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【短編小説】月曜日の 夕方 左側の角


平成が令和に変わり、それでもこのカフェは何も変わらない。25歳の頃から通っているのだけれど、匂いに色、聞こえてくる音に、流れる時間。

唯一私が、心から休める時間が流れている。

私はこの春、35回目の誕生日をここで一人で過ごした。去年もおととしもここで過ごした。短大を卒業した後に、いくつか受けた面接。後会社へ就職し、毎日8時から5時半まで、経理の仕事をしている。

気の小ささと、人見知りな性格と、少し通った鼻筋とが醸し出す、近寄りがたいオーラがあだになり、私は結婚や恋愛はおろか、男性と手をつないだことすらない。

そしてそれを他人に言う事がなんとなく許されない年になった気がしてる。人並みに人を好きになった事はあるのだけど。その話は短編小説にもならないありきたりなもの。それでも何だか、年を重ねるにつれ、人には言えない秘密が増えてゆくように思う。

まぁ、他人の幸せを耳にして、孤独を感じないと言ったら嘘にはなるけれど、そもそも知らないものを憂いても仕方がなくて。

知っていたら、きっともっと何か別の闇を知る事になっていたのかもしれないとも思う。

ただ、この地味な私の人生は悲しいものでも寂しいものでもなくて。むしろこの3年の間、私の毎日は鮮やかに輝いて光る。

秘密を胸に大切に抱えてるからだと思う。

増えゆく秘密の中に、私はとても大切にしているものがある。その秘密を他人に知られた所で、私は誰かの居場所を奪うこともないし、誰かを傷つけることもないし。誰かに傷つけられることも恨まれることもないはずで。

確かに、皆が望む人生を生きることはあたりまえに素晴らしいとも思うけれど、その後の灰汁ようなものを見る世界がなんとなく怖い。

時間はいつも決まっている。

月曜の夕方の西日の差す時間。

 彼はいつも、店の左側の大きな窓がある角の席に座る。いい具合に陽の光がさし、本を読む色がオレンジに染まる。

少し細いこげ茶色の髪が、光の奥で時折揺れる。コーヒーのカップを取る手の指が、本や彼の髪に優しく触れる。

ため息が出る。
この時間の為に生きている。

いつも読んでいる本は、小説だったり、古い文学だったり、あまり統一性のある本ではないけれど、最近の文学大賞をとったとか、平台に平置きされている様な本を読んでいるのはまず見たことがない。

私はいつも彼が読んでいる本をうつむき加減に覗きながら、それを手帳に記録している。本を読むことに没頭する彼を、少しの間、視界に入れる。時間も決めている。1杯だけコーヒーをおかわりする。そのコーヒーがなくなるまでの間だけ。そうやってもう、3年の月日がたつ。

こうやって、近くの席に座って、彼の読んでいる本を手帳に記録し、それから少しの間、彼の事をなんとなく眺めるような景色を見る。それをもう三年も続けている。

彼の名前も知らない。だけど、例えば声をかけたり、例えば付き合ったり、そう言うことは、なんとなく私の生きる現実からはかけ離れている気がしている。 

 一度だけ、店長のミミさんと話しているのを見た事がある。優しくて澄んだチェロの音の響きの様な声をしていた。まぁ、何か私の願い事が叶うのであれば、あの声で私の名前を呼んでほしい。その位だ。

閉じたまぶたでさえ、鮮やかに彩るような奇跡の様に それはあまりにも現実から遠のいている。月曜の西日の時間はあっという間に終わってしまう。それからはまた、毎日の仕事を淡々とこなし、彼の読んでいる本を本屋でのぞき時々買っては帰る。この時間が、もう痛いくらい幸せだと感じる。

カフェでは、話すのはおろか、目を合わすことすらない相手だが、せめて話くらいはしてみたい。そんな事を最近は考える事がある。

だから少しだけカフェに来るまでの道をゆっくり歩く。すれ違ったところで、私は話しかけることができない事はわかっている。

いつか出会えるあなたの事を、考えながら読んだ本はもう100冊を優に超える。

それを彼に伝える事など、私にはできるはずがない。帰宅した自宅で、その なんとなく雑に置かれた沢山の本を見る時に少しだけ思う。

あなたに会えて嬉しいのに、この瞬間は全てが悲しい。私は意気地がない。どうして。どうしてこうなのか。

だけれどやっぱり、目の前で陽の光に燦たれ優しく少しだけ光る様な彼に、話しかける理由はが思いつかないまま3年。

このままなら、勘違いも戸惑いもなく、穏やかな毎日を過ごしていける、そのこと自体が幸せなはずなのに、ある時、ふと自分の心の変化に気づき、好きなのに苦い珈琲が飲めない この舌の様で虚しくなった。

 月曜の、夕方の西日が差す時間。

いつも、僕はこの店を訪れる。カーテンがあるに違いはないが、正直西日の差す角の席は、夏は暑いし冬はストーブから離れているし、あまり居心地の良い席ではない。

じゃぁなぜこの席に何時も座るのかと言うと、斜め向かいに座る綺麗な女性が、当たり前の様に正面を向いても視界に入るからだ。

いつも西日が差すくらいの時間になると、決まってこの店に現れていつも同じ席に座る。本を開いてはいるものの、僕はいつもほとんど本を読んでなどいない。

いつも彼女は下を向いて手帳を開く 仕事なのか趣味なのか、何か熱心な様子の顔が、なんとなく気にかかって仕方がない。

そうやってもう、4年半が経つ。

常連という立場にあやかり、何度かそのことを、この店の店長のミミさんに話したのだが、

「プライバシーの事とか色々とね♡」

と言ってニヤつくものの、彼女の事は何も教えてくれない。要するに自分で声をかけろということなのだろう。

月曜日の午後に、必ず訪れる彼女だが、来週の月曜日にまた来る保証はない。それはよくわかっている。

 だけど、頼んだ珈琲の量が、半分を切ったあたりから、なんとなく鼓動早くなり、うまく声をかけられる自信はコーヒーと共になくなり消える。

またそう思って、自分に嫌気がさしたその時に、ふと読んでいるふりをしていた本の一文が目に入ったんだ。こう書いてあった。

やらなきゃいけないことをやるんだ。
そうすればうまくいくさ。

「うまくいくか。うまくいかないことばかり考えていたな。」

ボブディランに、心の中で話しかけた自分が笑えた。

そうだ。天気が良い月曜の西陽が、次に僕に降りかかったら、この本をわざとらしく 肘で床に落としてみようと思う。

なぁ、そう言うことだろ。

 オリオンカフェのミミです♡ そうかっこよく言った 彼ですが、いつ来るかわからない

「次の晴れの日」

に、彼女が気づくかどうかもわからない様な

「小さなリアクション」

をおこすという とてもちっぽけな決意表明でしかなく。

だけれど、その小さな変化や決意が、時に人生を大きく変えるのかも♡

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米津玄師 アイネクライネ 
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