無題。

何年も何年も考え続けている。
愛とは何か。幸せとは何か。生きるとは何か。
愛と幸せの正体が分かれば、きっと愛されるし幸せになれるし、
それによって生きることができるはずだと。きっとそう信じたかったんだ。
死にたいわたしは、実は本当はずっと生きたかったんだ。
生きたかったし、幸せになりたかったし、愛されたかった。
でも、それがどうにも手に入らなくて、諦めたくて。でも諦めきれなくて
苦し紛れに選んだ行動が「愛について考える」「幸せについて考える」だったのかもしれない。

大きな選択をした。

過去と決別せざるを得ないと思っていたけれど、どうやら違う。
良かったことも悪かったことも、喜びも悲しみも、傷も何もかも抱いて、
丸ごと持って次へ進みたい。そんな気持ち。
そのために、一つ一つ丁寧に整理していきたい。
丁寧に、全てに「ありがとう」を添えて。

「これから」に目を向けるために、「これまで」を見据える。
言葉にするのは簡単だけど、実際にやろうとすると、きっと想像以上にしんどいはず。だって既にやりたくないもん。
でも、しんどいとわかっていても、それと同じかそれ以上に「やらなきゃ」という思いがあるんだ。
先に進むために、過去を精算しなきゃいけない。
今回のこれを意味のあるものにしたくて、そのためにはちゃんと。

これをやることでどうなるのかはわからない。
何も変わらないかもしれないし、やったことを後悔するかもしれない。
これをすることで、今以上に「死にたい」が加速するかもしれない。
全て精算した後に残った私は、とてもつまらない人間かもしれない。
それでも良いんだ、と今は思えない。だから、躊躇う。

「死にたいですか?」と問われたら、今もやっぱり死にたさはあって、
でも、それと同時に「死ねなくなったなぁ」とも思う。
死ねなくなったことを素直に喜べないのは何故だろう。
死ぬしかないと思っていたのが、死ななくてもよくなったはずなのに。
それが嬉しくないのはどういう気持ちの動きなんだろう。

「死にたいなんて簡単に言っちゃだめだよ。」
ほんとその通りだよ。命ってのは重いんだ。

・・・ここまで一気に書いたところで、キーボードを叩く手が止まった。
これらは全て建前だ。私の心の表層だ。

私は疲れている。
「ゴールしてもいいよね?」と問いたい。許しを乞いたい。
嫌だから終わらせたいのではない。もう疲れたのだ。
これ以上頑張れない。イヤイヤ反発しているのではなくて、もう反発する体力も残っていないのだよ。
ギリギリでいつも生きていたいなんて、ギリギリじゃないから言えるんだよね。
本当にギリギリで生きていると、疲れるんだよ。闘うことに疲れる。
勝ち負けとか、プライドとか、全部がどうでも良くなる程度には疲れる。

愛されないから、幸せになれないから、せめて答えを知りたくて、とにかくひたすら考えた。
考えて考えて、考え続けてわかったことは、何もなかった。
愛とは何か、わかったところで満たされなかったし、わかってしまったからこそ満たされない自分が不幸だと思った。
愛されなければせめて憎まれたら良かったけれど、そんな度胸もなかった。
結局、人から矢印を向けられることを恐れていた。きっと今も恐れている。

愛を求めているのに、それと同じくらい愛されることを恐れている。
ちっぽけなプライドの最後のひとかけらが、これ以上傷つけまいとしている。
これ以上傷ついて疲れてしまったら、気がふれてしまう。

深淵。

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