息子は自己肯定感が異常なほど高い。 「俺は部活内で1番強い」と堂々みんなの前で言ってのける。 「なぜならば、俺は誰よりも努力してるからだ」と。 「今だに俺のお世話ができるなんてお母さんは幸せ者だ」という。 「子供と密に関われる時間はせいぜい小学校に入学するまでだ。だんだん友達との時間や恋人との時間を優先され手が離れていくのに、俺は今だにお母さんに甘えてあげている(世話をさせている)」と。 「俺は出来ないとこがあってもいいんだ」という。 「俺が苦手な事は誰かの得意で、
私に明日はくるのだろうか?? 毎日思う。 今の所ちゃんと明日がやってきている。 一日を全力で過ごす。 全力で仕事して、全力で家事をこなし、全力でサボる。 0か100しか私にはない。 何で私は死を近くにおいているんだろう。 何トンもする鉄の塊がすぐ横で60キロの速さで通り過ぎる日常。 たまたま運よく生きてるだけ。 たまたま運よく治安のいい国に生まれ育ち たまたまいい人達に囲まれて生活している。 たまたま丈夫な体で生まれ たまたま健康でいる。 そう。たまたま勝ち確
誰よりも劣ってる人間だと思っていた。 なぜ、そう思ってしまっていたのか。 親からの言葉は、ときに呪いの言葉になる。 私の呪いの言葉は 「あんたなんかにできるわけない」 「こんなこともできないの(わからないの)」 弟達は何をしても褒めてもらえるのに、私は出来て当たり前。 できないと、母から呪いの言葉を唱えられる。 そんな風に言われ続けられている私は、人より何倍も努力しないとみんなに追いつけないと必死になる。 自分はダメだと思って必死にやってきた32年。 32歳の時に
息子は小学一年生の10月から中学一年の夏まで不登校だった。 4月から10月まで毎日無理やり学校へ連れて行っていた。 HSPを知ったのは息子が不登校になってからだ。 19歳で母になった私。 祖父に「子供が子供を産んだ」と投げつけられた言葉がすごく傷ついたことを覚えている。 子供が子供を産んだと思われないように、私は息子の個性を潰していた。 四角い型を、みんなと同じ丸の型にはめさせようと必死になっていた。 ある時、いきなり入ってきた言葉。 「不登校は親の問題」 打ち
noteを知ってなんとなく始めてみました。 思っていること、考えていることを自分のペースで自由に書いていきたいと思います。 私は、30代後半。 高3の息子と二人暮らし。 全人類が引くほどの親バカ。 私も息子もHSP。 "生きづらさ"は永遠についてまわる。 大きな音 眩しい光 嫌な匂い 人のちょっとした言動 その場の空気感 大量の情報が一気に流れ込み、それを処理していく。 感情の波はいつも大荒れ。 休日は、家に引きこもり回復するためにひたすら眠る。 寝てる間は何も考