明日の昨日は今日

何がしたいか問われたときに、何もしたくなかった。敢えて言うなら死にたかった。
それはゴールを置きたいということだった。
明日でも明後日でも、来月でも来年でもいい。
とにかく短期〜中期のどこかに「死」という目標を定めることで、逆説的に生きようとしていた。

ワンチャン死ぬかもしれないけれど、それはそれでいいじゃん。
「死ぬ気でやれよ、死なないから」とは思わないけれど、死というものをwillではなくbe going toにしたかった。
何もかもに対して、私のwillは弱い。だからforce of willが欲しかった。

意志に対する憧れは、ある意味で少年漫画の主人公に対するそれと同じ。つまり、フィクションであるということ。
ないものを求める。ないことを分かった上で、求める。それを私は享楽的という。

「もしも、いつか」と未来を願う日がいつか来るなら、その時の私はきっと今を生きている。

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