日目に投稿する質問はそうでない方でもある程度意見を出せるようにしたいと考えています。意見は WS 期間やそれ以降もずっとお待ちしております。

■Hiroto

■Hiroto
 過去問に向き合う必要は絶対にあるが、過去問研究は今やるべきことではなく、今は蜆さんの魅力アップのためジェイラボに貢献するという趣旨だと思います。

 過去問研究を今やらない理由についてですが、過去問研究班が未来部になったことや所長や僕やnaokiさんのスケジュールなどの外的な要因なのか、蜆さんの中での理念的な違和感といった内的な要因なのか、もしくはその両方なのか、詳しくおうかがいしたいです。

■蜆一朗
 ありがとうございます。今過去問を解いていない理由は主に僕個人の内的な要因にあります。東大や京大の問題を春先にやって手伝ってもらいましたが、コメントや解法・解説がスラスラ浮かぶ分野もあれば、受験的な発想で機械的に処理せざるを得ない分野もあり、そもそも理解が怪しいような分野さえあると再確認しました。純粋に自分自身に力が足りていないと感じたので、まずはちゃんと自分に力をつけようと思うようになったというのが正直なところです。教科書と受験数学のギャップを埋めるというのも、理想と現実のギャップを埋めたい自分にとってはメタ的な意味で練習になるかなと感じています。過去問を大量に解いて必要な知識が何なのかをまとめ上げていくのは極めて非効率ですし、僕が今常識だと思っていることが実は受験レベルの知識であり、実は教科書では扱われていないということもザラにあると思います。それだったら先にベースとなる教科書の部分を固めてから作業にかかったほうが、問題を解いて見えてくる基本と受験の差が鮮明になるのではないかと考えています。大まかにはこんな感じです。今のところやっていることややろうとしていることは明日の朝に投下するつもりです。またそこでも詳しく説明しますね。

■チクシュルーブ隕石

■チクシュルーブ隕石
 蜆さんがおっしゃっているように具体的な式操作を重視して抽象を消化し切る事ができていないという現実が高校数学における大きな歪みを生んでいると感じています。特に大学受験における数学では異様に難しい問題を極端に短い時間の中で出力するという半ば競技化してしまっている側面があると感じています(僕は個人的に大学受験における理科の時間設定にも似たものを感じています)。それにより高校数学の最終目標も大学受験で数学を解くことができるよう最適化されてしまうために違和感が出てしまうと思っています。

■蜆一朗
 ありがとうございます。勉強する量を減らしてその分を他の活動に充てましょうというゆとり教育政策が失敗に終わったように、入試問題を簡単にしすぎると勉強しない高校生が増えてしまうという懸念があるのかもしれません。入試を緩くして入学後の試験を厳しくするというのも、大学教授の仕事量や TA (ティーチングアシスタント) として雇われる大学院生の不遇を考えればなかなか現実ではありません。この負のスパイラルはどうやったら抜け出せるのでしょうね T^T そういう意味では、今年の京大数学に対して僕はすごくいい印象を持っています。易しめの問題を多く並べて、数学を捨てて合格することをできなくしたうえで必要最低限のレベルを担保するというのが現実的な案なのだろうと思います。

■蜆一朗

さっそくお2人から意見と質問をいただけてありがたいです。次に返信できるのは夜になると思いますが、引き続き意見をお待ちしております。

■ゆーろっぷ

■ゆーろっぷ
 「身の丈に合った」勉強と「成果主義的」勉強があるという整理の仕方にとても納得すると共に、それらのギャップを埋めたいという思いに対しても深く共感するばかりです。僕は受験生時代に「成果主義的勉強」をやって疲弊した挙句受験に失敗したという経験があるので、蜆さんとは逆の方面からではありますが、結果として同じような思いを抱いているのかもしれません。

 身の丈の勉強というのは、他者の視線を含まない、自分の中にある興味関心にドライブされた勉強──「ただ勉強したいから勉強する」という勉強──と自分は解釈しました。それと対立する(本当は対立すべきではないが、現在の制度下では対立せざるを得なくなっている)勉強のやり方が、蜆さんのいう成果主義的な勉強で、それはその動機の中に他者(社会)からの視線を含む勉強であるという認識です。成果というものは、特に受験においては他者との比較により決定されるので、それを勉強の中心に置いてしまうと、自分の中にある知的好奇心というものは無視されて、勉強の動機が「それをやったら社会的に(他人と比較して)有利になるから」というものになってしまうのはある種の必然です。しかしやはり、自分の関心に基づいた勉強、身の丈の学び、そのようなものが本来の勉強であろうかと思います。学びの対象への興味関心を二の次にして、ただ社会で上に行くための道具として勉強を利用する(また、それを受験生に強いることにもなっている)のは、僕としてはやはり強い違和感を覚えます。蜆さんも同じような感覚を持っているのかどうか、ご意見を伺いたい次第です。

■蜆一朗
 ありがとうございます。ゆーろっぷくんの解釈がまさに僕の感覚と同じです。ご指摘の中にもあるように、自分の興味関心に基づいて内発的に行う勉強が最も理想的がと思います。知識や技術も身につきやすいでしょうし、前向きに楽しんでできると思います。そしてこれが一生涯できる環境があればいいなと思います。もちろん社会で生きていくために最低限出来ないといけないことはあるので、それを外部から強制的に勉強させることも必要だと思います。義務教育の中にはそういう内容も含まれていますね。好きなことばかりやっているのは良くないとも言われますが、自分を押し殺して苦しむくらいなら興味のないことに手を出す必要はないと思います。僕は文系の子にこそ数学をやってほしいのですが、それも無理やり強制するべきことではないとも思います。自分の力を示したり有為なポジションにつくためだけに、学力のない人に対して自分の学力を示すこと。このような行為を僕は例の note 記事において「暴力的・風俗的」と表現しています。社会ではこれが効果的に働くのかもしれませんが、彼らはうまく制度に乗っかっているだけであり、論理で批判することはできません。もちろん倫理的には好ましくないだろうという感覚でいます。

■YY12

■YY12
 身の丈にあった」勉強というのは、確かに重要なポイントだと思います。
(受け売りですが「等身大の学び」という言葉が気に入っています。ニュアンスがズレてたらすいません。)前提として、社会は子供に「空虚な向上心」を植えつけていると感じています。「向上心」というのは、自分で目標を設定して初めて意味を成すのに、大概の場合それは上から自明なものとして振り下ろされてきました。卑近な例でいえば、予備校や学校の過剰なまでの「学校歴・偏差値煽り」なんかそうだろうと思います。多分、本人たちは「当たり前」のことを言っていると思っているので、そんな感覚はないと思いますが少なくとも僕にはそんな気がしてなりませんでした。ネームバリューのあるところに進学するのは価値のあることだと思いますし、それを否定したいわけでは全くありませんが、今は明らかに「煽りすぎ」だと思います。そして、この向上心、穿った見方をすれば「競争心」というものは、(ゆーろっぷさんが言うように)「学びを空虚なものにするだろう」と思います。そうれなれば、「自分が身につけるべき力」ではなく、「目の前の1点」を重視するのも当然です。

 誰に煽られるわけでもなく、誰を追い越すためでもない、そんな「自分に合ったレベルで自分なりの体験を積む」ということが当たり前の社会になってほしいと思います。

■蜆一朗
 「身の丈に合った」というとネガティブなイメージがどうしても付きまといますよね T^T 実はロザンの菅ちゃん (関東圏の方に伝わるでしょうか) が「身の丈に合った勉強法」という本を出していて、読んではいないですが僕の考えていることと同じ趣旨だろうと勝手に思い援用しています。おっしゃる通り「等身大」という言葉がもっとも僕の伝えたいニュアンスに近いです。なぜこの言葉が浮かばなかったんだろう。こっそり書き換えさせてほしいくらいです笑向上心を持てというのもまたいい意味ではなく、汚い表現をすれば「俺らから動機が与えられなくてもずっと頑張り続けろ」ということになるかと思います。YY 君も指摘してくださっていますが、大人たちは子どもたちに動機を持つことを強制していますよね。自分のやりたいことが見つけられない子供たちにやるべきことは、保険として偏差値の高い学校に進学させることではなく、いろんな経験をさせてやることなのではないかと感じます。しかもこれは、24にもなってやっと自分のやりたいことがはっきりしてきた自分自身の反省でもあります。大人が言う保険の意味合いが強い一般論を頭では理解できても、自分自身の腑に落ちないとなかなか納得できませんよね。空虚になるのも仕方ありません。可能なかぎり自分主体の体験をさせてあげられたらと思います。

■Takuma Kogawa

■Takuma Kogawa
 国家試験も成果主義的でした。特に私立大学において合格率を操作するために、不合格になりそうな学生は受験させずに留年させることが横行しています。身の丈に合った勉強や抽象に慣れる勉強を推進することと、東京一工クラスの過去問を取り扱うことが私の中ではうまくつながっていません。むしろ偏差値50前後の大学の試験問題の方がすでに存在するコンテンツが少なく、受験生のボリュームが大きいため、与える影響が大きいかなと思いました。ジェイラボがもともとハイレベルな内容を扱っていたこと、東京一工クラスの受験生でないとしじみさんの意図が伝わらないと思ったなど、そういう背景があるのでしょうか。

■蜆一朗
 ありがとうございます。やはり私見となるとどうしてもそうならざるを得ないのですかね T^T Kogawa さんの場合は薬剤師の国家試験だと思いますが、医師国家試験合格率が高い大学というのもやはり合格できる子だけを受験させているのでしょうか。Kogawa さんに出していただいた意見はごもっともです。本来ならば最新の投稿に引っ付けて一緒に投下するべきでしたが、実は今後やりたい内容を後で投下するつもりでした。せっかくなのでもう公開してしまおうと思います。

■Takuma Kogawa
 医師国家試験も多少はそういう操作があると思いますが、薬剤師国家試験の方が顕著です。将来的な供給過多、ストレートに卒業かつ合格できる学生が少ない大学もかなりあることから、薬学部の定員削減は議論されつづけています。

§3 過去問研究班や未来部でやりたい活動

■蜆一朗

 ここまで長々と書いた考えを踏まえ、過去問研究班を動かすうえでの方針としては次の3点を挙げておきたいと思います。

(1) 東大京大だけではなく、たとえば旧帝大やそれに準ずる大学 (筑波・横国・千葉・神戸・大阪公立・広島など) から始めて、可能なかぎり多くの大学の問題に着手します。ここで上げた大学は現状過去問が比較的手に入りやすいですが、意外にも解説コンテンツはほとんどありません。Kogawa さんがご指摘してくださったように、ここで上げた大学に比べて偏差値的にもう少し低い大学が僕の理念に合うとは思うのですが、手元にデータがないためすぐには実行できません。旺文社の全国大学入試問題正解などが手に入ればよいのですが… T^T 偏差値50というとどのくらいのレベルになるのでしょうか。

(2) 文系数学や後期試験も扱います。むしろ文系数学を充実させることに力を入れたいと思っています。理系と同じ問題の場合には解説が省略されてしまうことも多く、蜆が受験生のときにはあまりよく思っていませんでした。

(3) 可能なかぎり多くの解法を紹介します。そのなかに自分でも理解できそう・作れそうと思えるものを見つけてほしいと思っており、そのため解法は泥臭ければ泥臭いほど好ましいと考えます。洗練された解法もいいのですが、それは鉄緑会や大学への数学シリーズの仕事だと思っています。

もちろんこれらの作業を少人数でこなすのも共同でこなすのも難しいことは承知しています。ジェイラボという枠組みの中でどれだけのことができるのかは全然わかりませんし、広報活動にもつながるのであれば (僕の理念的には優先度は低いのですが) 難関大学からスタートするのもアリかなという感覚です。その場合には (これもまた自分の負担を踏まえてですが) それと並行して個人的にできることをやっていくことも視野に入れています。コアレクチャーやチョイ解きレッスンと思想が近しいため、現存する教育機関 (?) の中で最も意思疎通が図りやすいのがジェイラボだと思っています。皆さんの力をお借りしてやりたいことが実現できたらと思っております。

 そして、所長の体調や Hiroto 君と Naoki 君の勉強が落ち着いた暁には未来部が本格的に始動します。今のところ僕がかかわる活動内容の中で想定しているものを3つ紹介して、僕の思想の開示を終了したいと思います (最後に投げる1つ目の質問がまだありますが…)

