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生きてるのは当たり前なのか。|生きる行脚#13@豚の世界


(※あくまで自分が行かせていただいたところでのお話で、様々な形・やり方がある中の一つとして読んでいただけたらと思います。)

 僕は大学で学んでいることや「大学」という環境、自分の将来のことなど、いろんなことについてとにかくもやもやを感じていた。
 そんな中REIWA47キャラバンでの株式会社ポケットマルシェ(現:株式会社雨風太陽)のCEO、高橋博之さんとの出会いをきっかけに、大学3年生(2021年度)の1年間を休学し、日本各地で一次産業を生業とされている方の隣で一緒に作業をさせてもらう旅、「生きる行脚」をすることを決めた。
 生きる行脚とは、一次産業を生業とされている日本各地の漁師さん・農家さんのところに住み込みで1週間~1か月ほど滞在し、漁師さん・農家さんが普段やっているようなことを隣で一緒にやらせてもらう修行の旅である。一次産業という産業のなかで物理的に命を扱ったり命と向き合ったり、一次産業を生業とされている方の生き様などを通して「生きる」とはどういうことなのかを感じたり、考えるため、2021年の3月8日(火)から2022年の3月28日(月)までのおよそ1年間、この「生きる行脚」を実施した。
 このnoteでは、この1年間で日本各地の漁師さん・農家さんのところへ行かせていただいたときに僕が見てきた景色や、僕が感じたことや思ったこと、考えたことを綴っている。


 牛乳や卵、お肉の生産現場へ足を運び牛や鶏を見ていると、「豚はどうなんだろう、どうやって育てられているんだろう。」とか「豚肉はどうやって作られているんだろう。」となんとなく思うようになり、興味が湧いた。そこで、日本の養豚においては一般的とされるようなやり方で豚を育てている養豚場さんで研修させていただいた。


すぐ側で「死」が待ち構える豚の世界


 単刀直入に言うと、「この世に生まれてきたすべての豚が豚肉になれるわけではない」という豚の世界での「当たり前」を目の前に突きつけられて、ただただ言葉を失った1週間だった。

 今の時代の日本では、ヒトはそう簡単に死なない。(ちゃんと調べたわけじゃないけど、)平均寿命は男女ともに80歳を超えていて生まれてから80年以上も生きることが当たり前になっているし、新生児の死亡率もかなり低いんじゃないかと思う。これは、「ヒト」っていう生物にとっての当たり前だ。僕はそのヒトにとっての「当たり前」が豚(を含むその他の生き物)にとっても当たり前だと思い込んでいて、考えたことなんてなかった。だから、「生きあぶれることなんてめったにないだろう。」と思っていた。


生まれることは、「生か死か」という競争に参加すること


 子豚は、病気などへの免疫を持たない状態で生まれてくる。そのため、病原菌に対する抗体や免疫物質を含んだ、分娩後に母豚から分泌される「初乳」を飲むことで病気や感染症への免疫力を獲得しなければならない。

 豚の乳首は胸からお腹辺りの位置にかけて左右7つずつ、計14個ついている。それに対し一度の出産で生まれる子豚は、乳首の数よりも少ない8頭などのときもあれば、乳首の数よりも多い24頭も生まれることだってある。

 子豚は、初めてお乳を飲んだときから離乳するまで、決まった位置の乳首でお乳を飲む習性があるそうだ。そのため、乳首の数より多い数の子豚が生まれてきた場合、体の小さな豚などは十分に初乳を飲むことが難しい。
 24時間以内(お乳に含まれる抗体や免疫物質は、分娩後から急速に減少し始める。また、分娩から24時間を過ぎると子豚の吸収能力が低下し、抗体や免疫物質を摂り込むことが難しくなる。)に十分に初乳を飲めなかった子豚は、空気中に浮遊していたり母豚に付着している病原菌などが原因とされる病気や感染症にかかりやすくなるため、出荷される前の成長の過程において死亡するリスクが高くなるそうだ。
 生まれてきた子豚が乳首の数よりも多かった(14頭よりも多く生まれた)場合、そのうちの数頭を子豚の数が乳首の数よりも少なかった群れの母豚のもとへ里子に出してお乳を飲ませるといったこともするそうだが、従業員さんの話によると、血がつながっていない母豚のお乳であるために十分に免疫を獲得することができなかったり、別の群れから来た子豚ということで里子に行った先の群れでも弾かれてうまくお乳が飲めなかったりして、成長の途中で病気にかかりやすくなって生きるのに苦しむことも少なくない、とのことだった。

