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短い物語P&D『埃誇坂〜あいこざか』

今日はデーゲーム日和。
待ち合わせの場所まで急いでいた僕は、いつのまにか走り出していた。
その途中、まだ通ったことのない道に遭遇した。
不意に現れた魅力的な坂道は、僕を足止めした。

さほど急ではない勾配。
ここからは見えないけれど、登った先に求める期待感。
僕は近道のつもりで駆け上がった。
坂の向こうから見慣れない景色が少しずつ顔を出した。
縦に細長く開けた空の下に霞んだ高層ビルは砂漠に生えた塔のよう。
厚顔そうなアスファルトは下から覗き込んでくる。
左右の壁は遠くを見ているような角度をしていた。
そいつらの存在感が坂を独占したような僕を少しだけ圧迫した。  

僕は足の疲労を感じ始めていた。
けれど、坂を走って登りきるつもりだった。
そうしたら振り返って景色を見てみよう。
そんな考えを妨害したのは、坂を下って来る車ではなかった。
横に広がって歩く群れでもなかった。
それらは、坂の上から予告も無しに転がって来た。
最初、まばらにパチンコ玉が流れてきて、驚いた僕はジャンプして避けた。
次にオレンジが数個、ゴロゴロと続き、スイカ模様のビーチボールも跳ねながら転がって来た。
それから、バスケットボールくらいの地球儀まで。
僕はそれらを反射的に止めようとした。
上で何かあったに違いない。
もうかなりの数が、この坂を転がり落ちていった。
振り返りたいけれど、そんな余裕は無かった。
焦った僕は、いくつも捕り逃してしまった。
手足の先をすり抜けて行くような感じだった。
諦めた僕は、ようやく坂を見上げて確認しようとした。
そして、僕の動きは止まった。
自分の背丈よりも大きな黒い球体が、数メートル先にまで迫っていた。
まるで巨大化したようなボーリングの玉。
僕にはそれが固くて重たいヤツだと一瞬で分かった。
「ぶつかる」
球体の影が僕に襲いかかった。
目を閉じ、両腕で頭を覆うのが精一杯。
​僕は諦めた。
目を閉じて、それから数秒。
左足のつま先に何かが当たって止まった。
それは、野球のボールだった。
僕にぶつかるはずだった物体は、何処かへ消えていた。
坂を転がり落ちて行ったわけではなかった。
僕はまだ汚れていない硬球を拾い、再び坂を見上げた。
「ごめん」
笑顔でグローブを構える彼女がいた。

僕たちはアスファルトの峠を越えた。
話しながら一度だけ振り返った。
あれは幻覚だったらしい。
坂道の途中でかけられた魔法かもしれない。
そうだとしても、どうしたって現実が待っている。
それは不意にぶつかってくることもあるんだと、僕は思った。
この日、僕にとって試合の勝敗は二の次になった。 ~終わり

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