(1) 中学・高校の数学の教科書を精読する
 先ほどの投稿で述べたように、コアレクチャーのように「指導者には体系立った知識を学習者に与える義務がある」という理念のもとに活動していきますので、その基盤となる中学数学及び高校数学の内容理解が欠かせません。所長の体調が回復し次第、所長・Hiroto・蜆 (・Naoki) の 3 ~ 4 名で教科書を精読していく予定にしております。ここを踏まえないと過去問コンテンツに僕の理念が反映されないですし、偏差値的には高くない大学の入試問題は教科書レベルに準拠していることが多いため、優先度としてはこちらのほうが高いと考えた次第です。ひとつだけ懸念しているのは、高校段階の学習指導要領が旧課程から新課程へ切り替わるタイミングがちょうど今に重なっており、数学 II 以降の教科書及び参考書が今のところ市場に出回っていないことです。どうやら見本がこの夏に大学図書館等で公開されるらしいという噂をつかんでおりますので、もし大学や企業でそのような機会に触れられる方は是非とも力を貸していただき情報を提供していただければと思います。

(2) シン・コアレクチャーのアップデート作業に取り掛かる
 読会が一段落したらシン・コアレクチャーを作っていこうと思っております。学習指導要領を無視して作ることが決まっていますが、精読会で得た体系的な知識は確実に生かせると思います。受験に必要な知識を行列等の分野も含めて網羅するという今までの良さを踏襲しながら、大学数学を知っている人が見ても問題ないと思えるような内容に強化していくことを目標としています。その中で体系的に多くの知識を扱い、可能なかぎり嚙み砕いて説明することに蜆が貢献できればと思います。

(3) さまざまなデータ収集を続ける
 現時点で蜆が個人として、各大学が出している過去問や入試結果の統計整理・問題データの作成と編集・参考書等の市場調査などの準備を行っております。もし興味のある方がおられたら、現時点でできている資料を公開しようと考えています。本 WS の2~6日目ではその一環として、過去問コンテンツを作成するうえで参考にさせていただくべく、いくつかの質問を選択型および (任意の) 記述形式で投下します。可能なかぎりお答えいただければ幸いです。

2日目 数学に関して1つ目の質問

■蜆一朗

 おはようございます。今日は2日目です。夕方5時〜6時ごろに1つ質問を投下します。よろしくお願いします。

■匿名希望

■匿名希望
 自分の意見としては、大学に入ってから、大学受験で教わった知識を学生実験で行なったり、学ロボの活動で、だからあの時の勉強はここで役立つのか、と最近よく感じるようになりました。(例えば、化学のイオン交換膜の話は、とりあえず大学受験では勉強させられるが、大学に入って研究者としてやっていくと、水では不純物が混ざっているから、イオン交換膜を用いて、水を濾過して純粋にしないと、精度が落ちるから、実験前にはイオン交換膜は必ず使うから、その基礎を問うためにイオン交換膜の問題は出題されているのかや、ロボットの制御をやりたいんだったら、ロボットの自己位置推定の確率ロボティクスの話で統計が必要で、統計が必要になると、確率の知識が大前提になってくるなど)入試で問われていることが、入試の先に視点を置いて、なぜ問われているのかを体感しながら過去問を取り扱うのが良いのではないかと思ったりします。(学ロボと試験勉強で忙しくて、正直あまり精読・熟読できていない状態でレスしているので、内容ずれていたら、本当に申し訳ございません。)

■蜆一朗
 ありがとうございます。「三角関数いつ使うねん」ではないですが、わけもわからず謎の概念を勉強させられることについて疑問を持つのはある意味当たり前かと思います。学問の世界や社会からすれば基礎・基本も初学者にとってはすべて最先端なわけで、先が何も見えないまま進んでいくと不安になるのは当たり前ですね。こういった精神面での不安は受験勉強を進めるうえでは「邪念」とされてしまいます。匿名君がおっしゃるように、教材にそういった視点を伝えてくれるものがあれば勉強に対して前向きになれやすいと思います。参考にさせていただきます。

■蜆一朗

 こんにちは。それでは今日の内容に入ります。昨日までに投稿した内容を踏まえ、学習者の負担を減らすために指導法や教材について様々な工夫を凝らすことが必要と考えます。そこで今回の WS では皆さんに3つのアンケートを取り、いただいた意見をを参考にして今後活動していこうと考えております。過去問研究班は可能であれば数学以外の他科目にも手を出せればよいなと考えていますが、とりあえず今は数学に絞って考えていきたいと思います。

■質問1 学生時代の数学学習について

中学時代に数学は…
:1: 好きだった(興味を持てた・面白かった)    11
@チクシュルーブ隕石, @Hiroto@Naokimen@Shun@Yujin, @シト, @Takuma Kogawa, @ていりふびに, @Tsubo, @イヤープラグさざなみ, @イスツクエ
:2: 好きでも嫌いでもなかった    5
@YY 12@Daiki, @コバ, @ゆーろっぷ, @Yuta
:3: 嫌いだった(興味を持てなかった・面白くなかった)    3
@匿名希望, @にしむらもとい, @あんまん
:4: 得意だった(いい点が取れた)    11
@Hiroto@Daiki@Naokimen@Shun, @匿名希望, @Yujin@Takuma Kogawa, @にしむらもとい, @イヤープラグさざなみ, @Yuta, @イスツクエ
:5: 得意でも苦手でもなかった    1
@ゆーろっぷ
:6: 苦手だった(いい点が取れなかった)    3
@チクシュルーブ隕石, @YY 12, @あんまん
Created by @蜆一朗 with /pol
高校時代に数学は…
:1: 好きだった(興味を持てた・面白かった)    15
@チクシュルーブ隕石, @YY 12@Hiroto@Daiki@Naokimen@Shun, @匿名希望, @Yujin@Takuma Kogawa, @ゆーろっぷ, @ていりふびに, @Tsubo, @イヤープラグさざなみ, @イスツクエ, @あんまん
:2: 好きでも嫌いでもなかった    2
@コバ, @シト
:3: 嫌いだった(興味を持てなかった・面白くなかった)    2
@にしむらもとい, @Yuta
:4: 得意だった(いい点が取れた)    8
@チクシュルーブ隕石, @Hiroto@Naokimen@Shun, @匿名希望, @Yujin, @イスツクエ, @あんまん
:5: 得意でも苦手でもなかった    4
@YY 12@Takuma Kogawa, @イヤープラグさざなみ, @Yuta
:6: 苦手だった(いい点が取れなかった)    4
@Daiki, @ゆーろっぷ, @Tsubo, @にしむらもとい
Created by @蜆一朗 with /poll

■蜆一朗

 僕が主に伝えたかったことは、「等身大」の勉強 (YY 君の表現を使わせていただきます) と「成果主義」的勉強の差を埋めたいということです。そこで、この問題をかなりシンプルに考えて「好き嫌い」「得意不得意」の観点から皆さんが学生時代にどういう心境だったかを聞いてみようと思います。すなわち、

「好き嫌い」というのは等身大の自分が数学の勉強に興味を持てたかどうか「得意苦手」というのは試験で客観的に見ていい点が取れたかどうか

という意味にしておきます。

回答にあたっての注意

複数択可能にしてあります。選択肢1~3、4~6のうち当てはまるものをそれぞれ1つずつ選んでください。

受験科目として数学を使っていない方は「試験」を入試ではなく「定期試験」「模擬試験」と読み替えてご回答ください。数学にあまり触れていない方の意見も非常に参考になります。

「好きで苦手」「嫌いで得意」のように一見相反する意見は非常に参考になります。そういう方は具体的に感じていたことをぜひ教えてほしいです。

・制限時間は特に設けず、WS 中ずっと回答を待っております。

・3日目以降に投下する質問は、過去問研究班の活動が数学に限られているために、数学を受験に使っていない方は答えづらくなってしまうかもしれません。もし心配であれば今回の質問に重点を置いて意見を投下してくださると助かります。

何か不明な点があればいつでも質問してください。

具体的に「中学高校における数学の学習や教材についてこういう点に不満を持っていた」(ex. 抽象思考の訓練が足りない、受験に寄りすぎ、問題集の解答がない、…) 「こういう授業や教材があれば勉強しやすかった」(ex. それを学ぶ動機を教えてくれる、発想の着眼点を教えてくれる、…) ということがあれば、文章で投下してもらえると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

■Hiroto

■Hiroto
 ずーっと好きでずーっと得意でした。つまらなくてすみません笑。今数学科に入ってようやく壁にぶち当たっている感じです。具体的な不満点とかがパッと浮かばないので、浮かんだらまた投下します。

■チクシュルーブ隕石

■チクシュルーブ隕石
 実は僕は小学五年生ぐらいまでは数学をあまり好きではない子供でした。それが何があったのか自分でもよく分からないですが急に数学に興味を持つ事ができるようになりました。それから今まで数学は好きな科目で興味を持ち勉強したいと思える存在です。まず僕は中学生時代数学は好きでしたが毎回高得点を取る事ができませんでした。今考えればこれはひとえに抽象化するという作業をしていなかったためだと思っています。特に中学数学は具体計算地獄である傾向があるため、ある程度ハイレベル(高校数学または大学数学を見越した)教材があればいいなと考えてています。そういう意味で中高の範囲を一気にカバーしそのようにデザインするというシンコアレクチャーの形態に共感、納得を感じます。さて高校生となってからは一年で典型的な問題集(僕が使っていたのはフォーカスゴールド)などで基礎力をつけて自分なりにヒューリスティクスを作るようになり、成績はそれなりになったと思います。またコアレクチャーやチョイ解きレッスンなどの教材は自分が作っていたヒューリスティクスをより強め有機的なつながりを作ってくれたので非常に感謝しています。以上の経験から抽象的・俯瞰的に全部の分野をカバーしてくれる教材があれば良いと思っています。正直自分でヒューリスティクスを作ろうと思える受験生は上位数%なのだろうと感じています。それら以外の既にヒューリスティクスを完成させていない学生に対して、中高数学を俯瞰的な立場から見た教材の存在はかなり大きな助けになると思います。最後に僕が高校生の時は大学数学と高校数学のつなぎになる教材も欲しいと感じていました。これは受験生という視点で考えた時に絶対必要であるかどうかは議論あると思いますが、等身大の勉強としてより数学を勉強したいと感じている中高生のためになると考えています。

■蜆一朗
 ありがとうございます。
ハイレベルな中学数学教材 … 中学で数学が好きな人は高校数学を自主的にやるイメージがあります。シンコアレクチャーですっきり整理できたらと思います。
抽象的・俯瞰的に全分野をカバーする教材 … 高校3年間ではどうしても単元ごとの学習しかできず1つのものを多角的に見る視点まで身につけるのは難しいです。僕もその点に苦労したので、非常に共感します。
高校数学と大学数学をつなげる教材 … それなりに大学で数学をかじったものとしては、こういうものが作れたら理想的だなと思います。

■Daiki

■Daiki
 小学生の頃、公文で中学範囲まではしていたのですが、訳もわからず計算して、訳もわからず丸をもらって帰る、だったので、やらされてる感があって、楽しくありませんでした。ただ、学校のテストでは点が取れたので、褒められて「算数大好き」と思っていた記憶があります。後々中学の教科書を読んでも「真」に「なるほど」とはなりませんでしたし、小学生の頃神童と呼ばれていたであろう奴らが集まる中学だったので、クソガキサッカー少年がいくら頑張っても1番ではない(当時は人と比べていた)という結果が、「好きでも嫌いでもなかった」になったのだと思います。いい点は取れていました。高校に入って、やりたくないことはやらなくなったので、無理やりやっていた勉強をやめました。授業もほとんど寝ていましたし、最低限覚えるべき(とされている)ものも覚えませんでした(覚えることが出来ませんでした)。ただ、何かに追われてふと参考書を読んだ時、プラモデルやリフティングをしていた時に似た「面白さ」を感じたので、1にいれました。あればいいなと思ったものは、褒めてくれる人です。私は、ひたすらに本心で褒めてくれればやる単純人間なのですが、高校の時は身近にいませんでした。あと、蜆さんの例にもありましたが、解答が載っていないもの(答えのみも含む)は「お前なんのためにいんの?」と思っていました。書いていて気づいたのですが、私は「いつ使うねん」で嫌いと思ったことはありません。やらされているストレスや「他にやりたいことがあるのに、、」を感じたときそれに伴って「嫌いかも」と思っていました。

■蜆一朗
 ありがとうございます。小さい頃に勉強するモチベーションというと「褒められたい」「認められたい」が一番多いと思います。こちらとしても変に勉強の意義を説くより嫌いにしないようにするのが大事かもしれませんね。
僕が最近思っているのは、教材をよりよく作るとか指導法を研究するとかそういうことではなく、人と人とのつながりを意識することのほうが大事なのではないかということです。頭でっかちになりすぎにそういうところも忘れないようにしないとなと反省しました笑