 豚は、人間のように自分の意思で生きることを選べない。
「ブヒィ!」と産声をあげたその瞬間から、否応なしに熾烈な生存競争の土俵に放り込まれる運命にある。


赤ちゃんに襲い掛かる外敵


 分娩に立ち会った日の翌朝、子豚の様子を確認しに行くと昨日は元気に鳴いていたうちの2頭が頭と足だけになっていた。
 夜の間に野良猫が侵入し、子豚を食べていた。頭と足以外の部分がきれいになくなっていたのは、生まれたばかりの子豚は骨がしっかりしておらず軟らかいため、骨ごと食べられてしまったからだという。

 初乳を飲めたから安泰、というわけではない。生まれてから数時間しか経っていない赤ちゃん豚は、抗えるはずのない外敵からの恐怖にも晒される。
 

集団の中で生きる。

 数日後に、子豚舎に入ると普通の子豚とは少し変わった、茶色く薄汚れた子豚がいるのを見つけた。
 LWD(日本で俗にいう「三元豚」)という品種の豚は臆病で人が近寄ると一目散に逃げだすような性格なのに、その子豚は、僕が近づいても逃げずに横になったままだった。手を伸ばして触れようとすると普通であれば囲いの中を元気よく逃げ回るのに、その子豚は起き上がることなく、忙しなく囲いの中を行ったり来たりしている他の豚に踏まれていた。
 その子豚は群れの中で最も弱い子豚だった。「こうなってしまったら餌を食べるのにも苦労するから、出荷できる大きさになるまで何事もなく順調に成長するのはなかなか厳しい。」と、従業員さんは言っていた。
 

 他にも、亡くなった状態で生まれてくる子豚もいたし、時には不完全な状態で生まれてきてほどなくして息を引き取る子豚もいるという。


 僕は、「こんなにたくさんお肉になれない豚がいるなんて…」と思うだけだった。
 だから、「どう?養豚。」と聞かれても、「大変ですね…」とか「すごいですね…」といったありきたりというか、抽象的な言葉でごまかすことしかできなかった。
 今となってはこうして文章にしているものの、そのときは本当に言葉が出てこなくて、複雑な感情がぐるぐると頭の中をかけ巡った。


命には、「終わり」がある。


 これは、「畜産」という生き物の世界に足を踏み入れるようになってから思うようになった。
 僕は今まで生きてきた中で「死」を身近に感じたことはほとんどなかった。だから、「平均寿命を超えるまで死ぬことはないだろう。」と思い込んでいた。というか、「死ぬ」ということは今の自分とは遠くかけ離れたところにあることだと思っていたから、それについて考えたことがなかった。
 だけど、畜産の世界に足を踏み入れて人間とは別の生き物の生き様を見るようになってから、「生きてるのは当たり前じゃない。」と思うようになった。

 養鶏場には、仲間からの尻つつきにあい、内臓まで引っ張り出されて食べられて、皮と骨だけになった鶏がいた。
 豚舎では、「こんなに亡くなってしまうのか…」と思ってしまうくらい幼い豚が亡くなっていた。
 養鶏家さんは、「色々な原因で、月に数羽はどうしても死んでしまう。」と言っていた。
 肉牛の肥育農家さんからは、「前日まで何もなかったように見えた牛が、突然死んでしまうことがある。」という話を聞いた。

 人間も牛や豚、鶏と同じ「生き物」である以上、同じだと思う。
 もしかしたら明日の朝、目を覚まさないかもしれない。
 集団の中で弱い位置にいたら、生きることが嫌になってしまうかもしれない。

 「生きる」ということは、「死ぬ」ということとセットになっている。だから、生き物は必ず「終わり」を迎える。だけどその「終わり」がいつ来るかは誰にもわからない。人間も生き物である以上、その例外ではないと思う。

 だから僕は、生き急ぐ。
 会いたい人には会いに行くし、やりたいと思ったことをやる。自分が、腑に落ちる選択をする。
 だって、いつ死ぬかはほんとうにわからないから。

 「どんなにちっちゃいことでも、自分の心が「やりたい」と言ったことなら、その声に耳を傾けて生きていこう。」

と、思わされるような研修だった。

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