見出し画像

「生き残る」ことは必要なのか(1年前の下書きから)

これからの世代が生き残っていくために必要なことが何なのか、具体的に示すことが出来ない世の中になっている。
それは世の中の変化のスピードが凄まじいことになっているからで、「これをやっていれば安心安泰」というものがなかなか示しづらいから。
「今後伸びる分野にいる」ことよりも、各々が「今後何が伸びるか考える能力を持っている」ことが必要なのだと思う。

理解はできる。が、表題。
そもそも「生き残る」ことは、必要なことなのだろうか。
生き残るとは、どういう状態のことを指すのだろうか。

誰が何を言おうと、私たちはまず自分の生活を頑張らないといけない。
それを頑張らない人は、おそらくいない。
どのレベルにいる人でも、最低限のそこは頑張っているはずだ。
最低限のそれが守られていれば、それで良いのではないのだろうか。

シンギュラリティとか、ワークアズライフとか。そういうことを言っている人たちは、自分の身の安全が確保出来た状態で発言しているように思えてしまう。ひねくれですか?
例えば、「これからの働き方/生き方」を論じている人は、既に老後を悠々自適に暮らせるだけの蓄えや資産を持っているとか。
これからの世の中がどう動いても大丈夫だから(例えば今後自分がやることが実を結ばなくても問題ないから)、だから仮説的な部分で動けるというか。

まずは自分の身に降りかかる火の粉を払わないといけない。
●年後生き残ってるかより、今を生きる方が重要よ!というスタンス。
その状況であれば、それは正しい。

でも、なんだか今の状況に違和感を覚えてしまう。
仮に豊かな人/豊かでない人と分けることができるとすれば、みらいについて考える豊かな人と、いまを生きる豊かでない人。という構図が出来ているように思えてしまう。
いまを生きながらみらいについて考える豊かな人。という方が正しいかもしれない。
ということは、ある程度今の生活を安定させてからでないと、みらいを考えることは出来ないのだろうか。

「生きる」は今の話。「生き残る」はみらいの話。そういう違いなのかなぁと思った。
あぁ、だからBIなのか。で、みんな「生き残る」を考えましょう、ということか。という自分なりの解釈が産まれたところで、なんだか納得満足してしまった。

投げ銭貰えると喜びます。明日の記事への活力となります。