3・4日目 数学に関して2つ目の質問

■蜆一朗

 おはようございます。今日は WS3日目です。昼頃に2つ目の質問を投下する予定です。午後にセミナーと新入生に数学を教える会がありますので、返事は夜中になると思います。昨日に投下した質問への解答も引き続きお待ちしております。

■質問2 受験生時代の自分にとって、過去問は…

受験生時代の自分にとって、過去問は…
:1: 受験勉強の中心。過去問に始まり過去問に終わる。    7
@Daiki, @チクシュルーブ隕石, @Tsubo, @ゆーろっぷ, @シト, @匿名希望, @Yuta
:2: 受験勉強の総仕上げ。直前期に傾向にならす。    9
@Hiroto, @チクシュルーブ隕石, @Naokimen, @イヤープラグさざなみ, @イスツクエ, @Yujin, @シト, @匿名希望, @ていりふびに
:3: 学力をつけるための問題集。教材としてフル活用。    5
@Daiki, @あんまん, @シト, @匿名希望, @Yuta
:4: 情報を仕入れるためのデータベース。問題だけあればよい。    2
@Takuma Kogawa, @コバ
:5: 使わない。必要性を感じない。
:6: その他    3
@Daiki, @ゆーろっぷ, @にしむらもとい
Created by @蜆一朗 with /poll

■蜆一朗

 こんにちは。WS を通じて2つ目の質問を投下します。すでに選択肢を投下しております。回答にあたっては以下の事項に注意していただければと思います。複数選んでいただいても構いません。

・1~2日目に投下した文章はあくまでも僕の考えです。僕が活動するにあたっては重要な指針としたいと思いますが、この質問においてはその趣旨に合った回答をしていただく必要はありません。あくまでもご自身の感覚に沿ってお答えください

・科目によって考え方が異なることが考えられます。いろんな考え方を知りたく思いますので、負担にならない範囲で多くの科目についてお答えいただけると助かります。「そんないっぱい書けへんわ」という場合は、直近に活動を予定している内容やそのもととなる我々の理念に近しいという意味で、数学もしくは当時の苦手科目を想定してお答えいただければ嬉しく思います。

・本命の大学と併願の大学、国公立と私立、マーク式と記述式、などの条件によって結論が異なることも当然考えられます。思いつく限りでいろいろ教えてください。

アンケートだけでなく文章での意見もお待ちしております。こちらの力不足で質問文が非常にオープンになってしまっておりますが、様々な意見を出していただく狙いがあることをご了承ください。明日4日目までは新規の投稿をいたしませんので、負担のない範囲でゆっくりお考えいただければと思います。

■Hiroto

■Hiroto
 学校がまあまあ進学校だったので、学校に通っていればそこそこの受験勉強はできてしまっていました。志望校(東大)の過去問をやり始めた時期は明確に覚えていませんが、もう(使用する)全教科の全範囲がある程度完成したと思ってから着手した気がします。(もちろん抜け漏れは過去問を解く中で発見されるのですが、あくまでも自己認識としての話です。)

■Hiroto
 (これは所長とかに確か配信でボロカス言われた記憶がありますが、)緊張しいだったので本番の試験時間に合わせて解いたりするのにも使ってました。逆に言えば、そういう形式慣れとかシミュレーション的な意味合いを除けば、過去問にこだわる必要は僕に関してはなかったかな〜と感じています。学力は他の問題集や参考書やれば付けられましたし、少なくとも東大は真っ直ぐ(受験の)勉強すれば真っ直ぐ(受験の)結果が出やすいと思うためです。他の国立に関しては全く詳しくありません。

 併願で受けた慶應などの私立は、そこ聞く!?みたいな問題が試験中多々見られたので、学習の方向性を定めるためにも過去問は必要になってくるかもしれません。自分の志望校以外本当に何一つ調べなかったので、個人の体験からのみになってしまいましたが、過去問の僕にとっての意義はこんな感じでした。

■蜆一朗
 ありがとうございます。2 ついただいた投稿の返事をまとめてここに書きます。僕の学校もそれなりの進学校で、国語や英語の指導には僕も含めてみんな満足という雰囲気がありました。一方で、公立のため理科社会は進度が遅く、文系数学では京大には対応しきれないという、科目による違いもありました。最もこれらは仕方がないことなので僕自身は学校には不満を持ちませんでしたが、進度問題はどこの公立校でもあるようです。
 正統な勉強をしている人にとって一番受験で大変なのは、制限時間と試験形式への対応だろうと思います。その調整には過去問は使えますよね。Hiroto くんは過去問研究部にも関わってくれたので覚えていると思いますが、陳腐にならない程度に、ABCDE の 5 段階評価のようなセットにおける問題の位置づけを示してくれる指標があれば便利なのかなと思いました。

■Hiroto
 蜆さんの過去問の真髄は、全体像と大学以降の学びを踏まえたあの講評に尽きると思います。大変かつ地味ではありますが、確実に誰かの糧になると思います。

■蜆一朗
 ありがとうございます。あの当時は手探りで進めていたためあまり新規性のない状態になっていました。体系的にまとめようとしたものの中途半端になったなぁと感じた点もあります。だからこそ教科書精読だとなっているわけですね。ちなみに、今のところさらにアイデアが出てきて、もっと充実させられるのではないかと考えています。また整理して未来部で共有したいと思います。もちろんその分だけ負担は増えるわけですが… T^T

■Takuma Kogawa

■Takuma Kogawa
 受験は昔のことですのであまり覚えていません。旧センター試験は慣れのため過去問メインで取り組み(特に社会科)、二次試験は過去問ではなく問題集と参考書で勉強していました。

 旧センター試験が終わってから出願校を決めたので、二次試験の過去問にはまともに取り組まなかったと思います。先輩から赤本のお下がりをもらってました。出身校についていえば、問題が標準的すぎるゆえに特別な対策が存在しないため、過去問に拘らなくても痛手ではありませんでした。併願はしていなかったため、そこについてはコメントできません。

■蜆一朗
 ありがとうございます。僕もセンターの地歴は過去問を中心にやりました。その理由は形式や時間に合わせるためというわけではなく、公立で進度が遅く、過去問に出ていることを優先的に勉強するためだったのですが、これはある程度効果的だったと思います。共通テストの結果を踏まえて2次の出願校を決めるという受験生が多数派だと思います。(Kogawa さんがそうだというわけでは全くないのですが) そうすると、芳しくない結果が出た場合に出願先を変更したり併願校を増やしたりする子も出てきます。その場合ってほとんど過去問に割ける時間はないですよね。Kogawa さんの場合はそこまで困らなかったとのことですが、そういった方々が二次試験までどう過ごしているのかも興味があります。

■Daiki

■Daiki
 受験生時代は勉強しなかったので、6の「触れていない」ですが、私の考え方的には1&3です。合格だけを目標とする場合、過去問を見て過去問中心の勉強をするのが最もコスパが良いと思います。志望校の問題がマーク式、記述式、標準的であろうとそれは変わらない気がしています。過去問が読めるようになったその段階で、メイン教材を過去問にして研究・分析するのが効率的であると考えます。過去問を見た上で、計画や必要な参考書など全て決めると思います。

■蜆一朗
 ありがとうございます。僕も1と3の方針で受験生時代を過ごしました。勉強が嫌いだったわけではない (むしろ好きだった) のですが、その興味は (古文漢文や地歴など) 受験では重視されない方面に向いており、受験ではかなりストレスを感じました。ジェイラボ内でアンケートを取ると少数派になりそうですが、世の中一般で見てみると1と3でやる受験生 (あるいは方針を持たない受験生) が多数派になると思っています。

■チクシュルーブ隕石

■チクシュルーブ隕石
 蜆さんが以前仰っていた試験問題に出題者の思想が1番出るという意味合いに於いて過去問は大事だと思います。僕は出題者が何を求めているのか知りたいと思っていたので過去問は取り組んでいました。あと僕は余裕で合格点を取れそうな受験生ではなかったので、時間配分などの工夫で点数を上げようとしていたという使い方もしてました。特殊な形式で出題される学校については形式ならしという意味合いで使うこともできそうではありますね。

■蜆一朗
 ありがとうございます。たぶんチャットルームかどこかで話した雑談ですかね笑 もちろんあくまでも傾向というか統計にすぎませんが「〇〇大学っぽい問題」というのは存在すると思います。思想を出せるのもまた有名大学に限られるのですが T^T。僕も合格点が余裕で取れるわけではなかったです。五分五分くらいのつもりで受験したのですが、事前のイメージトレーニングというか「開始1時間で完答がいくつあったら…」「現代文で漢字が出たときと出なかったときとで時間配分は…」といったことをすべてシミュレートして臨んで十二分のパフォーマンスが出せました。そういう状況を思い浮かべるためにも過去問は有益ですね。

■チクシュルーブ隕石
 有名大しか自分達が欲しい学生像に沿った問題を出題できないのは悲しいですね…。僕は有名大以外でも難しさという方向に思想を向けるのではなく当たり前のことを当たり前に出題するという問題が出てきてくれる事を心待ちにしています。

■蜆一朗
 世の中の大半の人は教育や学問に関心がなく、めんどくさい雑務の一つくらいにしか思っていないと思われます T^T この業界の人はいつまでも学校から抜け出せない幼稚な人々だという認識かもしれません。問題が難しすぎてなんともできませんが、できることを頑張っていきましょう T^T

■Naokimen

■Naokimen
 受験当日からある程度前から出題傾向を把握するために過去問をちらちら見てはいましたが実際に解くことはなく、受験直前(1ヶ月前)から過去問を解き始めました。理由は大きく2つあります:

①基礎がちゃんとできないのに過去問を解いても意味がなく、基礎固めをちゃんとやっていると自然と過去問は解けるようになると思っていた(逆にいうと過去問だけでは基礎固めはできないと思っていた)から

②過去問は割と分野に偏りがあり網羅的ではないので過去問ばかりするような勉強では出題傾向が変わった時に困るから

ということで、過去問は基礎固めが終わった後の総仕上げ、時間内で点数を最大化する練習、知識の漏れの最終チェック、(直前期の安心材料)として使っていました。本当はもう少し早めに(11月くらい)に過去問に取り掛かる予定だったのですが、過去問に入る前の基礎固めの予定がおしていたので思ったより遅く始めることになりました。

■蜆一朗
 ありがとうございます。①② ともにまったくその通りで、過去問だけで受験勉強を完結させることはできません。これは過去問コンテンツの質が低いわけではなく、そもそも1冊だけですべてを網羅することはできませんね。必要な知識を1冊の参考書に詰め込むことはできるかもしれませんが、それをアウトプットできるようにするまでには問題集などでの研鑽が必要になります。「教科書だけで東大に受かる」というのももちろん``必要な知識についていえば''という意味ですよね(それでもなおこれは間違っていると思いますが…)。過去問でいろいろな情報が手に入るのは間違いありませんが、そのインプットを自分で消化するためにも基礎力が必要です。その基礎としてどれくらいの知識経験が必要かも難しい問題です。

■ゆーろっぷ

■ゆーろっぷ
 数学の興味関心と得意不得意について中学の時は正直あまり覚えていないですが、覚えていないということは好きでも嫌いでもなく、成績自体もそこそこだったのだと思います。高校時代は「好きだった」けれども「苦手だった」に投票しました。全く点数が出ないという意味で苦手というよりは、問題の相性による点数の振れ幅が非常に大きかったから苦手、といった方がいいかもしれません。その原因としてはおそらく、骨格となる基礎理論に穴があきまくっていたからだと思います。(というかそれは今もそうで、できるだけ中学高校の基礎理論の穴を埋めようと(あるいは、せめて問題演習を行った際にその穴を自力で見つけられるようになろうと)解決策を模索している状態です)上記を踏まえた上で具体的な不満点を言えば、とにかく市場に「問題集しかない」ということです。多分探せば基礎理論をしっかりと解説してくれている参考書はあると思うんですが、正直そのような高校学参には受験生時代出会ったことがないし、そもそも探す気すらなかった気がします。時代の流れが「問題演習主義」なので、根本的な意識を変える必要がありそうです。過去問について数学ではないですが、英語については「過去問中心」の勉強をしていました。各大学の色が出やすく傾向への対策が重要になるということに加え、元々英語は得意だったので過去問を解くことがそれほど苦ではなかったというのも大きいとは思います。ただ肝心の数学に関しては、正直なところ過去問はまともな使い方ができませんでした。それはひとえに、(先述しましたが)数学の基礎理論を理解していなかったことが原因だろうと分析しています。過去問をやっても、「何を読み取ればいいんか結局分からん」という感じだったので。その意味で、数学の過去問に関しては受験生時代はほぼ「無方針」ということになってしまいますかね。今やるなら、基礎理論をきちんと網羅した後、それらのうちどの部分が重点的に出されているのか、あるいは満遍なく出題されるのか、といったところを、分野だけでなく思考の過程という抽象的な次元までチェックして、実戦的な問題演習に反映させる(受験勉強の中心とする)ことをやるかな、と思います。もちろん、これを独学で行うのはかなりキツい気はしますが…
追記:シンコアレクチャーと過去問解説との互換性(良い表現かはわかりませんが)があれば、受験生へのアピールや意識改革、さらには独学補助にもなるのかもしれません。

