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慈悲の瞑想で「治癒力」アップ

もしも、がんという病気になったとき

現代の医学では、発症した原因や回復にむかうための心の持ち方には、ほとんど注目しません。

たしかに原因は、遺伝的なもの・生活習慣によるもの・何か特定の発がん性物質の影響・・・

いろいろあり、その掛け算かもしれないので、断定できるものではないですから・・・(そこまで時間をかけられないという病院側の事情もあります)

また、患者さんの多くは、「悪いところは早く切って安心したい」・「よくわからないので偉い先生に任せたほうがよい」と目の前の苦痛を早く何とかしたいとあせります。

医療に完全に任せきれない人は、体質改善に着目して食生活や運動習慣など見直すことでしょう。

その中で、あまり重要視されないのが「考え方の癖」です。

自分にとって心が苦しくなるような、ストレスを感じさせるような「考え方の癖」というものがあります。

食の問題をはじめ、生活の習慣のことなら、意識さえすれば改善することはできます。

目に見えてわかるものなので、この食をこう変えよう!とか、夜更かししていたのを、11時には寝るようにしよう!など具体的な策を練ることができますね。

でも、「考え方」だけは、その人だけのものなので、どこをどうすると明言できないんですよね~

しかし、心理的なストレスが心に澱んだままでは、自律神経やホルモンのバランス・免疫の働き・腸内環境など改善することが難しくなります。

たとえば、ストレスのもとになる「怒りの感情」

人間関係が壊れる・人間不信に陥るような出来事があれば、心の奥深くで「絶対、許さない」といった感情が残るでしょう。


ましてや、そのせいで自分が病気になったと思っているなら、なおさら怒りをこえて「憎しみ」「恨み」になっているかもしれません。

病気で、痛みや苦しみがあれば、それを感じるたび、誰かのせいにしたくなり、その苦しみをぶつけたくなるでしょう。


人の脳はそのことを思い出すだけで、その状況をリアルなものとしてとらえ、現実的に必要がないにもかかわらず、身体にストレス反応を起こさせます。

つまり、いくら治療を進めていっても

「身体は、今はストレス(脅威)に対応しなければならない状況」であり続けます。となると、治癒力が十分に働いてくれません。


また、病気利得といったことも起こります。

意識していなくても、自分が病気でいるで、誰かを責める代弁となっていることもあります。

言葉では語れない思いを、病気という目に見える形で訴えているのです。

この深層心理が働いていると、完全治癒し、訴えるものがなくなると、それ以上の責めを相手に与えることができなくなる・・・

そんな深層心理が治りを遅くさせてしまうのです。

誰でも病気でいるのはイヤなものなのに、病気利得って本当にあるの?と思うでしょう?

程度は違うけれど・・・

子供の頃、熱を出すと、お母さんが優しくなって、アイスとかプリンとか買ってきてくれた・学校も休んでいい・テレビを見ていても怒られない・・・

なら、もう少し、病気でいてもいいかな・・・なんて、体温計こすってみたりしたことありませんか?

病気って、「甘えたい」「休みたい」「伝えたい」という、理屈では通らない・言葉では認めてもらえない自分の気持ちを訴える手段に使えてしまうんですね。

ガンを含め病気が早く治る時は、

・治りたいという意識が高いとき

・前向きで明るい気分のとき

・自分のやりたいことがあるとき

・誰かのためにと思うとき


などです。

でも脳がストレス状態にあると、こういった思いが出にくくなります。

病気は誰もが早く治りたいのが当たり前ですが、

意識的に「治りたい」と思う気持ちと、深層心理で「病気利得」などネガティブな思いと、両方があると、アクセルとブレーキの両方をふんでいる状態になります。

深層心理が足を引っ張る分、必死で「治りたい・治るんだ」と気負わなくてはならないからです。

気負いが強いと、身体がリラックスできないし、気もちもほぐれません。
つまり治癒力が働きにくい環境になるのです。

では、どうすればいいか・・・?

まずは、自分の中の「許せないこと・恨み」の感情に気づくことです。
許しているふり・忘れているフリをせず、その感情をもっている自分がいることに気づきます。

そこにどっぷり入って、さらに感情が強化されないように注意します。(追体験するのではなく、自分と相手の劇を、監督である自分が眺めている感じ)

過去の出来事や他人は変えようがないことに気づき、イメージで
・その感情が水に流されていく
・感情を大きな布で包んで、空中に手放す
・感情に光があたりほぐれていく

自分がイメージしやすいもので、凝り固まった感情を溶かしていきます。
「許し」を経ると、自分の心は楽になり、健康で幸せになれるのだと認識します。

どうしても、感情がほぐれないときは、恨みや怒りの感情を持っている人の幸福や成功を祈ります。

その人自身と出来事をつなげず、行為は責めても人は責めず、その人のために祈ります。

はじめは、「そんなことできない・・・」と思うかもしれません。
しかし、自分の病気回復や幸福のためですから、それを行う価値は充分あります。

たとえば

「○○さんが、幸せでありますように」

「○○さんが、ますます元気でいられますように」

「○○さんにいいことが起こりますように」

「○○さんの願い事が叶いますように」と。

(○○さんは許せないと思っている人)

もしも、そんなこと祈られるにふさわしくない人だ!名前を出すのも嫌だ!と思うなら・・・

「私の身近にいる人すべてが・・・」と主語を変えてみましょう。

嫌いな人も、こそっと身近にいる人に含ませてしまうという技です。

または、「私が嫌いと思っている人が、幸せでありますように」という祈り方もあります。

あまり害のない嫌いな人の中に、許せない人をこそっと含ませる技です。

「慈悲の瞑想」という方法ですので、検索して音声の誘導などを利用するのもありです)

表面は相手のために祈るのですが、結局は、自分自身のために、祈るのです。(初めから自分のために祈ってしまうと、我欲がでて純粋さが失われてしまいます)

相手のことを祈っていると、だんだんと心が穏やかになっていくことに気づくと思います。
その心の開放が身体を治癒へ向かわせていくのです。

また、人への思いだけでなく、完璧主義な方にも、「許せない」感情が存在します。

・頑張れない自分
・病気になって、家族や会社に迷惑をかけている自分
・こんなこともできない自分
・・・・こうあるべき信念が強いと、現実が異なってしまうとき、許せない思いが湧き上がってしまいます。

何かしら自分を責めていないか・・・

誰かを責めていないか・・・


治癒はまず自分を許し、病気になった意味づけを捉え直し、許せなかったものが「もういいか・・・・」という気になったとき、身体が芯から緩み、治癒が起こりはじめます。

くれぐれも、誰かを許せなかったとしても、許せない自分を責めないで・・

分厚い氷は、解けるまでに時間がかかるものです。

              

             


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