大人になることの哀しさと可笑しさ。

中途半端な、文字数にしたら200くらいの書き殴った下書きが量産されている最近。

修正して修正して、モディファイしていくことが比較的苦手なのです。
一旦下書きを出しておくのが苦手なのです。

今年の目標は、ちゃんと生きる。
テーマは、納得感。
つまり、自分で選ぶこと。

どのくらい意味のあることか、わからないから。
わからないけれど、意味のあることとしたいから。
運命なんてのは、大切にしたい偶然に名前をつけているだけなのかもしれない。
この偶然を忘れたくない、意味づけをしたい。だから運命と呼んでいるのかもしれない。

「生活」なのよ。

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サブスクの音楽アプリの調子が悪く、全体再生しているのに何故か特定の1曲をリピートする時がある。どの曲が選ばれるのかは完全ランダム。

透明少女を繰り返した。3回目で気付いた。4度目はなかった。

適材適所って言葉があるでしょう?
きっと、そういうことなの。
わたしには何が出来て、何が出来ないのだろう。

音楽がしたい。

発達の凸凹を、気質を、障害と捉えるかギフトと捉えるかは人次第だよ。

好きなことをするにはお金が必要だから

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子どもの頃から35歳で死ぬと思っていて、
去年、35歳で死ぬと決めて、
決めたのだけど、不思議な縁があって、
今年のわたしの目標は「ちゃんと生きる」

今年一年「ちゃんと生きる」をやってみて、どうなるのか。
やっぱり死にたいのか、やっぱり生きたいのか、どちらに転んでも「やっぱり」が付くと思う。
死にたいわたしと生きたいわたしのチキンレース。

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ADHDの精神年齢は実年齢の3分の2らしい。それを聞いて以降、自分の幼さを気質だと納得できるようになった。
だからといって大人になったり実年齢に追いつくことはないから、これから先年を重ねれば重ねるだけ「若い」「幼い」「子どもっぽい」と言われることが増えるんだろう。

正しい正しくないではなく、合う合わないだよ。
正解不正解はなくて、つまるところ相性でしかないのだよ。

高級腕時計を自慢しているあの人を私が理解できないように、y'sのジャケットを眺めてうっとりしている私のことを、あの人は理解できない。
価値観なんか人それぞれで、考え方も千差万別。
だから、最終的にはwillなんだ。
考え方も価値観も、性格も好みも、何もかも違っても。違ったとしても一緒にるのは、「一緒にいたい」という意志の力。

一歩踏み出す勇気を。

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