■蜆一朗
 ありがとうございます。個人的には「いいからとにかく青チャート」「いいからとにかくフォーカスゴールド」という伝統が本当に良くないと思っています。僕もひたすら問題演習を積んで慣れてしまったところが大きく、受験期にちょっと体系化して三角関数の公式たちを導けるようにしたり群数列の解き方を完全にマニュアル化したりしてみましたが、よくよく考えれば最初からそうやって教えるべきなんですよね。これが僕が WS を通して言っている「多くの知識を抽象化・体系化して少ない負担で与える」という思想につながっています。シンコアレクチャーを通じてそういった教材が作れればと思っています。しかし抽象化というのは解釈に幅を持たせる(具体に合わせて形を変える必要がある)ため「即時」には答えを出せません。厳しい制限時間や思考への自信のなさからどうしても、具体例を暗記して「反射で吐き出せる」問題を増やしたくなってしまうのだと思います。青チャートは使い方を間違えると大変なことになりますし、中途半端に知識がついてしまうと理論を入れなおすのがかなり厳しくなってしまいます。頭をまっさらにするのもまた大変ですしね。Naoki 君への返信でも書いたのですが、過去問から情報を読み取るのにもまた能力がいるんですよね。まさにゆーろっぷくんが書いてくれているような思考過程までチェックするには相応の学力が必要になります。その力を普段の授業で培えるように教材研究をしないといけないなというのが今の僕の考えです。先にシンコアレクチャーに手を付けて解説を作ることでその接続をスムーズにしたいと思います。

(なお、4日目の朝には

おはようございます。今日はWS4日目です。新規の投稿はありませんので、今までの質問にお答えいただいたりログを遡ったりしてみてください。

という文章を蜆一朗が投下していたが、この日は3日目に出た意見への返信だけで一日が終わったので、すべてこれまでの投稿に含めてしまっている。)

5日目 数学に関して3つ目の質問 day1

■蜆一朗

 おはようございます。今日はWS5日目です。お昼頃にWSを通じて3つ目となる最後の質問を投下します。これまでの2つについてもまだまだお待ちしております。張り切っていきましょう!

■質問3 現状ある過去問コンテンツに不足している(充実させるべき)と思う要素は…

現状ある過去問コンテンツに不足している(充実させるべき)と思う要素は…
:1: 問題の網羅性(扱う年度量・科目数・前期後期の別など)    9
@Hiroto@Takuma Kogawa, @チクシュルーブ隕石, @イスツクエ, @chiffon cake, @にしむらもとい, @シト, @匿名希望, @ていりふびに
:2: 解説の充実性(解き方・判断根拠・別解や類題の紹介など)    15
@Takuma Kogawa, @チクシュルーブ隕石, @chiffon cake, @Daiki@Tsubo@YY 12@Naokimen, @コバ, @Shun, @あんまん, @ゆーろっぷ, @にしむらもとい, @シト, @匿名希望, @ていりふびに
:3: 本番で解く際の視点(時間の使い方・どこまで厳密に書くか・解くべき問題の判断など)    9
@Hiroto, @チクシュルーブ隕石, @Tsubo@Naokimen, @にしむらもとい, @シト, @Yuta, @匿名希望, @ていりふびに
:4: テキストのレイアウト(文字の大きさ・フォント・余白の広さ・色使いなどの配慮)    4
@にしむらもとい, @Yuta, @匿名希望, @ていりふびに
:5: その他(できれば記述式で教えてください)
Created by @蜆一朗 with /poll

■蜆一朗

 こんにちは。このWSを通じて3つ目となる最後の質問を投下します。最後の質問はかなりマニアックな内容になってしまいますが、僕たちがコンテンツを作るうえで重点をおくべきポイントを明確にするためにも重要な問いになります。難しいと思うので、僕が今これら4つを気にしている理由を説明したいと思います。

(1) 問題の網羅性
 僕の現段階での構想では可能なかぎり多くの大学を扱いたいと思っており、需要がある大学で 2006 年、最低でも 2015 年から作るべきかなと考えています。なぜこの2年かというと、ちょうど学習指導要領が改定されて初のタイミングと重なっているからです。たとえば数学では、前者では行列が出題され後者では複素数平面が出題されています。

 京大などでは「〇〇ヵ年」シリーズが出ていますが、多くの大学ではすべての科目が2~7年ほど1冊にまとまった分厚い赤本があるのみかと思います。僕が塾講師をしていたとき、教育学部を受ける際に小論文の対策が十分できずに不安だと言っていた子がいました。ひどい場合は著作権の影響で問題文が載っていないこともあるようです。具体的にはどれくらいあればよいのかというのも知りたいです。併願の私立や中期・後期の過去問をどれくらいやるのかというのがわからないので、可能であれば個人の体験を明かせる範囲で教えてくださるとうれしいです。
(2) 解説の充実性
 赤本の解説はひどいという話をよく聞きます。全科目がまとまった赤本も1科目を多年度収録する〇〇ヵ年シリーズも分厚くなってしまうため、基本的には模範解答例を載せてほんのちょっとの解説をつけるという場合がほとんどです。基本が完成しているからそれで十分だという方と、一人で勉強するには全然足りないと考える方とがいると思います。僕が3月に作ったコンテンツでは、ただ解答を載せるだけではなく、別解を充実させ、解いたときに考えたことや体系的な知識を伝えるコメントを入れることを心がけました。所長のチョイ解きレッスンのような教材を作れたらと考えています。アンケートにも入れたように、問題の解き方・考え方・思考過程の開示・別解や類題の紹介など、本として出版する際には盛り込めないような箇所を入れられれば武器になると考えます。
(3) 解く際の視点
 (2) と被ってしまうところもありますが、具体的な1問の解き方ではなく、各セットで見たときの時間の配分の仕方、(数学なら) どこまで厳密に解答を作るべきか・どの問題を解いてどの問題を捨てるべきか、といった極めて実践的な内容も取り入れられたらどうかと思っております。僕が3月に作ったコンテンツでは、このうち最後の視点、具体的には問題をABCDEの5段階に振り分け、1問ごとに所感を述べる部分を作りました。最初の2つの視点を盛り込もうと思いましたが、当時は時間が足りずそこまでできませんでした T^T これらの視点があると嬉しいと感じるのかが気になります。
(4) テキストのレイアウト
 僕が受験生のときはあまり気にしたことはなかったのですが、実際に作る立場になってみるといろいろと神経を使うものです。文字の大きさ、フォント、余白の広さ、カラーといった要素に不満を感じる方もおられるかもしれないと思い入れてみました。TeX で PDF を作る場合これらを設定できるので、可能なかぎりより良くできればいいなと思います。ここで上げた4つは僕自身の体験をもとに思い付いたものです。他にもあるぜという方はぜひ教えてください。また、イメージが浮かばないという方のために、僕が3月に作った京大文系数学の解説 PDF をここに公開してみようと思います。その作成経験から二カ月少々でいろいろ考えて固まってきたのが今回の WS で紹介している思想ですので、この答案にはそれを十分に反映できていないことをご了承ください。これに対して様々な意見を投下していただいてもうれしく思います。建設的かつ批判的な意見もお待ちしております。

■蜆一朗

 失礼しました。忘れていた補足をいくつかします。

・今回の WS で行う質問はこれで最後です。明日6日目までを今日の3問目の期間とし、最終7日目には今まで出しそびれた意見を投下していただく予備日にしようと考えています。

・投下する答案をご覧いただく際、ABCDE の5段階評価の基準は以下のとおりです。多くの過去問コンテンツでは、その問題を解くのにかかる時間や問題単体での複雑さが判断基準になっていることが多いですが、ここでは問題を1セットと見たときの立ち位置についての評価にしています。
A : 合格者だけでなくすべての受験生が完答できる問題. 解けないとだめという意味で合否に影響しない.
B : 合格ラインに乗せるためには必須の問題. 数学が苦手な受験生の目標.
C : 合否を分ける重要な問題. 苦手な受験生は部分点をとれれば十分, 得意な受験生は完答したい.
D : 数学で点数を稼ぎたい人用の問題. 苦手な人は 0 点でも大丈夫.
E : ほとんどの受験生が 0 点に終わる問題. 解けなくてもいいという意味で合否に影響しない.

アンケートは複数選択可能です。質問が答えにくいと感じた場合はご意見いただけると助かります。それではよろしくどーぞ!

■Hiroto

■Hiroto
 個人的には過去問には満足していたので、個人の感想と今回の選択は少し乖離しています。強いて言うなら「赤本の解説雑すぎ」というのはありましたが、そこを自力で補うのも訓練だと思っていたので、本当に個人的には言うことがありません。一般論としては、後期とかの情報が入りにくいことや、メタな意味でどのように解きほぐすかの踏み込みが足りないことが挙げられると思うので、そこを充実させたら喜ぶ人は多そうだなと思っています。

■蜆一朗
 ありがとうございます。あてつけではもちろんないのですが、「解説の雑さを補うのも訓練」という捉え方については一考の余地があると考えます。数学科ならテキストの行間を埋めたり演習問題を自力で考えたりすることが普通だと思います。意図的に行間を開けている場合もありますが、単に説明が雑なだけのこともあります。数学科のように実力主義の世界ではそれでいいのかもしれませんが、高校までの勉強でそれを課すのは厳しくないかと僕は思っています。雑な制度の中で一部の優秀さのおかげで何とか回っている風に見える、という世の中の縮図だというのは言い過ぎでしょうか。少なくとも僕は高校生のころそう思っていましたwもちろんどのようにやるかは学習者が選ぶべきだと思います。過去問を見てどのように解きほぐすかわからない子にとって、現状取る選択肢としては基本問題の解法暗記に励むか諦めるかの2つしかないのではないでしょうか。もう少し負担の少ない方法で勉強させてあげられればいいなと思います。

■Hiroto
 あ、多分間違って伝わりました。僕はギャップを埋めるだけの気力とそこそこの実力があったため、"僕は"そうやって納得していたという趣旨です。別に一般の高校生を見下してるわけではないですが、その考え方を一般の高校生にも押し付けるつもりは毛頭ありませんし、どう考えても普通に完璧な赤本があったら僕も含めてみんなハッピーだと思います笑。

■蜆一朗
 これは完全に僕の表現が悪かったと思います。「一考の余地がある」というのが「お前はそれで行けたかもしれんけど調子に乗るな」というニュアンスで伝わってしまったかもしれません。まっっっっっったくそのような意図はありませんし、それ以外の考え方に気付かせてやろうとも思っていません。Hiroto 君にケンカを売りたかったわけではないですT^T。やはり文字だと伝えられる情報量には限界があるのかもしれません。これからもよろしくお願いします T^T

■Takuma Kogawa

■Takuma Kogawa
 後期の問題を扱うのは、赤本を除けば予備校の解答速報くらいかなと思います。tan 1°やグラフ理論以外で後期の問題に触れることは少なく、また後期試験を受験する集団は前期の集団よりもレベルが高いはずです。解説の競合が少なく、初見のセットを解く練習にもなりますので、後期を充実させるのはよいことだと思います。あとは、合格ラインギリギリの受験生でも理解できる、思いつける解法なのかは気になります。よほど得意な人以外は発想できなければまったく解けない問題も多いと思います。標準的な受験勉強で思いつける解法とそうでない解法が区別できると、少なくとも私には有用です。

■蜆一朗
 ありがとうございます。おそらく後期試験の過去問がないのって単に需要が少ないというだけなんじゃないのかなと思います。そのせいか、今年度から河合塾は後期の解答速報を一切やらなくなりました。駿台もやっていないです。代ゼミは一応やっていますがなんと北大の後期だけです。いったいどうしたのでしょうか…。合格ラインの受験生がやれそうだと思う解法を出していくことは重要だと思います。ABCDE の5段階評価もそうですが、自分にとっての目標をはっきりさせることが過去問演習や受験勉強では大事だと思うので、それが見えやすいような、あるいはその重要性に気付いてもらえるような構成にしたいと思います。

■チクシュルーブ隕石

■チクシュルーブ隕石
 過去問のコンテンツとして後期日程を取り扱っているものは非常に少ないと感じています。この原因が需要がほとんど無い事なのか手間がかかる(情報収集を含めた手間がかかりすぎる事によってビジネス的旨味を感じない)ため誰も手をつけない事なのかによって取り扱うべきかどうかが変わる気がしていますが、個人的には後期日程まで取り揃えたコンテンツがあれば良いと思っています。なかなか他科目(物理や化学、英語など)まで全てを取り扱うのは難しいと思いますが、数学だけでもコンテンツ化する事ができればかなり大きな成果になる気がしています。

 また解答解説の充実性も重視してコンテンツを作るべきだと思っています。現在存在している過去問のシリーズの多くが単発で出版またはデータベースとして公開されている状態だと思いますが、単発的な知識だけを羅列するようなものを新たにコンテンツとして作る事にはあまり価値を感じていません。やはりコアレクチャーとチョイ解きレッスンのように対応関係を持った教材と過去問コンテンツがある事によって生徒自身の勉強がよりコンパクトに行なう事ができると思います。一見これと反しているような意見にはなりますが、hirotoさんが仰っているように赤本の解説を自力で補うことも訓練の一環として大切だとも同時に感じています。個人的には解説が詳しいものを使うか簡素なもので訓練するかは生徒が考えるべきことであると思っているので、解答解説をしっかりと充実させたコンテンツがある事と簡素な解説であるコンテンツが同時に存在する事には矛盾を感じていません。そのような理由で解説がしっかりしているようなコンテンツをジェイラボとして作る事には賛成の立場です。

 加えて解く際の視点についても盛り込むべきだと考えています。それぞれの問題の難易度は当然ついていた方がありがたいですし、セット全体を見渡してみた時にどの順番で解いていくのがオススメであるかが書いてあれば次回以降過去問や大学別模試を解く時、本番に生かす事ができると思うのでセットとして見るという視点は必要だと感じます。鉄緑会が出版している東大数学問題集でも年度の解説の前に解く順の一例やセット全体がどうであるかという講評があるため過去問を解く際に重宝していたということも僕が解く際の視点を入れるべきだという立場である事に関係がある気はします。

 これは質問になってしまうのですが、どこまで厳密に書くべきかということは個別の問題について考えるという意味でしょうか?個人的にはどこまで厳密に書くべきかという事を個別の問題に書くことがどの程度正当性のある事かについてはまだよく分かっていません。

■蜆一朗
 ありがとうございます。

・隕石君の仰るとおり、後期試験に誰も手を付けないのは、おそらくビジネス的な旨味がないということが最大かつ唯一の理由だと思います。Kogawa さんも仰っていたようにグラフ理論や tan1°のようなコンテンツ力を持つ問題しか出てこないことがそれを表しています。需要があるから参戦するという方針なのに受験の競争下を批判するのは無責任だなぁと社会にドロップキックをかましてやりたい気持ちです(もうちょっと主語をちゃんと書くべきですが…)。今のところ厳しいですが他の科目にも手を出していければいいと思いますし、あくまでも「生徒の負担を減らす」という意味では科目の性質は関係ないので、いろんな科目に手を出していければなと考えます。

・今ある過去問コンテンツは、完全無欠の鉄緑会を除いたほとんどすべてが簡潔な解説であると思います。よく数学の授業で「思考力を奪うから」といって解答を配らないケースが見受けられますが、この対応により思考力のベースとなる知識すらも奪われ詰んでしまう、という学生が大半でしょう。これ以上数学が嫌われないようにするためにも苦手な子がちょっとでも頑張れるようにするためにも頑張りたいものです。

・やっぱり本番で出題されているのを見て「あれ大事なんや」「やらなあかん」と感じるのが勉強のきっかけとして一番効果があると思います。そういう意味でも、少しでも解ける希望が持てるような教材にしたいと思います。どこまで厳密に書くかというのも、解答欄の大きさ、時間配分、問題文の要求など様々な要素が絡んで一概には言えないのですが、アプローチの仕方は探っていけたらなと思います。

■チクシュルーブ隕石
 思考力を養うためといって教師が解答を生徒からむしり取る行為は完全に教師側のエゴだと思います笑。解けるまで解答を見ずに粘れるだけの実力がある生徒は解答を見ずに解き、全く何も分からないので解答を見て解き方を知っていくという方針でやる生徒もいるというだけの話なので解答をどう使うかという選択肢を奪ってしまっているだけの自己満足的行為だと感じてしまいます。それに加えて全くわからなかった時のフォローを全然考えていないという印象もあります。解答を見ずにやや長時間考えるという勉強は非常に大切でやるべきものではありますが、本当に基礎の基礎ができていない人がやってできるような勉強法ではありません。この勉強法はある程度の実力がある集団でないとほとんど効果のないもので、進学校では無い普通の高校でやる意味はほぼ無いように思われます。

■蜆一朗
 学校の先生の都合に合わせたりメンツを保ったりする方針が取られるだけならいいのですが、それが生徒のためにまったくならないとなると悲しいですね。自分が学習者だった際の視点を思い出す努力をするとともに、仮に自分がじっくり時間をかけて考えてできるようになったとしても万人に通用する方法かどうかを吟味するようにしてもらいたいものです。

6日目 数学に関して3つ目の質問 day2

■蜆一朗

 おはようございます。今日はWS6日目です。新規の投稿はありません。今まで投下した3問にお答えいただければと思います。よろしくどーぞ!

■あんまん

■あんまん
受験数学に関して思うこと 私が受験生のときは、体系的に数学を理解しようというマインドはありませんでした。というか、そのようなマインドを持つことができませんでした。その理由は具体的な問題が溢れており、解いても解いても問題が目の前にはある。しかし、試験日は迫ってくる。いちいち体系的にまとめてられるかいな!といった状況でした。(後にそれが遠回りであったことに気付く。)学校で数学を習うとき、例えば積分なら、置換積分を習えば置換積分ばかりを練習し、部分積分を習えば部分積分ばかりを練習します。しかし、実際の入試問題では、出題された積分が置換積分すればよいのか、部分積分すればよいのか、それともまた別の式変形をすればよいのか、が問題になります。このように問題を解くには体系的な知識が必要です。しかし、教科書で習ったままの状態では、よほど頭のいい人でないと入試問題には太刀打ちできません。多くの人は具体を大量摂取して、ある程度の積分計算の全体像を脳みそが勝手に作ることで、できるようになります。しかし、これは積分計算という小さな範囲に限った話で、高校数学全体にまで範囲を広げると、脳みそはなかなか勝手に体系的な構造を作ってくれません。おそらく高校数学が得意だという人はこの脳みそが勝手に体系的な構造を構築する能力が高い人です。私はこの能力が低く、大量の具体から体系的な構造を構築するために一年の浪人期間を要しました。今になって思うことは、体系的に数学を理解しようとするマインドをもって数学の問題を解けばよかったということです。脳みそが勝手に抽象化するまで、具体を摂取するのではなく、意識的に抽象化しようとしていれば、うんと楽ができていたと思います。つまり、何が言いたいかというと受験生が体系的な構造を作ろうとするマインドが大事だということです。しかし、目の前に無尽蔵に問題がある状況では、このマインドを持つことが難しいです。また、そのようなマインドがないまま体系的な解説を読んだとしても、受験生の時の私みたいに何食わぬ顔して、ご馳走様します。そのため、過去問コンテンツを作る前に、体系的理解の重要性を訴えるコラム的なものがあってもいいかなと思います。

■蜆一朗
 ありがとうございます。公立校だと特にそうですが、なかなか高校数学3年分を扱いきるのは難しいです。扱えても各単元1回きりで、体系的にまとめなおしている時間はほぼ取れずに知識が単発になってしまいやすいという事情があります。たとえばいろんな分野を俯瞰的に概観することもなかなかできません。それが求められる生徒が少数派となるためです。本来は大量に扱う事項があるからこそ抽象化・体系化して知識を整理する必要があるのですが、抽象化した知識を具体例に落とし込む際には頭を使う必要があります。指導者と学習者との間の最も大きい溝がここにあると思われます。僕が過去問コンテンツよりも優先して教科書精読をしようという風に考えを改めたのも、この壁を崩すために普段から体系化の重要性を伝えていく必要があると考えたからです。あんまん君が指摘してくださったまさに同じ理由です。

■Tsubo

■Tsubo
中高時代の数学学習について : 小さい頃から科学に関する漫画や書籍を読んでいたこともあり,数学という科目自体に嫌悪感はなくむしろ興味の対象でした.サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」とか「暗号解読」とかよく読んでいましたし,当時は質の高い個人サイトによる情報発信がギリ残っていた時代なのでそれらをよく読んでいました.ただこの興味は所謂オタク的な興味の対象でしかなかったような気がします.「数学」という試験のスコアは中高と方法論なくテキトーに勉強していたこともあり特に大学受験の二次試験の数学は全然点が取れなかったように記憶しています.具体的にどういう勉強を高校の頃していたかというと,1, 2年の頃は所謂公立高校のよくない数学勉強法よくないパターンである「青チャート+教科書付属問題集(Astepだったかな?)による具体を大量に経験することによるパターンマッチング(ですらない何か)」です.3年ごろに半分興味から「いかにして問題を解くか」みたいな,いわゆるメタ的観点を提供する本を読んだりしましたが,まあ自己流では圧倒的に時間も質も足りませんでした.塾もなんか知りませんが数学と理科は受けてなかったので,自己流を矯正する機会がほぼなくものの見事にどちらも「好きだけど点は取れない」科目になってしまいました.英語は塾(河合塾マナビス)で授業とっていたので得意科目になっていました笑笑ただ,河合塾大阪校に通い前期でテキストと講義をもとに基礎知識を再理解し詰め込み,後期にて,前期で得た基礎知識と前から養っていた(はずの)メタ的な視点を元に「やさしい理系数学」にて演習することによって実践力を養いました.自分でも「解ける…解けるぞ….!!」って実感したくらいには問題解決力が向上した記憶がします.ただ,「問題解決力」と「試験会場で実際に問題をこなす能力」を埋める時間が足りなかったかなという印象があります.なので「現役の時にこれをやれていれば…」と後悔しましたが,今となってみると体系的な「勉強法」を獲得できたのでいいかなと思っています.現役・浪人の経験を鑑み,過去の自分に最も伝えたいし,世の中に必要な教材もこの体系的な「勉強法」や「思考法」,「基礎知識」をちゃんと教える教材だと思っています.こんなん作るのめちゃくちゃむずいと思いますが笑 そもそもこれらの概念がなんやねんという議論がら始めないといけないですしね.あと,前お世辞にも偏差値が高いとは言えない高校に教育心理学の実験の手伝いに行ったのですが,やはり「数学はどう勉強すればいいのか」みたいなことをたくさん聞かれました.中学受験等で勝手に「勉強法」とか「思考法」とかがインストールされてしまう人たちを除いた,僕も含め9割くらいの人間に「思考法」云々を説くコンテンツの需要はあるかなと思います.

過去問について : 現役,浪人通じて過去問は目標を定めるために確認していました.ただ,点を取るための勉強はもちろん河合などのテキスト + 問題集,参考書を元にしました.解説の充実度としては,なんとなく赤本は雑で青本の方が充実してたような気がします.もし僕が受験生だとして,過去問コンテンツに最も求めるものは当たり前ですが「解説の重要性」と,やはり「本番で解く際の視点」ですね.いくら問題集にて演習を重ねたとしても実際にしないといけないのは「試験会場にて時間制限があり,なおかつめちゃ緊張した状態で問題を解く」という行為ですしそれを訓練できる教材は過去問しかないからです.過去問の網羅性としては,併願の早稲田は過去問といた気がしますが,立命はセン利で受かっていたこともあり一ミリも見ませんでした.中期の大阪府立は見て解いた記憶がします.後期の筑波も癖が強く,数年分ちゃんと解いた記憶がします(赤本もありますね)なので,併願なら早慶,中期後期なら大阪府立,広大とか神大とか筑波とかなら受ける人も多いでしょうし対策が必要な癖も存在するので,需要もあるのではないでしょうか.

■蜆一朗
 ありがとうございます。アンケートを見てみても、中学生時代から数学(もっと広くサイエンス)がずっと好きで今に至るまで突っ走ってこられた方が多いようです。僕も本は好きでよく高校の図書室や大型書店に入り浸っていましたが、手に取っていたのは古典や岩波文庫が大半でした笑 公立高校の授業ではひたすら初修事項を詰め込むことに精一杯になり、復習や体系的な整理をする時間は取れないですよね。僕は通ったことがないので想像でしかないのですが、短い期間で高校の内容をひととおり扱うために工夫してテキストが作られているんだろうなと思います。やさしい理系数学は塾講師時代に見てみたことがありますが、単元ごとに難しめの問題が集まっているなという印象でした。さらに河合塾の教材らしく解説は簡素だなぁという印象でした。勉強法については世の中にいろんな本がすでにありますね。抽象的に文章で伝えようとすると難しいのかなと思います。わかりやすいように自らの体験を具体的に紹介するとそこばかりが取り上げられてしまいます。影響力のある方が書かれた本を見てみるとこの点に注意して書いているというのが伝わってくるのですが、残念ながらうまくはいかないようです。多くの子に普及している「勉強法」といえば「まちがったところは赤で書き直せ」「穴埋め」「赤シートで隠す」くらいのものですかね。そのくらいの知識量の子にひびくのは「隙間時間をうまく使え」という具体が限界なのかなと感じてしまうこともあります。僕もおおむね Tsubo 君と過去問観が同じです。同級生の話を聞いていて過去問を中心に据えないとか本番で微塵も緊張しないとか正気かと思ったのを覚えています笑 まずは過去問が市販でも手に入る大学 (挙げてくださっているように大阪府立市立・神戸大・筑波など) から始めるのがいいのかなと考えています。

7日目 最終日

■蜆一朗

 おはようございます(起きるのが遅い男)今日はWS最終日です。初日に投稿したように今日新しく質問することはありません。今まで出しそびれた意見等ありましたら投下していただけると嬉しいです。また、夜の9時ごろにまとめを投下して終了したいと思います。

■にしむらもとい

■にしむらもとい
 いま問題にされている話は、最終的に僕自身にも返ってくることなので、大体意見出尽くしたところを見計らい、僕もアンケート回答しつつ短めの長文(矛盾)を投下しておきます。

 僕が数学が得意だったかと言いますと、早期の段階では、算数や中学一、二年の数学くらいは、一切何の努力もしなくても勝手にできてましたので、基本的には得意だったと言っても怒られないとは思います。これはマウントではなく事実をお伝えしているだけです。こんな事実に僕自身何の価値も置いていないのでご了承ください。ただ、できたからと言って、それは好き嫌いとは全く別な話で、はっきり言って僕は数学という科目が大嫌いでした。幼少期から抱えていた僕の人生に対する不安や悩みに数学という(厳密すぎて)いびつな科目が答を与えてくれるとはとても思えなかったからです。三角関数だけを取り出して役に立つとか立たないとか議論するような問題意識を持ったことは全くありません。もっと根本から数学全体を学ぶ意義がわかりません(納得できません)でした。まあ正直にお話すると、僕は中高時代は数学どころか学校で扱う全科目の学習をほぼ完全に放棄していました。出席日数の影響もあり常に留年スレスレでした。僕にとっては、古今東西のあらゆる文学をただひたすらに独り読み耽ることのみが思春期の学びの原点でした。流石に灘で高校とかになると、数学の授業も受験レベルの演習ばかりだったはず(勉強してませんでしたので正確に何をやっていたのかは記憶にありません)ですので、数学も高校からはすっかり落ちこぼれました。ただ、それまではできるにはできましたので、もし僕が「生きる意味」とかで躓くタイプの性格をしていなければ、数学オリンピックとかを目指したりしていた可能性はあります。そういう意味では、僕が数学にハマるために足りなかったのは数学教育ではなく、むしろ国語や哲学の教育だったのかもしれません。「生きる意味」みたいな思春期の悩みにきちんと向き合えていれば、学生時代に数学に目を向ける世界線もあり得たのでしょうか。数学教育そのものは、むしろ名物先生のもとで中学の数学授業の三分の一程度をただひたすら幾何の証明ばかりに費やすという指導要領をガン無視した相当に尖った授業に触れることができ、良い経験はできていたと思います。数学そのものではなく人生に対する思春期の引っかかりが僕の数学への意欲を削ぎました。これは数学ではなく教育全体の問題ですので文脈に沿わないお話ですね。脱線してしまいました。

 受験勉強における過去問の位置付けは、東大京大などの公開されている資料が豊富で出題方針が丁寧に吟味されており傾向のばらつきが少ない大学の対策においては、ハッキング手法としてはもう完全に答は出ています。塾任せなら別ですが、ある程度独学で学習をコントロールしたいのであれば、受験勉強を本格的に始める最初の段階から解ける解けない関係なくまず過去問を触り、どういう問題が出題されるのかを知識として体感しておくべきです。過去問はあくまでも研究材料であって「演習素材ではない」と思います。直前期の本番シミュレーションに過去問を使う人がやたらと多いですが、それをやることが合否を分けるかというとそんなことは全くなく、そこにあるのは心理的な問題だけでしょう。直前まで過去問を触らないことのデメリットのほうが大きいです。過去問は日頃から研究してこそ学習にフィードバックされ意味が生じる類のものです。もちろん、これは「試験対策として最短距離のパフォーマンスを求めた時の最適解」であり、そもそも数学が好きでじっくり数学の根っこを研究することを厭わないタイプなら勉強の方針は全く変わるでしょうし、そういう方は好きにやればよいと思います。Hiroto君が配信で僕にボロカス言われたと書いてましたが、それは試験対策として最短距離であることと学び自体が本質的であることの違いだと思いますので気にしないでください笑 あと、言い忘れてましたが、もし過去問コンテンツを本格的に作ることになるなら、個人的に最も重心を置くべきポイントは「問題の解き方」ではなく「答案の書き方」だと思います。少なくとも僕は、最終的に答案の構成を考えることがそっくりそのまま問題を解くことと同じ意味になりました。初見で入試問題を解く動画も以前にいくつかあげましたが、問題を解く最初の段階から答案として出力される情報構造を意識して作業をしています。記述式の試験において問題を解くとは、結局のところ答を求めることではなく答案を構成することだからです。解き方と書き方が実は同じであること、つまり解ければ書けるし、書ければ解ける、ということを遠回しにでも伝わるような要素は欲しい気がします。シンプルには「数学の答案の書き方」みたいなものを手順化してリンクすれば良いのかもしれません。僕がコアレクチャーを通じてヒューリスティクスと言い続けていたこともほぼ同義です。ただ、チョイ解きレッスンや初見解法動画ではその概念の紹介までしか手が回りませんでしたので、再教材化の際に改めて形式を検討したいと思っています。

 あるいは、いま議論している話は想定する学力が高すぎるかもしれません。僕が最後に関わったリアルな受験指導の場は私立医学部入試という、国公立大上位層の受験生にはおよそ理解の及ばないであろう「魔境」でしたので、日々新鮮な学びの連続でした笑 あの指導経験は僕にかなりの実りを与えてくれました。頑張れば東大京大普通に受かるレベルの生徒の指導を通じて自分で「得られていた」と思っていた指導経験など「ないに等しかった」と実感しました。

 勉強のできない人間の立場としては、ともかく基本に立ち返った当たり前な反復運動(勉強と呼べるのかすらあやしいので運動と呼称します)と受験予定の試験の傾向対策、それが全てになります。「抽象化された思考法の確立」という学習の本質はここでは役に立ちません。どうやっても能力がそこに届かない人もいるのです。そんな時に求められる、あまりに身体的な学習法は自分で勉強計画が立てられる(立てられた)タイプの人にはその意味が実感できないと思います。問題演習をやればやるだけ血肉にできる人も、そもそも能力の高い優秀な人です。私立医学部受験者のボーダーライン層のレベルだと、いたずらに問題を解き散らかすよりも、とにかく基本概念を徹底して上から刷り込むことの方が、問題を解く力を底上げしました。それは過去問だけではなくチャート式などの理論網羅型の問題集すら、この手の層には時に意味を成さないことがあるということです。「『解く』だけでは『解く』力が永遠に身につかない人」が世の中にはたくさんいます。元々、コアレクチャーもその思想の延長で作られたものですが、対面でのフォローなしに放流する時点で対象とする学力層は上にスライドさせました。しかし、数学が好きで常に先回りして概念をちゃんと知りたがるタイプの学生は、勝手に知識が体系化されて身についているのでこの手順は省略できる人も多く、コアレクチャーは確実に必要で有用な教材ではあるのですがそれをもはや必要としないハイリテラシー層にしかその意義を読み取れないというやや矛盾した教材になってしまった反省もあります。かと言って、手取り足取り「指導技術」による一方的な導きによって、勉強のできない生徒に問題を解く力を「上から与える」というかつて僕がやっていた営みにも、いまとなっては躊躇があります。結局、大学受験の仕組みが変わらない限り、「意味のある」受験指導など絵に描いた餅にしかならないと僕自身は感じていますので、なかなかバランスを取るのが難しいですが、それはまた別な文脈で検討しましょう。

 ジェイラボ内における過去問研究という営みについて少しだけ補足しておきますと、確か僕がジェイラボ内で受験コンテンツを増やそうと企図していることを話した機会に、蜆君が自分なりの解釈によって始めたものであったと記憶しております。きっかけは僕の発言だったかもしれませんが、こちらから強く勧めたわけでも全くなく、蜆君の中でおそらくこれまでにどこにも出せずに貯めに貯めていたもやもやが一気にはけ口を求めたのか、一人歩きしてどんどんアイデアが捗っていった印象があります笑 個人的な指導経験から、僕自身は過去問研究よりも基礎概念の体系化の方にこそ意味を感じており、それゆえにコアレクチャーのシリーズも作ったのですが、しかし、僕がYouTubeでコアレクチャーとチョイ解きレッスンという二つの講義シリーズをあげていた時、コアレクチャーではなくチョイ解きレッスンばかりが好んで見られていたことからも、世間的には問題を解くという営みのわかりやすさがウケることも知っています。ですので、最終的に蜆君が難問対策ばかり扱う方向にいくのであれば活動は止めるつもりでした。幸い、蜆君の目指す方向性は僕の感じている方向性とも近しいものであると感じられるようになりましたので、当初とは形を変えましたが、こうして今に至っているというのが経緯です。

 今後の活動内容そのものの話はここですべきことではないと思いますが、たとえば難問を取り扱わない標準レベルにおいては、YouTuberだとそもそもの学力が「あやしい系」の方ばかりですので、そこを本格的に大真面目に取り扱うのは想像以上の意味があると思います。問題解説は、チョイ解きレッスンを出していて感じましたが、本当に、超難問とか奇をてらった問題を扱わないと再生数(による収益)が釣れませんので、能力のある方は皆「そっち」に行ってしまい、一番地味で必要なジャンルは現状完全なるエアポケットになっている気がします。市場原理で教育を塗りつぶすリスクですね。

 最後に、議論の前半で僕がよく使う「身の丈」とか「等身大」の学びという言葉も出ていましたが、敢えて今回は指導側の立場として別の言葉を使い「地に足のついた」指導を提供することを一つの理念として言語化して置いておきたいと思います。「地に足のついた」というあまりにも陳腐な表現が、まさに地に足がついていると思います笑 能力でゴリ押す指導者はこんな「ダサい」表現は使わないでしょう。難問で再生数を釣っているタイプのコンテンツは全く地に足がついていません。そこに一石を投じることが、この魔境……ではなく、辺境の地で暮らす我々少数民族の存在意義かなと思います。

■蜆一朗
 ありがとうございます。僕自身も中高時代はいろいろ本を読んでいました。所長のように救済を求めていたわけではなく、中学時代は何も聞かなくても余裕な授業しかなかったことに退屈していて、高校時代は単に古典が好きだっただけでしたが笑 とはいってもそういう本を読んでいる自分に酔っているだけであまり血肉にはなっていませんT^T。その空虚さを反省して、今では改めていろいろ本を読みたい気持ちになっています。一方で数学や理科にはあまり興味を持てませんでした。志望校が京大でなければ数学を勉強していなかったと思います。それがいまやこんなことになっているので人生はわからないものです。

 過去問観については僕とほぼ同じです。だからこそ過去問がほとんどなく傾向めいたものも見受けられない大学院入試ではかなりしんどい思いをしましたT^T。答案の書き方についてより精査する必要があるというのも同じ考えです。投下した答案も結局その意味では今までのコンテンツと何も変わらないか劣化版にしかなっていないと思います。文章に起こす負担も感じていますが、動画化するなどして答案の構成を決める手順や様子をなるべくトレースできればいいなと思います。

 個別指導塾で教えていた時、できる子は阪大や神戸大などを目指していましたが学年に1人いるかどうかで、大半はセンター試験でどうにか6割とか定期試験で赤点を取らないようにしたいという子でした。もはや抽象とかいうレベルではなく、具体を具体として積み重ねるのもしんどいようでした。学校で出されるチャート式や入試問題集を進めないと授業で当てられたときに困ると言うものの、それ以前にもっとやるべきことがあり、なんとかして後者に振り切った勉強に集中させ、少しずつ基本を仕込んでいきました。それでも前者を捨てられずにどっちつかずになり失敗した子もいました。僕が教えていて最もしんどい思いをしたのは、学部4年生のときに会ったある男の子です。自分がどれくらいやったらどれくらいできるようになって、どれくらい経ったらどれくらい忘れるかということもつかんでいないので、計画を立てても計画になっておらず、いつ見ても新しいことに少しずつ手を付けるものの身についてはいませんでした。いろいろ教えてその日はわかっていて問題も解けても、次に会うときにはきれいさっぱり忘れていました。やる気がないわけではなく自習にも頻繁に来ていたそうなので、単に勉強が苦手という感じでした。本当だったらつきっきりで面倒を見ないといけない子でしたが、週2回3時間ずつの指導ではどうにもならず、2次試験後に顔を合わせることもできずに終わってしまいました。僕が塾講師をやめたのはこの子の指導を通じて無力感を覚えてしまったからです。今の自分の状態で教育業界にいても何もできないと感じ、そもそも大学入試の在り方にも疑問を感じるようになりました。

 ご指摘のとおり、過去問研究部は完全に僕が理念先行で勝手に進めていったものです。このWSでも説明しましたが、本来は所長と同じく基礎を体系的に教えることに関心があります。しかし入試を無視してそっちに突っ走っても見向きもされないという現実がありますので、みんなが興味を持たざるを得ない入試問題を通じて基礎基本の理解が問われていることを提示したかったという感じです。僕がやりたいこととは違いますが、もっともその意図が伝わりやすい手段はこれなのかなと感じています。そうでないと僕たちの理念は教育系や入試問題という現実に塗りつぶされてしまうと思います。ジェイラボへの導線ということも考えて旧帝大から始めるほうがいいのかなと考えていたのですが、所長が僕と似た考えならばまずシンコアレクチャーの作成の基礎となる教科書精読に力を入れようという気持ちになっています。「地に足の着いた」指導。偉そうですがいい表現だと思います。考えていることが初めて伝わって調子に乗り、いろいろ先走ってしまいましたが、できることややるべきことをしっかりやっていけたらと思います。今後ともよろしくお願いします。

■Yuta

■Yuta
 色々と立て込んでいて、書きにくるのが遅くなってしまいました。すみません。

質問1: 好き嫌いでいうと好きだったと思います。書店や図書館に行くと必ず数学・物理の棚の前に立って内容が分からないなりにも背表紙や中身をパラパラ眺めるということをしていたので、興味はありました。数式を自在に使って物事を表現したり考察することに憧れを抱いていました。次に得意不得意ですが、テストでは、他の教科に比べていい点が取れていましたが、浮き沈みがありました。良ければ学年で10番以内、悪ければ半分より少し下ぐらいの順位でしたので、得意不得意でいうならば、ここでは得意ということにしておきます。形式的に答えるなら、好きと得意ですが、書店や図書館で眺める数学と学校で習う数学は僕にとっては別物でした。前者は何か魅力的でわくわくする好きなもので、後者は知的好奇心をくすぐられないつまらない嫌いなものでした。私立の中高一貫校だったので、高2で数3を終わらせて高3はずっと入試問題を解き続ける授業でしたが、高2の途中ぐらいから(数3の積分あたり)宿題も計算プリントが大量に出され嫌気がさし、ついにやらなくなったので、塾や学校ではついていけてる顔をしていましたが、実際は頭の中ではついていけなくなっていました。学校の授業が入試に特化している形態(問題演習中心)なのは、魅力的でわくわくするはずの僕の数学像とは大きく異なっており、残念でした。

質問3: 鉄力会の分厚い30か年の過去問や大学への数学の50か年を使っていましたが、レイアウトに読みにくさを感じました。網羅性や解説の充実性は僕は特に問題ないと感じました。これ以上があるの?という感じです。本番で解く際の視点は例えば数弱のためにより素朴な解法を選択する配慮が書いてあってほしいかなと思いました。受験勉強をあまり頑張れないまま失敗して終わったので自分なんかが答えていいものなのかと全体的に結構答えにくかったですね。他の方の解答にも少しずつ目を通していきたいと思います。

■蜆一朗
 ありがとうございます。

質問1: Yuta くんが答えてくださったように、個人的な趣味で行う数学と学校で習う数学との間に違いを感じている方は多いと思います。僕個人も古典や歴史が好きでしたが、受験で使うとなると少し暗い気持ちになっていたのを思い出します。授業が完全に受験に特化しだしたころから学校に行くのも億劫になり、学校とは反対向きの電車に乗って梅田に出たり家でやりたいようにやったりもしていました。これまでの投稿でも書いたのですが、自分の興味の赴くままに行う勉強と試験勉強との間にある溝を少しでも埋めていきたいと考えています。

質問3: いま世の中にある過去問コンテンツで最強のものが鉄緑会の東大のものだと思います。2段組みで小さい字でビッッシリかかれているので読みづらさがあると僕も思いますが、解説の中身についてはこれ以上のものを作るのは無理だなと感じています。あそこまではいかなくとも、数学が苦手な子を主なターゲットに少しでも勉強への負担を減らせるような教材にしたいと思います。「受験勉強をあまり頑張れないまま失敗して終わったので自分なんかが答えていいものなのか」とおっしゃいますが、今回はむしろそう感じていた方からの意見を引き出したく思っておりました。Yuta くんはジェイラボの物理学部だけでなく、通われている大学で非常に精力的に物理を勉強されていると思います。何度も書いて恐縮ですが、受験勉強にストレスを感じておられる方を少しでも減らし、少しでも多くの方がやりたい勉強に邁進できるような環境ができるよう頑張ります。

■匿名希望

■匿名希望
 遅れてしまい、大変申し訳ございません。

質問1 学生時代の数学学習について
 受験生時代の自分にとって、過去問は…:
大学受験では、2の、受験勉強の総仕上げ。直前期に傾向をならす。でした。高校受験で、過去問を何回も解き直しを親から無理やりさせられて、過去問を何回も解き直しても、受験当日騙された気分になり、むしろできなかった、という状態になるだけ、という類塾の先生の言う通りになってしまい、案の定うまくいかず、本当に過去問を何回もやり直すことに当時強い抵抗があったから。ただ、大学受験では、結果そういうならしみたいな感じでしかできなかったが、高校の先生から、現役の時に、そのことを相談すると、高校受験は範囲が狭くて決まってるからそうなるけど、大学受験は範囲が広いから過去問やり込んだ方がいいと言われ、慣らし的な感じだったが、直前期は過去問をひたすらやっていた(現役の時)。浪人の時は、受験した大学が、数年前に公立化した大学であったため過去問があまり公開されてなくて、河合塾のテキストと、過去問数年分だけやっていた。本当にならしと言う感じだった。ただ、河合塾のテキスト自体が、過去問をベースにして改題した問題が多いようなので、実質的には、過去問集を1年間ひたすらやっていたことになっていたのかもしれない。
大学編入では、最初は編入専門の問題集(編入数学徹底研究、ECC編入学院のテキスト、弱点克服 大学生の初等力学、弱点克服 大学生の電磁気学など)ベースに勉強を進めていて、確実に理解が高まっていくことを実感した上、問題を解いていくことはでき、それを全てできたら、過去問を余裕でできるんだろうなと言う実感はあった。過去問中心の時は、問題解いても、本質的な理解ができていなきような実感がしていた。名古屋工業大にしても東京農工大の物理にしても本当にそんな感じだった。今通っている大学の機械工学の専門の試験は過去問中心で本当に良かったと、心から思えている。過去問繰り返しやるにしても20年分くらいは必要ではないかと思っている。順番に出していく大学なら、過去問から出てない問題をピックアップし、そう言う問題は自分で穴埋めする必要があると感じる。(気づいたら数学以外の教科の話もしてました。すみません。)
数学に関しては、自分が受けた大学が過去問ゲーの大学ばっかだったので、なんとも言えないです。

中学高校における数学の学習や教材についてこういう点に不満を持っていた
中学時代 : 類塾でひたすらテキストを反復する勉強方法を叩き込まれた。中学時代は数学が面白いなんて到底思えず、反復による進捗達成をバネに快感にして取り組んでいた。解いていく問題も非常におもんなく、今思えば、よくあんなのに耐えたなと。解説もシンプルで、理解する際、無理やりそう言うことだと飲み込んで前に進ませ、後から、その疑問点を意識することなく問題が解けるようになり、結果おーらいといった感じだった。大阪府の公立高校の入試問題の証明問題はマジでなんであんなん聞くん?と思いました。また、高校入試の教材自体に、大学受験の予備校のテキストのような、明確な1本の筋というか、目的や意図が明確になっていないなと、感じ、解いていてもイマイチ頭に残らないといった状況でした。

高校時代 : 4STEPの問題量多すぎ。(チャートは見ながら解いて、何も見ずに自力で解き切るくせや能力がつかない、というか自分は着かずに高3の記述模試で死んだ。)河合塾の大学受験科のテキストなんてそれに比べるとめちゃ少ない。その量で阪大・神大レベルまでいけるんやったら、初めから(高校生の時から)そのテキストや問題量でええやん、て思ってしまう。数学3の微積分の教材について、教科書チックに結果だけ書くんじゃなくて、誌面で講義しているようにもう少し丁寧に細かく、初心者がめくじら立てるように疑問に思うような箇所(≠0を満たすための定義域や値域・領域の定め方を、結果だけではなく、思考の流れを示し、結果こういうふうに決めるんだという感じで示して欲しかった。あれに費やし悩んだ時間が惜しい。数学3がロボットの開発などにどのように必要なのか(自己位置推定の精度を向上させるためにはカルマンフィルタが必要で、カルマンフィルタを理解するのに必要です、など)を知れたら少なくとも過去の自分はもっと良かったんじゃないかな、と。数学3はパターンだと思い、数をこなして、経験を増やし、自分の中でのデータベースを増強し、どんな問題でもこなせるような自称スーパーマンになってやろうという感じで、パターンだと思って、楽しく取り組んでました。ただ、独学の時は解説も不親切で、あの時は本当に苦しかったです。積分に関しては、f’g=fg+fg’?のやり方以外の襷掛けなどのやり方は禁止すべき。時間が命なので。あと、積分は微分の逆やから簡単とか言ってるアホも追放すべき。初学者が逆やからとか言われても手も足も出ません。現役時代自分はそれで本当に苦しみました。一旦以下のように公式でやらすべきだと自分は思います。また、2次ある程度できても、センター全然取れない呪いが完全に解けるような教材があったらいいなと、センター取れないのは基礎シリーズの内容が完璧になってないからやとか言われても、基礎シリーズの問題3,4,5回やり直してほとんどすらすら解けるのにそんなこと言われても困ってしまいます。何が原因なのかが分からないのが1番苦しいのです。センター過去問解いて行っても、6割ちょいくらいまでしか上がらなかった。本当に謎です。現役時代などの‘初学で何もバイアスや邪念が入っていない時に基礎をきっちりやっとくほうがセンターは取れるのかなと思ったりもします。
 追記です。また、教材でexp(x)の微分はexp(x)とよく掲載されていますが、あの書き方だと、自学者や初学者は何やってるのか分からないので、exp(f(x))の微分はexp(f(x))・f’(x)・(x)’というように、しっかりと書くべきだと思います。質問2の内容も以上でお願い致します。内容ずれていたり、稚拙でしたら申し訳ございません。先に謝っときます。

質問3: (1)過去問やり込まないと受からないほどレベル高い大学受けれるほどの実力がなかったのでわかりませんが、出る可能性のある問題や類題を他大学の過去問から引っ張ってきて含ませて、可能な限り網羅できるのがいいのではと思います。また、大学の出題者の意図や出題背景を想像するのが良いのではと思います。また、出題内容に関して、大学の教員は、涼しげな顔で簡単に説明して、大したことないような感じを出すのが、なんでそんなに簡単そうにするん?と思うのと、なんでそんなに簡単に説明できるんやと思ってしまうことがよくありました。
(2)おっしゃる通りだと、自分も重います。完全に同感です。ただ、別解や類題は、年度の傾向にも影響されると思うので、文字にすると、更新大変だろなと思ったりもします。
(3)解く際の視点は、絶対に必要だと思います。分からない人は、自分が何が分からないのかも分からないため、説明する際は、できるだけ丁寧に解いて示して見せるのが一番早いと思うので、解く際の視点は必要だと思います。
(4)レイアウトも法則性があって、整っていてキレイなのがいいと強く思います。個人的には、河合塾のテキストのレイアウトが自分の中で1番いいと思っています。あくまで個人の感想です。ストレス感じないです。意外とやる気にもなるものです。以上宜しくお願い致します。

■蜆一朗
 ありがとうございます。2つコメントをくださっていますが、ここでまとめて返信したいと思います。ご了承ください。

質問1: 確かに、僕のまわりにも教材を何度も繰り返すことに抵抗がある子が多くいました。問題集というのは基本的には入試問題を集めたものなので、その中で入試問題を解くための基礎を固められる子もいますね。なかなかつながりを見出せない子が大半かと思いますので、そこを補えるような教材にしたいと考えています。大学入試の場合は、文科省(教科書)が基本だと考えていることと各大学が基本だと思っていることに乖離があり、そこを受験勉強で補う必要が生じています。そのため過去問から得た情報を生かして各自が穴埋めをしなければなりません。一方大学編入や大学院入試においては、専門書の重要事項と大学の先生が重要だと考える事項が基本的に一致するため、専門書に沿った学習をしても過去問からあまり乖離しない、という感じかと思います。そして一層、大学入試におけるこの乖離を埋めることを学習者のポテンシャルに任せきりにするのは少々問題だなという問題意識がはっきりしてきました。

質問2: 大阪の公立入試の数学は難しいですよね。僕も本番では半分しか取れませんでしたT^T。当時からひたすら過去問を反復していたのですが、どうしても体系的な視点は得られませんでした。 このWSでもどこかで書きましたが、とにかくチャート式という伝統が数学教育の最大の癌だと思っています。とにかくいっぱい解いて慣れろというのは指導でも何でもないですよね。数学3は高校数学と大学数学の間にあり、写像や極限といったデリケート(?)な話に入り込まないよう工夫されているのですが、それがかえって知識を単発にしてしまっているように思います。共通テストについては何とも言えないのですが、センター試験が数学学習に与えた悪影響は少なくないとも感じます(これについてはまたどこかで…)。

質問3: 基本的に匿名君が仰っていることと同じ意見です。TeX やテキスト形式では伝えられることに限界があると感じるので、適宜動画形式を採用したりして表現の幅を広げていきたいですし、テキストにも見やすさを重視したいと思います。

3つともご自身の経験を踏まえて丁寧にご回答いただきありがとうございましたT^T。

■コバ

■コバ
 大学入試という世界とは全く違う世界(文化)で私は今の日常生活を生きており、蜆君のアンケートに対してあまり体系立った意見は有しておりません。ゆえに今回のWSのテーマ「蜆一朗研究員による意識調査」の範囲を超えない範囲で、私の意識、意見を投稿し、意識調査に参加させていただきたいと思います。まず前提として大学入試の過去問コンテンツ含めた未来部さんの活動全般の「コンテンツのクオリティ」に関しては私は全く心配していません。良いコンテンツができると思います。なので私が今回意見(というか提案)があるとすれば、蜆君の「ポジション」に関してです。

 経緯からして仕方ない部分はあるとは思うのですが、蜆君は現状准教員ではあるものの、部活動の部長はされていらっしゃらないと思います。私は蜆君には部長職ではないにしても、いずれかの部で部員として部活動にコミットしてほしい(その経験を積んでほしい)と考えています。もっと言うと、過去問コンテンツを作成する、それを蜆君のジェイラボでの活動の主軸にはしてほしくないと私は思っています。もちろん、過去問コンテンツの作成は大変時間のかかることだと思いますし、コンテンツ制作、広報活動は今後のジェイラボの「未来」を作っていく上で重要なことだと私も思います。しかし、あくまで未来部さんの活動は現行の部活動の活動+αで有志の方々が行う活動だと私は認識しています。(逆に+αだからこそ意味があるとも考えています)私は日々の部活動、そこに「未来」を感じていますし皆さんもそうであってほしいと思っています。

 本当はもっと受験に関係ない勉強支援をしたいと思っています。できるだけ多くの人に「身の丈にあった勉強」をしてもらいたいという野望があるからです。しかし今の実力や現状ではそれができませんし、話を聞いてもらえるだけの説得力や魅力が自分にはないと思っています。ジェイラボへの貢献ということも考え、過去問研究班や未来部で一定の成果を上げつつ自分に力をつけることが自分のやるべきことだと思っております(この段落は蜆一朗による過去の投稿からの引用)

蜆君が上記の部分で仰られていた「説得力をつける」ために過去問研究班や未来部で一定の成果を上げつつ自分に力をつける、という点についてですが、私の意見は逆です。まずここで言う「説得力」というのは、「相手に話を聞いてもらえる力、相手に納得してもらえる力」という意味かと思います。それをつけるために、蜆君自身の(過去問コンテンツ制作能力、それに伴うその周辺の)能力アップ、あるいは過去問研究班や未来部で一定の実績をあげることが蜆君のやるべきことだと考えている、という話だと思います。何回もこの話ばかりしてしまい恐縮なのですが、私は20歳の頃「自分の能力、実績をもとに他者に自分の考えを伝える」というスタンスでした。
しかし考えてもらいたいのですが、人が人の話を聞く際、どういった人の話に耳を傾けるでしょうか。私は「信頼、信用」している人の話に対して耳を傾けて聞きます。そして、その「信頼、信用」は「能力」ではなく「時間」によって積み重なるものだと私は今は考えています。なので私は「説得力をつける」という観点からも結論は同じで、蜆君にはこのジェイラボで能力の向上、実績の積み重ねよりも「時間」の積み重ね(現行のジェイラボであれば部活動での)に重点を置いてもらいたいと考えています。

 蜆君は今であれば部活動は未来部以外では教育研究部に所属していらっしゃいますが、私の勝手な思い込みかもしれませんが、あくまで「運営」としてシト君の「サポート」的な印象を受けます。もちろん運営間のサポート、助け合いは私も大切だと思いますが、私が今回話している「時間」というのは、教育研究部で言うならば「部員」として参加するという形での「時間」を積み重ねていってほしいという意味です。「部員」としての参加は部での活動自体を「こうしたい」とか「良いものは良い、悪いものは悪い」という意見を出し合うことを意味します。それは「運営」という立場からの「サポート」では生まれてこないと思います。そういった「時間」を積み重ねることがジェイラボに参加する本来の意義だと私は考えていますし、それは「説得力」に繋がっていくとも私は考えています。以上、アンケートの回答でも無い内容を長々と申し訳ございません。

 過去問研究班、未来部さんの活動に関して私はネガティブな感情を持っているわけではないのでその点はご理解いただけますと幸いです。蜆君の今後の活動の参考になれば幸いです。

■Hiroto
 横から口を挟むと面倒になるかもですが、教育研究部における蜆さんのコミット度合いは、もはやサポートの枠を大きく超えています。蜆さんの元からの興味というのもあったと思いますが、僕から見てもかなりコミットしている印象です。準備にかける時間も僕の想像を超えるほど割いていると思いますし、教育研の輪読に属している僕からすると、かなり今の活動(輪読)の舵は蜆さん(シトさんはもちろんのこととして)が握っていると思います。「意思を持って教育研の運営に関わっているか」という視点でのご意見だったかと思いますので的から若干外れているかもしれませんが、教育研の輪読に参加している内部よりの立場として、一応の現状の報告でした。参考になれば幸いです。

■蜆一朗
 お二人ともありがとうございます。Hiroto くんがコメントしてくださる前に考えていた文章があるのですが、それを代弁してくださったと思います笑 僕からは「説得力」という表現についての補足と教育研究部の補足を少しさせてください。他の仕事を挟むかどうかはわかりませんが、僕はいずれ勉強を教える仕事に就くことになります。いろいろ言ってはいますが、少なくともその周辺に関わることは間違いないだろうと思います。コバさんが仰る「信頼、信用」を「先生」として得るためには、生徒たちとの時間を積み重ねることと合わせ、「わかるように教える」という能力もある程度必要であると考えています。もちろん勉強だけがすべてではありませんが、ここを持たないまま時間を重ねても生徒の信頼や信用は得られないと思います。僕のあの発言はこういう意図を込めたものでした。このように僕個人の将来のことを念頭に置いた発言ですので、それを踏まえてコバさんがジェイラボの中での活動を疎かにするには違うぞ、と指摘してくださったのだと思います。そしてそれはまさにごもっともでありますので、そうならないように適宜活動内容を開示したり、WSや部活動に積極的に参加したりことを忘れないようにより一層気を付けていきたいと思います。現状僕は部長職にはついておらず、未来部と教育研究部の部員として活動しています(コバさんの仰るとおりです)。Hitoro くんも言ってくれたように、今僕ができる最大限のことを教育研究部に注いでいるつもりです。しかし、コバさんにも指摘してくださったように「活動自体を「こうしたい」とか「良いものは良い、悪いものは悪い」という意見を出し合う」ようなことは今までしていませんでした。傍から見ると片手間で参加していたりシト君のやりたい活動をそのままサポートしていたりするように見えるのもご尤もだと思います。今行っている活動は今年度すべてをかけて行うことになると思いますので、その後にどんな活動をするべきか等についても意見を出していけたらと思います。

最後に(総括と感謝)

■蜆一朗

 こんばんは。蜆一朗です。この1週間で様々なご意見をいただきありがとうございました。簡単に内容を振り返ってWSを締めくくりたいと思います。

1~2日目
 まず初めに過去問研究部はいったいどうなったのかを開示し、過去問研究や未来部で活動するにあたり僕がどのような思想を持っているかを開示しました。1000字のnote記事も含めて長い文章を読ませてしまいましたが、共感してくださる方や理解を示してくださる方がおり少し安心しました。2日目に投下した1つ目の質問では、中学時代と高校時代に分けて、数学に対する好き嫌いと得意不得意について問いました。予想通り「好きで得意だった」という方が過半数でありました。欲を言えば「好きで苦手」とか「嫌い」「苦手」と感じていた方のご意見をもう少し聞いてみたかったなという思いもありますが、ひたすら問題演習を積むという勉強の在り方に疑問を感じ、体系的な理論の習得が不十分だったという振り返りをしている方が数名おり、やはりその点を強化する教材や指導が必要なのだなと改めて感じました。

3~4日目
 2つ目の質問として、受験生時代に過去問をどうとらえていたかについて問いました。これもある程度予想通りで、直前期の総仕上げや調整に使うという意見が最多でした。本番で時間制限のなか問題を解くために受験勉強をしているわけですが、普段の勉強が勝手にその力につながるという受験生は、強い人たちが集まったジェイラボの中であってもさすがに少数派であったようです。過去問から勉強するべきことを読み取り普段の勉強に生かし、また過去問に戻って確認し…というサイクルを回せるようになるための基礎の勉強で困っている受験生が大半であろうと思います。基礎固めを支える教材を作ろうという考えが一層強まりました。

5~7日目
 3つ目の質問として、過去問コンテンツに不足していると感じる要素について問いました。2「解説の充実性」が最も多くなることはもちろん想定していたのですが、3「本番で解くときの視点」にかなり票が入っていることと、4「テキストのレイアウト」への投票が少なかったことが極めてジェイラボ的だなと思いました笑 おそらく世の中の受験生全体にこのアンケートを取ったら2と4が圧勝し、アンケートを見てみて3の必要性を初めて自覚する回答者が大半になるかと思います。各自の経験を踏まえて血の通った意見を多くの方に投下していただきました。

最後に、繰り返しにはなりますがアンケートや記述での解答にご協力いただいた皆様、ありがとうございました。准教員以上の階級でないとD号棟での活動は見えなくなっていますが、活動内容や成果を報告したり必要に応じて意見を募ったりしながら情報開示していければいいなと思います。今後ともよろしくお願いいたします。明日からは英語部さんのWSが始まります。WSが盛り上がってより活発な意見交換の場となるよう願いまして、本WSの締めくくりの言葉としたいと思います。ありがとうございました。

編集後記

 今回は過去問という非常にニッチな分野に関して3つの質問を投下し、様々な意見をお寄せいただきました。質問の仕方や条件設定が複雑で答えづらかったこともあったかと思いますが、正直想像以上の量で大変うれしく思っております。これからも対外向けに情報発信等を続けて行きたく思っておりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?